贈り物

 

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昔のことです。明日の朝、つまり12月25日の朝、起きると、枕元に綺麗に包装紙で包んだ「贈り物」が置いてありました。それが何かを知っている私は、急いで包みを解きました。何が入っていたか全く覚えていませんが、父が、寝ている間に置いてくれたのだと分かり、大喜びをしたのは覚えています。二人の兄と弟にも、同じようにしてくれたのだと思いますが、それを確かめた記憶はないのです。

ああ言った思っても見なかったことが、突然降って湧いたように起こる出来事に、驚き喜ぶ心というのは、子どもの時だけの経験でしょうか。父は、そういった経験をさせることが好きでした。怖かったのですが、悪戯っぽさを残した大人だったのです。この欄で、何度も取り上げていますが、「お土産」をよく持って帰宅した父でした。「神田」に美味しいトンカツ屋があって、そこの「カツサンド」を、よく買って来てくれました。『こんなに旨い物があるのか!』と思いながら、頬張ったのです。あんなに厚い肉に驚かされたのです。同じ神田から、「蒲焼き(うなぎ)」も持ち帰ってくれました。

また「あんみつ」も買って来てくれました。円筒型のプラスチック製の器の中に、餅(ギュウヒだったでしょうか)、豆、寒天、餡、黒蜜などが小袋に入れられていて、全部をその器に開けて混ぜ合わせて食べるのです。これが美味しくて、今でも好物なのです。また「ショートケーキ」、「エクレア」などがありました。満員電車の中を、潰されないように持って帰ってきては、『さあ、みんな食え!』と進めてくれました。今のような生クリームではなかったのですが、東京の味を満喫したものでした。

夏場になると、驚いたことには、「ソフトクリーム」を買ってきてくれました。都心から家まで電車で一時間以上かかるので、溶けないために、<ドライ・アイス>を入れてでした。まだ残っていたドライアイスを水の中に入れて遊んだのを思い出します。どんなに喜んでパクついたかお分かりでしょう。<人を喜ばすこと>が、好きだった父でした。そんな父に真似たかったのですが、『あまり似ていなかったかな?』と、今になって反省の「节圣诞shengdanjie」の前日であります。今晩も、良い夢を見たいものです。

(写真は”proーfot”の「プレゼント」です)

両手

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私は、味噌汁を飲むときに、スプーンを使いません。椀の淵に口をつけて飲みます。飲む時には、たまに音を出してすすることもあります。ところが、中国のみなさんは、スプーンを使って、「湯(スープのことです)」を飲むので、音を立てません。わが家に来客のある時、<ラーメン>を作ってご馳走することがあります。スーパーで、豚骨スープ味の<日本ラーメン>が売っていて、それを使うのです。野菜や肉を炒めて、添えて作ったものは好評です。

みなさんの食べぶりを見ていると、決して麺を音を出してすすることをしません。アメリカ人がするように、パックンと音無しで食べるのです。それを見ていて、飲むように、すするようにして蕎麦を食べる(江戸っ子は喉で食べると言ったそうですが)日本人の私には、『美味しくないだろうな?』と思ってしまいます。いつでしたか、アメリカのオレゴンを訪問した時、子どもたちと一緒に、日本式のラーメン屋に入ったのです。韓国人の方が経営しているそうで、味は日本の味ではありませんでした。それでも、私と一緒に食べられて満足してました。なぜかと言うと、『お父さんと一緒だと、音を出して食べられるから!』だったのです。

ここに貼り付けた写真を見てください。幼い子どもが、器を両手で持って飲み干そうとしています。お腹が空いていて、好物のスープをお母さんが作ってくれたのでしょう。行儀よくスプーンを使っていたのですが、残り少なくなったのか、面倒になったのか、または美味し過ぎたのか、スプーンをテーブルの上において、飲み始めたのでしょう。『おいしいの!』との声が聞こえてきそうです。

とても健康的で、家庭的で、そして自由な感じが現れていて、とても好きな写真です。この同じ両手で、これから様々なものを持って、この子は生きて行くのです。この子が生きていくのが、平和な時代であるようにとの願いを持ちながら、私たちの子育てを委ねられた四人の幼い日のことを思い返しております。

(写真は”ナショナル・ジオグラフィック”からです)


冬至前夜

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今夕、玄関を叩く音がしました。私たちが住んでいるのは四階で(一階部分は、バス通りに向かって貸店舗になっていますので、実際には五階)、二階に住んでいるお母さんでした。『明日は、冬至で、こちらでは、これを食べるのです。作ったので食べてください!』と言って、もち米で作った一口大の餅にきな粉とすりごまでまぶしたものを頂きました。ちょうど<あんころ餅>の甘い和菓子とような感じです。九年目の暮れを、こちらで過ごしていますが、この時期に、こう言った物を食べるのを知って、食習慣が日本に似ているのを、改めて感じたのです。

きっと日本では、今晩は「ユズ湯」に入って、南瓜の煮物を食べて、明日の「冬至」を迎えるのでしょうか。以前日本で住んでいたときに、毎年、この時期になると、バケツ一杯の「ユズ」を届けてくださった方がいました。風呂にユズを浮かせるには多過ぎて持て余して、近所に配ったりしました。家内が人のお世話をする機会が多くて、喜んでしていたからでしょうか、一年中、季節季節に色々な物を頂くことがあったのです。

季節ではないのですが、オートバイの後ろに「鶏の肉」を乗せて、よく、届けてくださった方がいました。スープを作っては、育ち盛りの子どもたちに飲ませたのです。こちらでも、そういった機会が多くて、みなさんの好意を楽しむことができています。病気をすると、「鮑(あわび)」を持ってきてくださる方がいて、まだ冷凍庫の中に残っています。『日本じゃあこんなに食べられないよね!』と驚いたり、喜んだりしているのです。

明日を境に、太陽が帰ってくる、「回復」してくるのですね。古来、西洋では、「冬至の祭り」が盛んだったと聞きます。音楽を奏で、踊りを舞い、ごちそうを作ってお祝いをしたのでしょうか。素朴な民間行事には、生きとし生けるものの願いや喜びや期待が込められているのです。洗濯物を落として、階下の方にとって頂いたことで、交流、行き来が生まれています。外国人へのいたわりも感じて、心から感謝して、夕食の後ですが、小皿いっぱいの<冬至団子>を食べてお腹が膨れてしまいました。 『ユズ湯にも入りたい!』は、ちょっと願い過ぎでしょうか。

(写真は”wm”による「柚子湯」に子供を入れているものです)

記念

 

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ブログ「悠然自得」を開設して、800回になりました。これまで続けられたことが嬉しくて仕方がありません。中国の華南の空の下で生活しながら、思うことを綴ることは、格別な感慨があります。

この”WordPress”でブログを始める前に、二、三回、ほかのブログを発行していましたが、諸事情があって休止してしまいました。下の息子の激励を受けて、何もわからないまま始めましたが、飽きっぽい性格なのに、続けてこれたのは、自分でも意外でおります。今でも運営上で問題が起こると、息子に助けてもらっています。

内容が個人のことに過ぎる傾向があるのですが、何よりも、遠く離れている四人の子どもたちに、自分の「原風景」や父や母や恩師たち、さらには出会ったみなさん、出来事を伝えてみたかったのです。ところが、子どもたち以外の方が、『読んでいます!』と言ってくださるのです。時には、アップした写真の名前を、見知らぬ方が教えてくださったりしています。ある時は、『父や母の知り合いの方ではないでしょうかね?』とコメントしてくださって、『当たり!』だったこともあるのです。公開されていますので、そのようなこともあるのです。

自分では、結構楽しんでおります。これからも続けて行きたいと思っておりますので、よろしくご愛読ください。間もなく2015年を迎えます。みなさんのお迎えになる新しい年が、祝福に満ち溢れることを、心から願っております。感謝して。

(写真は”百度”から「雪割草」です)

この現実

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古代ギリシャの都市国家に、「スパルタ」がありました。日本では、厳格なスポーツの訓練や教育を、 「スパルタ式」と呼んできましたが、今日では、このことばは、「死語」になってしまっているでしょうか。スパルタの国家が、どれほど厳しかったかというと、強靭な肉体と精神を持つ兵士を作るために、非人間的な訓練をさせたのです。わずかな食料しか支給しないで、自分で調達させるです。盗むことは当然で、食料が得られないと、鞭打ちの罰が下されたようです。そんな社会ですから、生まれた時に障碍を負っていたり、虚弱であったら、捨てられたのです。その社会では生きていけないからです。

「テレグラム(英国系)」が 、『北朝鮮で心身に障害をもつ人を社会にとって無益なものと見なしている』と、伝えていました。ある脱北者の証言では、心身に障害をもつ人が北朝鮮から姿を消しているそうです。「北朝鮮でシステマティックな住民の「浄化」が進んでいる」と言うのです。『32歳のジ・ソンホ氏が北朝鮮を逃げ出すきっかけになったのは、左足の膝から先と左手首を失ったこと。氏によれば、北朝鮮では障碍者は現体制の「染み」であり、現体制への「侮辱」であるとみなされる。障碍者は社会から放逐される。子供であれば、遺棄される。』と言っています。

さらに、国連の担当委員会は、『北朝鮮で身体障碍者が医学実験の材料になっている可能性がある。』と報告しています。近代社会は、 <社会的弱者と共に生きる>ことを是としていますから、北朝鮮のしていることは、非人道的なことであります。先天的でも後天的でも、人が障碍を負うことは、誰にもあります。王さまの子でも、貧しい人の子でも、同じ可能性があるのです。私は、<障害者遺棄>を猛烈に非難をします。「スパルタ」は滅びて消え去ったことを教訓に、歴史の教訓を聞き入れて、猛省を促します。

(写真は”wm”による北朝鮮の小学生です)

典型的

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「典型的」という言葉があります。goo辞書には、「<形動>その類の特徴をよく表しているさま」とあります。例えば、『彼は、典型的な好青年だ!』とか言ったりします。ここに貼り付けました写真を見てください。これこそ、「アメリカの典型的な中流家庭」と言ってよいでしょう。綺麗に食堂が掃除され、調度品も、それほど華美ではなく、テーブルクロスが敷かれ、その上には、ターキー(七面鳥)でしょうか、調理された肉、ジャガイモ、豆、果物などが置かれ、ナイフとフォークとスプーンが、行儀良く並んでいます。合理的で清潔感があふれているのを感じます。きっと「サンクスギビング・デイ」の食卓なのでしょうか(七面鳥の丸焼きがあるからです)。

テーブルを囲んでいる、お父さんは背広にネクタイ、お母さんもブラウス、三人の子どもたちもきちんとした身なりです。アメリカ文化のジーンズではないのです。何よりも素晴らしいのは、家族が「感謝」をしていることです。家族5人が、健康であること、日毎の食べ物や飲み物が備えられていること、平和な国で生活していることなどへの「感謝」がなされているのです。お父さんとお母さんに倣って、3人の子どもたちが「従順」に、共に感謝をしています。

こういった家庭で育った子どもたちが、「典型的なアメリカ市民」となっていくのでしょう。 窓際の棚の上にあるのは、「デザート」でしょうか。この「感謝」の後に、一日のことを語り合いながら、美味しく食べるのでしょう。幼稚園に行っているくらいの年齢でしょうか、『ねえ、パパ・・・』と言い合っては、お父さんとの会話を取りっこでもするのでしょうか。『そうだよね、ママ!』と同意を求めるのでしょう。きっと、私の恩師が育ったアメリカの片田舎の家庭が、こんな雰囲気だったのだろうと思わされるのです。今でも、このような感じの家庭が、アメリカにはあるのでしょう。

この<平和>が、世界中の家庭に訪れることを願う、2014年の年の瀬であります。

(写真は”ナショナル・ジオグラフィック”によります)

♭もういくつ寝るとお正月♯

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子どもの頃、今頃になると、普段と違って、人が慌ただしく急ぎ足で歩いていたり、店でも、普段店頭に置かない物が売られ、店主の呼び込みの声が一段と高くなっていたのです(まだ「X’mas」が騒がれる前のこと)。そして歌い始める「歌」がありました。滝廉太郎の作曲で、文部省唱歌の「お正月」です。

もういくつ寝ると お正月
お正月には凧あげて
独楽を回して遊びましょう
早く来い来い お正月

もういくつ寝ると お正月
お正月には毬ついて
追羽根ついて遊びましょう
早く来い来い お正月

「正月」が、一年の節目の時であり、『新しい気持ちで迎えたい!』との思いが強かったのです。「お年玉」が貰えるし、普段食べない「おせち料理」も食べられました。母は年の瀬になると、障子を張り替えたり、正月料理の食材を買いに行き、料理をしていました。醤油が足りなくて、空き瓶を持っては、買いに行かされたこともありました。父は、「お雑煮」の餅を、米屋さんに注文し、規格通りに切っては「もち箱」に収めていました。

正月に関わる物や事には、「お」が付けられ呼ばれて、<大事>にされていたのです。兄たちと凧揚げや駒回しをしたり、双六(すごろく)やカルタ取りなどをやったことがありました。目や鼻や眉毛や口などの顔の部分を、目隠しで置いていく「おたふく(福笑い)」という遊びもしたでしょうか。

ここ中国でも同じで、「春節」を、そのような気分で迎えるのです。「春節」は、旧暦(農暦)で行われますので、日本とは時期のズレがあります。来年は、2月19日が、「元旦」で、「元宵節(日本の<小正月>」は、3月6日です。「節目」を大切にし、待望の「春」を喜び迎えるのです。都市化が進み、西欧の生活様式が入ってきても、昔ながらに喜び迎えるお気持ちは、まだまだ強いものがあるようです。

子どもの頃に感じた、あの独特な高揚感、待望感が懐かしくて仕方がありません。『お醤油買ってきて!』の母の声が聞こえてきそうです。

(イラストは”yahoo”の「呼び込み風景」です)

『本を読みます!』

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『本を読みます!』、これは、『今後何をなさいますか?』の問に、ノーベル物理学賞を贈られた赤﨑勇さんのノルウエーからの帰国の弁でした。85歳の赤﨑さんが、『まだまだ学ぶことがあるのです!』と思っているからなのでしょう。その向学心、研究心、探究心には驚かされますが、驚くだけではなく、<挑戦>として受け止めなければならないと思うのです。

このブログの上に掲載した写真を、見てください。髭も髪も真っ白な三人のお年寄りが、図書館ででしょうか、集会所でしょうか、机の前に本を開いて、見入っているではありませんか。これを見た時、衝撃を受けたのです。私よりも年上のみなさんが、仕事のための読書ではないのです。もう仕事を退職して、社会的な責任から解放されて、悠々自適な時を送っていられる年代ですから。それなのに、実に真剣に<書>を読んで、学んでいるのです。

この三人の方は、イスラエル人で、民族伝来の書を読んでいるのです。辞書も参考書も、脇に置いてありませんから、読み慣れた本を、繰り返し読んでいるに違いありません。またノートもありませんから、宿題を課されているのでも、原稿を書こうとしてるのでもなさそうです。ただ只管(ひたすら)読んでいます。

でも、この「書を読むお年寄り」が、とてもよく充実した時を過ごしているのではないでしょうか。この方々と同じように、赤﨑さんも、書を読むと言っているわけです。『近頃の大学生は、本を読まないんです!』と言われています。ぜひ、このお年寄りたちから、挑戦を受けて欲しいのです。かく勧める私も、時間をあがなって、この挑戦を受けたいと思っております。

初雪起こし

 

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先週、東京に「初雪」があったと聞きました。朝起きて、カーテンを引いて、曇りガラスを開けると、一面が雪景色でした。寝間着のまま、下駄を履いて庭に出て、降った雪を手ですくい、その冷たい感触を楽しんで喜んだ日々がありました。明け方の薄く積もった雪に、下駄の二の字二の字を、嬉々として踏んでいくのは、楽しかったのを思い出します。

初雪や二の字二の字の下駄の跡            田捨女

今日日、子どもたちは、初雪を喜ぶよりも、登校のことを考えて、心配を、先に感じてしまうのでしょうか。大人のように考えて、明治の子、大正の子、昭和の子のように喜ばないのだそうです。『雪だるまを作ろう!』、『雪合戦ができるぞ!』、『橇で坂道を滑ろう!』とか、あの頃の子どもたちは思ったのです。今年の冬は、日本海側では、雪を楽しむなどと言えないほどの積雪量があるそうです。雪かき、雪下ろしなどで大変なことでしょう。

みんなゆめ雪割草が咲いたのね              三橋鷹女

花の中に、「雪割草」とか「初雪起こし」という名を持ったものがあります。こう言った名がつけられる趣きや情緒が、漢字文化のなんとも言えないよさではないでしょうか。ヨーロッパでは、雪割草を「ヘパチカノビリス」、初雪起こしを「クリスマスローズ」と呼ぶのだそうです。これにも、それぞれの思い入れがあるのでしょう。でも、本当に雪を割ったり、初雪を起こしたりして咲き始める花々に、そう命名した生活感や詩心には驚かされます。「雪割草」は、中国語でも同じ漢字で表記しています。

「初雪起こし」は、日本では<一月に花>とありますから、来春、年が改まってから咲くことでしょう。一度、その咲き始める姿を見たいものです。

(写真は「初雪起こし」です)

地産地消は当てはまらない

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「東男に京女」と言ったそうです。中国版ですと、「北京男に上海女」とか、アメリカ版なら、「ワシントン男にロサンゼルス女」と言いたいのですが、少々無理がありそうで、そういうわけにはいきそうもありません。

日本では、「箱根」を越すか越さないかで、違いがあったのだそうです。そこには「関所」があったからでしょうか、江戸への一大関門を上りでも下りでも過ぎると、人の気質が違っていたのでしょう。それとも、幕府のお膝元を離れると、気分が楽になり、江戸に近づくと、緊張したりと言った違いだったのかも知れません。

今、私たちが住んでいる街の男性は働き者で、『婿にするなら、これに過ぎる者はいない!』と言われるほど、高い男性評価があるのだそうです。逆に、こちらの女性は評判があまり、芳しくないようです。かく言うのは、隣町の友人の女性です。東日本で有名なのは、『かかあ天下と空っ風』という言い方があります。上州女や甲州女を、そう呼んできたそうです。<しっかり者の女性>がいて、男性は少々頼りないとされていると言うのでしょうか。

今では、流通が良くなって、この広い中国でも、一律に、同じ物を食べたり飲んだり着たりするので、地域的な違いが少なくなってきています。これも、また世界中の傾向です。「地産地消」が、人の体には一番だと言われているのですが、その土地で湧き出す水、その街の植物から発生する空気、その地域の土地が産する食べ物は、天の配剤であるのですから。

わが家の食生活をみますと、北欧産のサーモン、タイ産のドリアン、イギリス産の紅茶、アメリカ産のチョコレート、日本産の海苔茶漬け、こちらのお米で作ってくださったお餅や和菓子などが、時には食卓に載ります。それを、日常的に、または時々、飲み食べている私たちの体は、もしかしたら悲鳴を上げているかも知れません。でも、<感謝>をもって食しているので、体は納得かも知れません。ちなみに、私たちの両親は、「相模男に出雲女」でしたが、二人は仲が好かったのです。結婚生活には、「地産地消」は当てはまらないようです。

(絵は“wm”による鎌倉時代にあった「流鏑馬(やぶさめ)」の装束です)