ことば

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私たちのまわりに、フィリピン、マレーシア、アメリカなどから来ておられる中華系の方たちがいます。何代も前に、大陸から、それらの国々に渡って行った方たちの子孫で、「華僑」とか「華人」と呼ばれるみなさんです。公用語は英語ですが、出身地の方言で話し合う家庭で、育っているのです。漢字は読んだり書いたりできないのですが、「普通話」を学んで使っておいでです。

ブラジルに、家内の兄を訪ねたことがあります。サンパウロから一時間半ほどの所にある街です。そこも日本からの移民の社会でした。兄夫妻は、ポルトガル語を話しますが、夫婦の間は日本語を使っていました。義理の甥や姪は、片言の日本語ができるだけで、ことばや文化や習慣の上では、まさにブラジル人なのです。

滞在中に、何度か<青空市場>に買い物に行く義姉について、でかけたことがありました。野菜や果物や小麦粉や米、小道具や骨董品や絵画まで、様々なものが売られていました。その広場を、日系人の老婦人が、おぼつかない足取りで歩いておいででした。義姉の知り合いでした。ご主人を亡くした後、息子たちと暮らしているのです。このおばあちゃんが、実に悲しい表情をされていました。それは苦労を重ねてこられたシワのせいではありませんでした。日本語しか話せないので、孫やひ孫との交流ができない孤独が、身体中から溢れていたのです。

悲しんでいる人たちと、これまで多く出会ってきましたが、地球の裏側で見かけた、あのおばあちゃんの悲嘆に暮れた表情は忘れることができません。やはり、人間は「ことば」を用いて生きる必要があることを思い知らされたのです。また、このおばちゃんと同世代の年寄りが十数人、サンパウロ、リベルダージの地下鉄の駅頭の植え込みのコンクリートに腰掛けていました。話すでもなく、通り過ぎる人たちの中で、日柄過ごしていました。移民のみなさんの悲哀を感じて、『人生の最後を喜んで生きて!』と、思ったりしたのでした。

(”サンパウロの写真”からサンパウロの街中の風景です)