今日の中国のネットサイトに、「高倉健去世(死去)!」というニュースがトップで載っていました。今月の十日に、東京都内の病院で病死されていたのだそうで、ここ中国で日本の出来事がトップで報じられるのは、珍しいことです。昭和を匂わす最後の大スターが消えてしまいました。
学校に行っていた時に、大分から来ていた同級生に誘われて、新宿だったと思いますが、健さんの主演映画を見たのが、スクリーン上での初めての出会いでした。当時、学生運動が盛んだったのですが、ノンポリの私たちは<蚊帳の外>にいました。男ばかりの鮨すし詰の観客が、昭和版のチャンバラ劇を、手に汗をしながら見入っていたのです。それをスクリーの中で、健さんが演じていました。観客の心を鷲掴みしていたのが若き日の健さんでした。
それは任侠映画でしたが、多くの若者たちの憧れのスターでした。その任侠映画のブームが終わって、1976年に、「君よ憤怒の川を渉れ」という映画に、高倉健が主演しました。この映画は日本では評価されませんでしたが、鄧小平氏の来日後に、中国で、外国映画が解禁されると、先ず、この「追捕」という題で公開されたのです。上映されるや、3億人が見たと言われるほどの大ブームを起こしたのです。
この映画の公開後、中国は未曾有の〈日本ブーム〉が巻き起こったのです。こちらに来て間もない頃、食事に招いてくださった家の主人が、『杜丘冬人 (高倉健が演じた主人公)や中野良子を知っているよ!』と言われて、『 杜丘冬人って、誰ですか?』と聞き返したほどでした。四十代の方でした。青年期に観たのでしょう。
私の青年期の思い出の中にも、この健さんの存在は大きいのです。ヤクザに憧れたわけではないのですが、軟派な時代の中で、「男気」を感じたからなのでしょうか。私のブログに、6回も高倉健の名が登場しているのは、そのせいでしょう。83年の生涯でした。筋肉質で豪気で男らしい主人公を演じても、病魔には勝てなかったのですね。昭和の最後のスクリーンが降りてしまったようです。健さんの<役者魂>に触れた、我が青春の譜の一頁が、とても懐かしく思い出されます。
(健さんが主演した「鉄道員」の映画スチールです)