日本を旅行した中国のみなさんの印象が、よく、ネットに載っています。「人少(人が少ない)」、「干浄(清掃が行き届いて環境が清潔)」、「好吃(食べ物が美味しい)」、「空气好(空気がきれい)」、「开得好(車の運転が丁寧でスマート)」などが多く記されてあります。これは比較論で、中国に比べて、そういう印象があるのでしょうか。
私たちの国でも、過去との比較で、今の時代が、欧米並み、いえ欧米以上に、近代的で文化的な生活が営まれるようになってきていると言えるでしょうか。子どもの頃、日本中の街中はゴミが散らかり、川がゴミ捨て場になっていました。おじさんたちも子どもも、立ち◯べんをし、手鼻をかんで、タ◯を吐いていました。<カミナリ(雷)とかカミカゼ(かみかぜ)運転>とか言われていました。幸いだったのは、当時は車が少なかったことです。道路の横断も、信号も横断歩道もありませんでしたから、どこでも自在に渡っていました。
当時、アメリカ映画を観ては、『綺麗だなあ!』と驚いたのも、比較論でした。領事館付きの将校だった若き山本五十六が、目にしたアメリカの風景は、驚きそのものだったようです。20年前にアメリカの西海岸から、ロッキー山脈の中にあったイエローストン(ワイオミング州)まで行き、往復したことがありました。畑が、どこまでも広がっていましたが、広さと綺麗さと整然さ、そして規模の大きさに驚かされてしまいました。ニューヨークやロサンゼルスやシカゴの大都市は、この国の一部で、その99%の農村の様子を目撃して、豊かさの土台の堅固さが、ここにあることを知らされたのです。
やはり、古い型の人間の私は、山本五十六が感じたように、『こんな凄い国と戦争したんだ!』と思ってしまったのです。だから、明日の中国は、日本のように、いえ日本以上に変わって行くと信じています。優しくて、思いやりがあり、表現が豊かなみなさんが、さらに素晴らしい国を築いて行くに違いありません。私の中国と中国のみなさんの印象は、「人多」、「広大(国土の広さです)」、「話多(健啖と言うのが好いでしょう)」、そして「勤勉」であります。