年の瀬に思う(8)

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「地球」を乗り物に見立てて、「地球号」と呼び始めたのは何時の頃からでしょうか。衛星からみれば、空中に浮く「飛行船」や「宇宙船」のように見えることでしょう。24時間かけて自転しながら、決まった軌道を正確に運行するためのペダルやエンジンや翼を持たないのに、太陽の巡りを一年かけて回っていることほど、神秘なことはありません。虚空に浮いていること自体が、不思議でなりません。子どもの頃に、『どうして?』と思っていたのですが、まあ故意に忘れたふりをしながら、生活の必要を満たしながら生きてまいりました。ですが、答えを得られないまま、年月が過ぎてしまい、納得しないままでいるのです。きっと、「大いなる意志」があるに違いありません。

そんなことは、つゆも思わないで、人は人と、国と国は、小競り合いをし、関係を恢復させ、それをまた繰り返しながら過ごして、一年一年と過ぎて行き、人だけは七十年、八十年のサイクルで消えていくわけです。支えも、ホックもなく浮いている地球、これをどう考えたらいいのでしょうか。太古の昔から、人はこんな疑問を持ちながら、天空を見上げて、考えあぐねてきたわけです。この「太陽系」のようなものが、無数、小学校の授業で<黄河砂>という単位を学んだのですが、とてつもない数で、この十本の指では数えきれない「無限大」の数量だったわけですが、それほどに大宇宙にあるのだそうです。

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先日、中国の無人衛星が、月に着陸したというニュースが伝えられていました。またNASAに探査機が、月の裏側を撮影した映像が配信されていました。大宇宙の広大さから言いますと、それは、ほんのお隣の様子に過ぎないのですね。「お隣」といえば、一番近いのは、この「自分」です。これこそが、一番、「未知」の存在なのです。光学電子顕微鏡は、何億光年もの彼方の惑星を捉えることを可能にしました。ところが、人間こそが、「知られざる世界」で、『何?』、『どうして?』、『それで?』と研究未分野なわけです。

生命の起源、生きること、死ぬこと、記憶、願い、意思、知性、感情・・・・・、分からないことだらけで、まったく『人間、この未知なる者!』です。科学万能の時代、こう言ったテーマについての研究がなされていないのか、できないのか、人は、そのままで死にゆく以外に仕方が無いのでしょうか。きっとこれは、哲学や宗教の主題なのでしょうね。昔、何処かの王様は、長寿や富を求めないで、「知恵」を願い求めたのだそうです。その王様のように、未知なることを解き明かす「知恵」や「理解力」が欲しいものです。『俺って何で、誰で、どうして生きていて、あれやこれやと思い巡らしたり、喜んだり悲しんだり怒ったりするのか?』と、考えている年の瀬の私であります。

(写真上は「アンドロメダ銀河」の像、下は「人間学の祖・哲学者カント」です)