年の瀬に思う(10)

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「融和」という言葉を、辞書(コトバンク)で調べますと、<[名](スル)1 とけてまじりあうこと。また、とけ込んで調和すること。「周囲の色と―する」、2 うちとけて互いに親しくなること。「―をはかる」「仲間と―する」>とあります。今年亡くなった人の中に、南アフリカで「アパルトヘイト」の撤廃に尽力した、ネルソン・マンデラがいます。世界中から極めて高い評価を受けている人物で、その影響力は絶大なものがあります。彼の語った言葉に、『美しい南アフリカについての夢があるならば、その夢につながる道もまた存在します。そのような道のうち、2つの道の名前はきっと「善良(Goodness)」と「赦し(Forgiveness)」でしょう。』というものがあります。

私は、高校時代の冬場、この時期に、「府中刑務所」をひたすらに三周する、運動部の練習をしていました。灰色の高い塀の周りをただ走るだけでした。『このムショの中に、自分の生涯で入ることがあるだろうか?』などとぼんやりと思いながら、早く三周の走りが終わるのを待ちながら、薄汚れた塀を左手に見ながら走っていました。その薄ぼんやりした思いが、実現したのです。四年ほど前になるでしょうか、私たちの住んでる街から南に行った海岸部の街から、五十代のご夫婦が訪ねて来られました。どなたかから、私の帰国の時期を聞いたからでした。

この夫妻の息子が、日本に密入国をし、窃盗罪を犯して懲役刑になり、その「府中刑務所」に入獄していたのです。『持病があるので、様子を見てきて欲しいのですが?』とのことで、次兄の家から自転車でこの刑務所を訪ねて、足を踏み入れたのです。刑務官がしばらく検討されたようでしたが、結局、親族以外の面会はできないとのことで、預かってきたご両親の写真を、刑務官に託して辞したのです。

そのような刑務所が、ケープタウン近くの洋上の「ロベンス島」にあります。ここにネルソンは、国家反逆罪で28年も収監されたのです。その小島で、長い年月、憎しみや恨みの思いから、「赦し」の思いに変えられていったのだと、彼自身が語っています。肌の色の違う者同士が、「融和」していく道を探り、それを実現し、選ばれて大統領職を果たしたのです。この「融和」が、今日の国家間や民族間の紛争と対立を、平和裡に解決していく、最も優れた道であることを、ネルソンは示したのです。年の瀬になって、また一悶着、日中間の問題が起こってきました。『日本人同士で声高な会話には、十分に気を付けなさい!』と注意されています。在華、在韓の日本人の難しい立場を、しっかり考え、「融和」を実現するのも為政者の責務であることを忘れることなかれ!少々緊張の年の瀬であります!!

(写真は、ケープタウンから12kmほどにある「ロベンス島」です)