年の瀬に思う(6)

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私たち四人兄弟は、祖父母と一緒に生活をしたことがなかったのです。ただ母のふるさとに出かけた小学校一年の時に、4、5日一緒に生活したことがあっただけでした。もちろん友人の家に、遊びに行くと、奥におじいちゃんやおばあちゃんがいたのが窺えただけで、話をした覚えがないのです。ただ、父が『○○!』と呼び捨てしていた、父の養母の葬儀に行ったことがあるだけでした(その養母を『さん』付で呼んで、『料理が上手な人だったよ!』と懐かしんでいた数週間後に父が召されました。憎んでいた「継母」を赦したのです。人の一生には、色々な愛憎劇があるのだということを、父や母から学んだのだと思います)。

昔の日本映画界に、おじいさん役をすると抜群で、喋りも独特な名優がいました。この俳優の演技は、間延びがしていて、のんびりと悠長な雰囲気に満ちていたのです。ところで「中国のみなさん」を、何かの絵で見たことがありました。それは、長いキセルをくわえて、牛の手綱を引いている絵だったのです。実際に会ったこともなく、近くで一緒に生活もしていない私は、「中国人」のイメージを、その俳優で作り上げていたのです。つまり、「のんびりした中国人」でした。子どもの頃に作り上げたイメージというのは、いつまでも引きずるのでしょうか。2006年から中国で生活し始めて、あのイメージと違って、中国のみなさんは、日本人よりも勤勉で、働き者だということが分かったのです。何処でも、何時でも昼寝をするので、「怠け者」と誤解しているようですが、これは生活習慣であって、仕事の合間、休みの時には、のんびるするだけなのです。ですから、「意外」だったのです。

『中国人のみんなが日本人を嫌いなのだ!』と思われるかも知れませんが、これも誤解です。少なくとも、天津の一年、きちらに来てからの六年半、出会った人から、『日本鬼子!』と呼ばれたことも、石や卵を投げつけられたことも、ツバをかけられたこともありません。一目で日本人と、さとられてしまいますから、分かっていても、そういった行為を受けたことは、全くないのです。私が、「のんびり中国人」だと決めつけていたのが誤りであったように、「鬼子の日本人」だと聞き、学んできたのに、実際に目にする日本人は、『違う!』と思っておられるのです。

『日本には鬱の人が多いそうですね。どうしてでしょうか?』と、時々聞かれることがあります。確かに日本の精神風土からすると、多いのです。ところが、最近では、こちらでも精神的な疾患が多くなっているそうです。国や国民によってではなく、そう言った時代になっているのでしょうか。どの国にも、「精神衛生」が必要な時代なのでしょうか。そんなことを考えている年の瀬です。

(写真は、十二月の花の「セイタカアワダチソウ」です)