我が家の上の階のご婦人のお母様が、時々、「豆腐」を作られて、そのおすそ分けに預かることがあります。「木綿ごし豆腐」と言うよりは、「生・高野豆腐」のような硬くてしっかりした感触で、とても美味しいのです。昨日も、頂いて、今夕の食卓にのって、食べたところです。こちらのスーパーの「豆腐売り場」には、「日本豆腐」と印字されたパックが売られていまして、黄色がかった「卵豆腐」のようなものです。買って食べたことがありませんが、これが日本の豆腐だと思われているのは、ちょっと残念なことですが。「絹ごし」もありますし、「豆乳」もパック入りで売られていて、これも時々買っては飲んでいます。ちなみに、豆腐の起源は、八、九世紀の中国(唐代中期)で、日本には鎌倉時代に伝わってきたそうです。
この豆腐を代表にして、日本食の中で、「大豆」を加工した食べ物が豊富なことが、一つの特徴だと言えるでしょうか。中国の「醤(jiang)」から、自然的に作られてきたのが(上澄みににじみ出てくる液体)、どうも「醤油」だと言れています。こちらの物は、千葉の野田あたりで作られて市販されている日本のものとは違って、ずいぶんと「濃厚」です。醤油コーナーには、「台湾産」や「韓国産」も輸入されていますし、こちらで製造している「キッコーマン醤油」も、わが家で使い続けてきた物とは、ちょっと 違うのです。調味料として、この「醤油」は欠かせないので、悲しいかな、日本育ちの私は、贅沢はしたいとは願いませんが、『美味しい醤油が欲しい!』と思ってしまいます。
この「醤油」は、<隠し味>に使われていて、何と、日本の「アイスクリーム」の中にも入っているのだと聞いたことがあります。私たちの味覚には、欠かせない物だということが分かります。その他にも、「味噌」があります。これも悲しいかな、若い時は、ほとんど飲まなかったのですが、昨今、『味噌汁が飲みたい!』との思いが、時々やってきて、根っからの日本人なんだと思わされています。先ほどの「醤」は、「びしお」と読み、味噌の源になります。スーパーの棚を探しても、日本の様な「味噌」は見つけることができません。日本の物は、発展的に改良されてきているのでしょうか。
もう一つは、「納豆」です。中国の友人に、日本食品店から買ってきた納豆を出したことがありますが、みなさん顔をしかめて口に入れておいでで、出したそうな顔をして飲み込んでいました。こちらには「臭豆腐」と言う食品がありますが、納豆以上の臭みのある物ですが。それでも、欧米人にように嫌っておられます。だいぶ値が高いので、たまにしか買うことができませんが、これも、時々、『 食べたい!』と思うことがあります。久保田万太郎が、次の様な俳句を詠んでいます。
湯豆腐や いのちのはての うすあかり
死期の迫った作者が、求めたものの一つが、「湯豆腐」だったのです。過ぎ去った日々を、思い返しながら、食しつつ詠んだのでしょうか。冬場、湯気の立った鍋から、熱くなった豆腐をすくい上げて、醤油に小葱や生姜などの薬味を入れてたタレにつけて食べると、『美味しい!』と言ってしまいます。そんな湯豆腐が食べたくなってくるほどの季節の到来のようです。まだ、万太郎の亡くなった年まで、大分ありますのでご心配なく。
(写真は、「絹ごし豆腐」です)