《抑制の美学》

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1969年の大阪場所で、横綱・大鵬が、戸田と対戦した時のことです。戸田が横綱を破って金星を挙げた一戦でした。しかし、この判定は行司の誤審で、大鵬の右足が土俵に残っていたのです。その時、大鵬は、『横綱が、物言いのつく相撲をとってはいけない!』、と語って、勝ちを主張しなかったのです。NHKの相撲実況をしたアナウンサーで、相撲ジャーナリストの杉山邦博が、『これは《抑制の美学》だ!』と、書き残しているのです。まさにこれは、《王者の貫禄》ではないでしょうか。

私たちの住んでいた街に、「相撲」がやってきたことがありました。通っていた小学校の校庭に、土俵が設えられて、いわゆる「地方場所」が行われたのです。その相撲興行を行ったは、「二所ノ関部屋」でした。それ以降、兄たちの贔屓(ひいき)の相撲取りは、二所ノ関部屋の玉の海、琴ヶ浜になったのです。私も兄たちに倣って、彼らのフアンになったのです。娯楽の少なかった時代の相撲は、今のサッカー人気以上があったと思われます。この二所ノ関に所属していたのが、プロレスで有名だった「力道山」でした。

そして一世を風靡(ふうび)した、「大鵬」も、この二所ノ関部屋の力士で、「昭和の大横綱」と言われた人気力士でした。ウクライナ人の父親を持ち、その肌の白さや、外人のようなマスクに、子どもや女性から圧倒的な人気があったのです。一番上の兄と同年生までした。昨日のニュースで、この大鵬が亡くなったと報じていました。「平成」が、もう25年にもなりますから、また「昭和」が遠ざかっていくのを感じています。『決してえばらなかった方でした!』と言われ、日本を元気にしてくれた大横綱の死は、やはり寂しいものを感じさせられます。

(写真は、大鵬の出身地の近くにある、初夏の「摩周湖(弟子屈町)」です)