運転免許証の更新

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 去年帰国した時に、所要があって高知まで出かけました。その時、高知龍馬空港で、「レンタカー」を借りたのです。2006年の夏に、中国に来ましてから、運転をしたのは、帰国時に、3度くらいでしょうか。しかも短時間の運転でした。こちらに来まして、友人がいる街にでかけて、『運転をしてみてくれますか!』と、免許を取り立ての青年から頼まれて、場内で運転をしてみました。もちろん左ハンドルで、夜間でした。前後にも対向車線にも車がないので、全くスムーズな運転ができたわけです。初心者のかたに、『流石ですね!』と褒められてしまいました。私は、アメリカで運転免許証をとりましたので、左ハンドルは苦にならなかったのです。

 ところが、高知空港から、国道に出て高知市内のバイパスを通っていた時に、つい進路変更をしてしまいました。ところが追い越し路線に入るタイミングが悪くて、大クラクションを鳴らされてしまったのです。40年も運転してきましたが、運転にブランクがあると、感覚が戻ってこないという危険を感じてしまいました。幸い衝突を免れたのですが、大変に迷惑をかけてしまったわけです。全く、青葉マークの初心者の車線変更だったわけです。この経験から、どんなに経験が長くても、実務から離れていたら、やはり「初心者」なのだということを学ばされたのです。

 路面凍結でスリップしたり、高速道路で前方が渋滞しているところに猛スピードで突っ込みそうになって、ものの30cmで止まったことなどが思い出されます。相当危険な経験だったことになります。鋼鉄の塊が、スピードで走るのですから、いかに危険であるかということも知らされてきました。運転のうまさというのは、速さでも、ハンド巧者でもなく、「安全第一」の運転であるということを学んだわけです。

 ニュースによりますと、日本の最近の自動車事故の死亡件数が、ひところ1万人以上だったのが、半減してきているそうです。罰則規定が厳しくなった効果なのかも知れませんが、好いことだと思っています。それでも、日本でも、ここ中国でも自動車事故は日常的に起きています。こちらでよく見かけるのは、「電動車(バッテリー自転車)」と車の接触事故です。交差点が最も多いようで、便利で速い乗り物ですが、実に危険だということが分かります。それで家内は、『絶対ダメ!』と、買おうとする私を留めるのです。この電動車は、エンジン音がないので、歩行者にとっても危険極まりないのです。何度引っ掛けられそうになったか知れません。みなさん、車も電動車も自転車も歩行者も、あまり信号とか規則を頓着しないのに、思ったほど事故が起きないのを見て、われわれ外国人は不思議に感じてしまうわけです。暗黙の掟があるのでしょうか。

 昨年の秋に、向かいのアパートの駐輪場においていた自転車がなくなってしまいました。頑丈なチェーンで、鋼鉄製の車止めと自転車をつないでおいたのですが、チェーンを切られて運び出されたようです。まあ、『乗らないで!』というサインかも知れません。来たばかりの頃は、免許証を取ることを考えていましたが、もう今はその願いはどこか霧散してしまいました。ただ私の日本の運転免許証が、この17日で失効します。海外にいた証明があれば、更新が可能ということですから、帰国しましたら、免許センターまで行くことにしています。きっとあまり運転の機会はないのかも知れませんが、「身分証明書」の代わりに、持っているべきだと思って、そうすることにしています。日本では正月明け、正月気分の全くない華南の静かな午後であります。

(写真は、高知市の「高知龍馬空港」に着陸体制の飛行機です)

『話せばわかる!』

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新年早々から、こんなことをブログに書くのを躊躇(ためら)ったのですが、意を決して書くことにしましょう。中学生の時に、「真空地帯」という映画を観ました。木村功という俳優が好きになったてしまった作品で、1952年に、野間宏が、日本の陸軍の「内務班(軍隊の営内居住者のうち軍曹以下の下士官及び兵を以て組織された居住単位である )」の実態を書いた小説の映画化でした。

海軍の家系の父から生まれた男の子として、平和な時代であったのですが、少々「軍国少年」のような考えをもっていたのが、中学時代の自分だったと思います。海軍兵学校の制服に似ていて、釦(ぼたん)でないホックで前を留める制服を着用していたのも、なんとなく気分を高揚させていたのかも知れません。バスケットボール部に所属していました。高校生、卒業していった大学生や社会人の先輩たちが、しょっちゅう出入りしていた運動部でしたから、そこで「男学」を学ばされたのです。産毛の中学1年生が、この世の荒波に揉まれていったわけです。そんな時期だったでしょうか、この映画を見て衝撃を受けたのです。

軍隊とは、「武士集団」で、男の鑑のような人たちの世界で、勇気とか果敢さとか、「滅私奉公」の心意気で、凛々しい男の世界だと思っていたのです。ところが、映画の中の軍隊は、古参兵が新兵を訓練するといって、暴力を振るうのです。誰かが過ちを犯すと、全体責任で、一列に並ばされてビンタを張られるわけです。「伝令」とか、「鶯の谷渡り」とか言われた体罰をさせられ、それを眺めて卑しく笑う古参兵の姿が描かれていたと思います。エンピツを指に挟んで、それで指をギュッと握られるような、拷問も行われていたようです。『エッ、栄えある日本の軍隊ってこんなだったのか。嘘だろう。これって脚色され誇張された、誰かの創作ではないのか!』と思わされて、それでも、『軍隊の実態は、こんなだったんだろうか?』と思ったりしていたのです。

この映画で木村功が演じたのが、木谷一等兵でした。軍隊生活4年の古参兵で、陸軍刑務所から出獄してきて、その内務班にいたのです。彼が、古参兵の特権で、ビンタを張る場面がありました。「皇軍(天皇の軍隊と言われていました)」の輝きなど全くない陰湿な世界に、「軍国少年」の夢や憧れは、無残にも砕け散ってしまったのです。そういった世界の影響でしょうか、運動部が強くなるための精神性を高めるために、この軍隊方式を受け継いでいたのです。横並びにされて、ビンタを張られたり、殴られたことは何度もありました。本当に、男は、こういった世界で生きることによって、「男になる」のでしょうか。それで、下級生をビンタし、ビンタされた下級生がが、またビンタを張るといった悪弊が受け継がれてきていたのです。

今朝のニュースで、「体罰を受けたバスケットボール部の主将が自殺」と言った記事がありました。顧問の教師から体罰を受けたのを苦にしての自殺だったようです。二十一世紀になっても、こういった「蛮風」が残っているのですね。そこまで追い込む体罰が、運動部を強くするのでしょうか。自分を殴った上級生や先輩の顔が浮かんできます。自分が殴った下級生の顔も思い出してしまいます。スポーツの世界が、健全な精神を涵養することを忘れて、「勝つこと」だけが目的になってしまうと、おかしなことが起こるのでしょうか。やはり、人間を狂わせてしまう「暴力」は、どんな理由があってもいけないことです。かつて犬養毅首相が、青年将校たちに言った、『話せばわかる!』は、忘れてはいけない言葉ではないかと思わされたのです。

(イラスト画は、http://sauber.yaekumo.com/prof/p_inukai.htmの『まあ待て。話せばわかる!』と言った犬養毅首相です)