「鈍足」とは、足が遅いことを言います。小学校でも中学校でも、「徒競走」という種目は、大体ビリかビリから二番目といったところで、クラス対抗とか、部落対抗のリレーなどがあった時、出たかったのですが、決して選ばれたことがありませんでした。ただ一度だけ、部落対抗リレーに、就学前の選手枠で出たことがありました。上の兄二人は、いつもトップに入っていたので、『弟も速いだろう!』と選ばれたのです。山の中で崖登りは、兄たちの後をついてやったことはあったのですが、平地を走ることなどしたことがなかったのです。号砲が鳴ったら、驚いたのか反対方向に走ったのか逃げたのかだったそうで、我が部落は最下位だったそうです。こういうのを、〈期待はずれ〉というのだと思います。こういう場合、悔しくって、『来年は頑張るぞ!』となるのですが、全然、そういった気分にはなれませんでした。
それでも足は早くなかったのですが、兄たちに似て、運動神経だけはよかったようです。いろいろなスポーツをしてきましたが、一番楽しかったのは、40代だったでしょうか、上の兄が親交していた中年のおじさんたちに誘われてやった、テニスでした。春と秋には、終日のこまないときに、八ヶ岳や山中湖に出かけて、2泊3日ほどの「合宿テニス」を、毎シーズンしていました。もちろん、普段も時々やってはいたのですが、『こんなに楽しいスポーツはない!』と、新発見をしたわけです。実に楽しかったのです。楽しそうに、意気揚々と出かけている私を見ていた子どもたちが、『テニススクールに行かせて!』という風に、真似し始めたのです。下の息子は、同年代で県の2位だか3位になったのですが、そんな所で、みんなのめり込むことなく、潮が引くように、ほかのことをし始めていったようです。
『若い時に始めていたら!』と思うこともありましたが、意外に、難しいメンタルな要素の強いスポーツで、なかなか技術的に高級なものなのです。フランスの貴族の間でに生まれたものですから、やはり紳士的な面があって、やっていると自分も紳士になったような思いにされるスポーツでした。好きになったものですから、〈すこし上手になろう!〉と思い、テニススクールにも通いました。レッスンで無理をしたのでしょうか、右足と左足の靭帯の両方を、次々に切ってしまったことがあったほどでした。踏み出しに瞬発力が要求されるので、その時に怪我をしたのです。『誰だボールをぶつけたのは?』と思ったら、怪我だったのです。結構、痛い思いをしました。
今でも、したい気持ちがあるのですが、体育教師をしていた弟の弁ですと、『いくつになってもやれるスポーツなんだ!』ということです。最近耳にしたのは、昭仁天皇が、まだテニスをしているのだそうです。昭和8年生まれですから、御年78になられるでしょうか。驚かされた私は、『じゃあ、まだできるんだ!』と思わされたのです。オッチョコチョイの私ですので、どう再開するかを、よく考えていかないといけないと思っております。
下手な私の相手をしてくださった兄の友人たちの中には、すでに召されたり、体を悪くされたりしている方がおいでです。大学の運動部の選手で、日本選手権のスタメンで、球技をしていた上の兄も、今は膝に問題があったり、〈腓返し(こむらがえし、足の筋肉がつる症状)〉があったりだと聞いています。いつまでも人は若く入られないのだということを、知らされております。
でも、〈スポーツの秋〉の到来です。いろいろとしてきた私の思いが、ムラムラと沸き上がって、運動して体を動かしたくて仕方が無いのです。そのためには、普段が大切ですね。車に乗らないで、歩くことが多くなり、一生懸命に自転車にも乗ったりしたのですが、先日、自転車がとられてしまい、もっぱら歩き専門になってきています。さて、ちょっと、師範大学の構内にあるコピー屋に行ってきます。もちろん歩きとバス、そして歩きです。たけなわの秋の午前です。ではまた。
(写真は、ブログ「オーナーの写真で綴る八ヶ岳の秋」から秋の八ヶ岳の風景です)