今回の帰国で、家内から買物を頼まれていました。「純綿の肌着」を好んで着用してきている家内の唯一の拘りをでした。彼女の持っている服は、娘のお下がりや、友人たちに頂いたものを、何年も大切に着続けていて、『もう少し新しいスタイルの物を、たまには買ったら!』と勧めるのですが、返事を濁してしまいます。
肌着は毎日着用し、くりかえし洗濯をするので、消耗が大きいのです。それで、買物を頼まれたわけです。前回彼女が帰国した時に、渋谷の街を探したのですが、彼女が求めるものを見つけることができませんでした。そうですよね、渋谷といえば、「若者の街」ですから、年配の女性好みの洋品を陳列してる店などありようはずがありません。『どこに行ったら帰るかな?』と次男に言いましたら、『お父さん、巣鴨に行ったら買えるんじゃあないの!』と言われて、そうすることにしました。
山手線の巣鴨で下車して、中山道沿いを歩いて行きますと、道路の向こう側に、「巣鴨駅前商店街」と看板が出ていました(ここは旧中仙道です)。歩道橋を渡って、その道をそぞろ歩いていますと、両側に様々な店が連なっていて、呼び込みの声が聞こえてきました。ここぞと思って入店した店で、年配の商店主が、『いらっしゃい!』と迎えてくれました。『実は・・・』というと、『こちらに!』と案内してくれました。家内好みの肌着のコーナーに、遠慮がちに並べてありました。店主が話すに、『最近のご婦人は、若い方が着用するようなものを好んでいまして、お求めのような婦人肌着は、ほとんど人気がなくて、こんな売り場になってしまったのです!』と言っていました。
肌触りの好いものよりも、〈カッコウ〉や〈はやり〉や〈若さ〉が優先する時代なのでしょう。『生産の量も激減してしまいました!』と、残念そうに語っておられたのです。そういった時代の流れの中で、家内のような、昔から〈好い物〉と定評のある物に拘る人が少なくなってしまったことになります。買物をザックに入れて商店街を歩いていて気づいたのは、年配の女性が、圧倒的に多いのです。甘味処、蕎麦屋、日本的な贈答品、芋ようかんなど、やはり〈純和風〉な街なのです。そんなことを感じながら歩いていて感じたのは、『こういった商店街も、もう十年もしたら消えてなくなってしまうのではないか!』ということでした。
そういえば、去年帰国した時に、通院のための乗換駅が巣鴨でしたので、駅の周りを歩いて和菓子を買ったと思いますが、その頃、次男が、『巣鴨はね、〈おばあさんの原宿〉っていうんだよ!』と教えてくれたことを思い出したのです。今回、巣鴨商店街を歩いていて、〈おばあちゃんの原宿〉の意味が、はっきりと分かったので、ニヤリとしてしまいました。古い東京の街が消えて行く中で、わずかに残っている街並みなのでしょうか。
ちょうど昼時でしたので、ここにふさわしい食べ物をということで、「蕎麦屋」に入り、蕎麦をすすり、〈蕎麦湯〉もお願いして飲んだのですが、『日本だ!!!』としきりに思わされたことでした。こちらに戻ってきてから、『次回、帰国したら、巣鴨に一緒に行ってみようね!』と、家内と約束してしまいました。覚えておかないと。