中国の新幹線(「动车」と呼んでいます)の車体に、「和谐号hexiehao」と記されています。これは、中国のみなさんが、争いを好まないで、「和谐」を願っているからに違いありません。中国国内だけではなく、隣国の日本や世界との間で、この「和谐」を願うからなのです。辞書を引いてみますと、『調和がとれ整っている』ことで、和やかなことが願われているのです。つまり、国際関係にも、どの様な過去の因縁があったとしても、この国は、「和谐」の社会や関係を願っているのだということを知らされるのです。
どうして、中日間が、これほどの緊張を引き起こしてしまったのでしょうか。14億の国民が生きていくためには、必死になって食べ物も資源も確保しなければならない、切実で膨大な必要があるのです。私と家内は、在華七年目に入っておりますが、今日まで、中国の農業従事者が作ってくださった食物を、市場を経由して入手し、それで食べつないで生きてきたのです。『これを食べて下さい!』、『これを飲んで下さい!』と言っていただいたものもありました。電気もガスも水道も、電車もバスも船も、この国で生産され運営管理されたものの恩恵にあずかってきたのです。必死になって流通させている物の一部で、私たちは生きてこれたのです。
『お金を払ったのだから当然!』でいいのでしょうか。緊張の中でも不売運動など起きた試しがありません。ただ、きっと〈悔しい〉のだと思うのです。日本軍の放った火で、少女時代に腕に火傷を負われ、住んでいた村を焼かれた戦争体験を持つ婦人が、その事実を、『本当のことを話して下さい!』と、強引に願って聞き出したことがありました。その彼女が、握手をし、家内をながくギュッとハグしてくれたのです。自分の住んでいた村の井戸に、毒を投げ込んだ日本人がいて、何人もの人が亡くなった、そんな村で戦後に生まれて育った方が、私と家内を家に招いてくださって、『これは最近作り方を覚えた餃子のような料理ですが、たくさん食べてくださいね!』といってくれるご婦人もいるのです。家内が病んで、病院に行く時に、それはそれは息子でもしないようないたわりに満ちた手をのべて、家内の腕を支えて連れて歩いてくださった、長男より少しばかり年かさの男性がいました。また、数千元のお金を、『これを、お二人の必要のために使って下さい!』と言ってくださった二人のご婦人もいました。
何も私たちに求めて、そういったことをしてくれたわけではないのです。だから、『ちっとも私たちと私たちの国を理解してくれない!』という、〈悔しさ〉があるのではないでしょうか。木の実しか食べてなかった我々の先祖に、米などの穀物や野菜の作り方を伝授してくれたのは、この国の人です。毛皮を身にまとっていた私たちの先祖に、機織りを教えてくれ、布を織り、その布で着物を作って着るようにしてくれたのは、この国の人です。文字がなく、何も記録に残せなかった私たちに、「漢字」を教えてくれたのも、この人たちです。武力で、すこしばかり強かったので高慢になって、恩義を忘れてしまったのは、私たち日本人ではないでしょうか。
何時か、リニアカーが走るようになったら、その車体に「和谐号」と記していただき、東京から大阪に、中国の友人たちを招いて、一緒に旅行をしたいと思っています。その準備のように、東京駅が新装なったのではないでしょうか。どうも、私たちには「感謝」、「感恩」が中国のみなさんに対して足りないに違いありません。私たちに、少しの「謙遜」があったら、驚くように麗しい関係が生まれてくるに違いありません。そんな明日を夢見る、ちょっと緊張の土曜の華南の街の夕方であります。