「情」

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 とても親しくしていただいた中国人のご婦人がおれました。地方の国立大学の大学院に留学をされていたのです。大学院で研究する合間、あるスーパーマケットでアルバイトをされていたのです。お金が足りなかったのではなく、父親の負担を軽くするために頑張っていたのです。彼女の職場におられた年配の女性が、『これを上げます!』と言って、洋服を彼女に渡したのです。ところが、それが使わなくなった古着だったわけです。『中国人の苦学生だから、これ使ってくれるだろう!』とのことで上げたのでしょう。ところが、彼女は怒ってしまったのです。実に柔和で、争いを起こしたり、激しい言葉を使ったりしないで、流暢な日本語を話す婦人だったのですが。しかし、その時は、プライドを傷つけられてしまったのです。お父様は、去る省の政府高官でしたから、お父様にお願いすれば、何でも与えられたのです。父の援助を固辞しながら、一生懸命に学んでおられたわけです。

 それで、相談されたことがあったのです。私も、『父が着なくなったので、このセーターを!』とか、『兄が使わなくなったネクタイですが!』といって物をくださった方がいましたが、悪意はなかったので受け取りましたが、決して使いませんでした。貧乏はしていても、私にもプライドがあったからです。私は彼女を通して学んだのは、中国人が大切にしている「面子」のことでした。中華民族の一人であるという誇りと、伝統ある一族の末裔であるということ、私が私であるという「面子」は、財産よりも何よりも貴いことなのです。

 日本の外交は、このように、中国のみなさんが大切にしている「面子」を傷つけているのではないでしょうか。配慮が足りないのではないでしょうか。自分の国を、軍靴で踏みにじられ、多くの命を奪った過去を赦そうと精一杯の努力をしてきている中国と中国人を、真に知らない、理解しようとしないのです。私たち日本人は、戦時下に、主要都市が焼夷弾で爆撃され、広島や長崎に原子爆弾を投下されても、マッカーサー司令官が進駐軍の責任者としてやってくると、何万通もの親愛の情のこもった手紙を書き送れる国民なのです。8月14日以前には、『鬼畜米英!』と言っていたのに、15日には、ホッとして、「親米家」に豹変できる国民なのですね。中国のみなさんは、日本人のようには決してならないのです。

 中国は、「合情理法」の社会です。「理」、中国のみなさんには大切なものなのです。「理」にかなわないことは承服できないのです。それ以上に中国のみなさんが大切にしてるのが、「情」です。今回の領土問題で、強引に国有化をしてしまったことは、中国のみなさんの「感情」を大きく傷つけてしまったわけで、それで「反日デモ」が、この週末、主要都市で起きています。領事館から、「外出注意」との情報がありますので、家の中にいることにしていますが。では日本はどうかといいますと、「合法情理」で、「法」が大切なのです。『法律的には正しいのだから!』というので、相手国への配慮とか近づく努力をしないで、「法」を盾にして国有化てしまったのです。中国の社会では、日本人が大切にしている「法」は、無視はしませんが、最下位に置くのです。で、在華邦人の私を、妻も子どもたちも友人たちも、遠くから、成り行きを心配しているのです。

 今朝、教え子から、『・・・ちょっと微妙ですね、気をつけて!』とのメールが来ました。心配してくれているのを知って、励まされました。この「情」は、国境を超え、問題を越えて働くことを知らされて、とても安心した次第です。この大課題を、「合理法情」の欧米の国の指導者に仲介に立ってもらう以外にないのかも知れません。外交の「が」も知らない私ですが、『下手だ!』と思うことしきりです。

(写真上は、「美しい中国 美しい日本–日中友好40周年記念写真展」、下は、周恩来首相と田中角栄首相の乾杯風景です)

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