. 

 そろそろ、口ずさみたくなる歌があります。子どもたちが歌っていたのか、ラジオから流れてきたのか、聞き覚えのある歌ですが。こんな歌詞の歌です。

秋はいいな 涼しくて 
お米が実るよ 果物も
山からコロコロやってくる

 史上稀な暑い夏も終わって、やっと秋になったと、日本からニュースが伝わってきます。この時期の微妙な季節の変化が、日本ほど感じられない、大陸暮らしで、7回目の秋を迎えますと、ことのほか、あの感じが懐かしいのです。もちろん華南の地でも、赤トンボが飛んでいたり、果物屋の店頭には柿や栗が並んだりしていますが、まだスイカも瓜も売られています。さすがに35度といった気温はないものの、まだ27、8度ほどは日中、ありますので、日本で感じられるのとは大きく違うのです。

 今晩も、近所からBGMが聞こえてくるのですが、その中に、日本でよく聞こえてきた「横笛」の音色が、最近、よく耳に入ってくるのです。秋の収獲を祝う祭りの時に聞こえるあの笛の音です。一瞬、『アレッ、ここは日本じゃないよね!』と思ってしまうほど、音色が似ているのに驚かされています。音色だけではなく、メロディーも、「民謡」によく似ているのです。台湾の歌手が歌い、華南でもよく歌われている歌に、「爱拼才会赢」があるのですが、これが日本の流行歌、演歌と聞き違うほど似ているのです。ですから、民謡にしろ演歌にしろ、互いに影響し合って、今日を迎えているのに違いありません。

 さて、そろそろ日本では、「柿」が美味しくなるのではないでしょうか。数ある果物の中で、一番の私の好物が、この柿なのです。〈眼がない〉というのが一番、好い言い回しでしょうか。家族で長く過ごした街の近くに、柿の産地があり、「御所柿」と言われる柿が採れるのです。天皇家や宮家に献上するので、そう呼ばれたのでしょうか。それとも奈良県御所(ごせ)特産の柿の種を移植したので、そう呼んだのでしょうか。これを箱で頂いたことがありました。流石(さすが)、極上の美味しさだったのです。そんな私ですから、一シーズンに、『お好きなので!』と言って、何箱も何箱も次々に柿をいただいてきたのです。その喜びがなくなってしまった今、寂しい思いをしているのです。こちらで売られている柿は、「御所柿」を食べて舌の肥えてしまった私には、どんなに柿好きでも食べたいと思わないのです。こちらの柿には、ほんとうに申し訳ないのですが。

 どの季節も、別け隔てなく好きな私ですが、一番好きなのは、来る季節と行く季節の変わり目の微妙な感覚を、全身で感じて楽しめるのが、最高に幸せなのです。自然界が、生きている喜びと、色合いと変化をくれるのだろうと思って、感謝でいっぱいです。華南の行く夏と来る秋の間で、生を満喫しようと思っております。それでも、何処かに美味しい柿が売ってないでしょうか?秋だから食べたいのです!

(写真は、goo辞書から「御所柿」です)

平和

.  

 政治以外の世界には、中国のみなさんから、尊敬を得ておられ民間人が多くいるのではないでしょうか。地方の大学や専門学校で、地道に日本語を教えておられた、現におられる先生方が多くいます。3年ほど前になるでしょうか、市内の師範大学で教えておられた先生が、3年の奉仕を終えて帰国されようとしていました。大学が用意した車で、空港に送ってもらおうとしていた時、私たちも同じ宿舎にいましたので、挨拶のために庭に出ていました。そこに、この先生の教え子たちが、20人ほどいました。その中には、半日もの時間をかけて、バスや電車で駆けつけてきた方もいたのです。もう社会人としてで活躍している彼らと、先生との別れを、はたで見ながら、『こんなに外国の学生たちに慕われているS先生、この人の果たした役割は、実にい大きい!』と思わされたのです。

 家内と私は、このような心温まる素晴らしい光景が、陽の当たらない中国の片隅、しかも、あちらこちらでみられるのだと確信したことでした。広い中国には、日本語を教えるためにおいでになった教師は、延べ人数にすると相当なものになるに違いありません。公的な招聘で赴任してきた方、個人的に奉仕されている方、様々なケースがあるのです。S先生は、私のすぐ上の兄と同じ年齢で、高等学校で英語教師をしておられ、日本語教師の資格をとられて、おいでになったと聞きました。『教室では厳しいのですが、優しい先生でした!』というのが、教え子たちから聞いた彼の印象でした。

 こういった積み重ねてきた実績が、この国の隅々にあるのではないでしょうか。消えて行ってしまったのではなく、人々の心の中に積まれているに違いありません。今、行方がどうなるのか、憂慮される重大な事態に、中日はありますが、確固たる友好の努力が、このように高く積み上げられているわけです。それは教育界だけではなく、医療や福祉事業や、さらに実業界にもあるに違いありません。ですから、両国の関係の恢復が、きっとなされると確信しているのです。

 関係恢復のために、用いられた政治家の中には、驚くような尊敬を勝ち取っていた方、高い人間的な評価を受けた方がおいででした。40年前には、お互いの間に、敬意がみられたのですが、今は、そういった高評価や尊敬を得ているリーダーがいらっしゃるのでしょうか。聞く所によりますと、当時の外務大臣・大平正芳は、涙を流すほどの真剣さで、姫外交部長(日本の外相に当たります)を動かしたと言われています。この方は、父と同じ年に生まれていて、親しみがありました。それぞれの時代に、〈用いられる人〉が必ずいるのだと思うのです。相手の立場や考え方を熟知し、自国の主張だけを押し通してしまわない交渉術を持っている方です。今も、きっと、そんな〈備えられた器〉がいるのではないでしょうか。

 私たちの近くの町に、「氷心記念館」があって、数年前に見学に行きました。この氷心は、中国で著名な、女流文学者でした。戦後、民間レベルでの中日文化交流が活発に行われていた時期に、彼女は、招かれて東京大学で特別講座を持ち、日本の文壇のそうそうたる方々との交流を持っておられたのです。日本の文壇や教育界は、彼女を極めて高く評価して交流したわけです。私の書棚には、彼女の著作が二冊ほどあります。文学の世界には、このように互いを高く評価し合い、敬意を持って交流していた過去があるのでから、こういった過去を再評価して、さらなる文化交流がなされることを切望しております。

 S先生は、私の作文指導法について、いくまいもの資料を提供していただいたことがありました。今でも、時々メールを交換しております。温厚な方で、自分のもう一人兄貴のような気持ちにさせてくださる方です。9月も下旬、お住まいのある町は、たけなわで短い秋の真っ最中でしょうか。今、チェックしている学生の作文の中に、『中日の平和を願っています!』とありました。

(写真は、氷心女史の結婚式の時のものです)