政治以外の世界には、中国のみなさんから、尊敬を得ておられ民間人が多くいるのではないでしょうか。地方の大学や専門学校で、地道に日本語を教えておられた、現におられる先生方が多くいます。3年ほど前になるでしょうか、市内の師範大学で教えておられた先生が、3年の奉仕を終えて帰国されようとしていました。大学が用意した車で、空港に送ってもらおうとしていた時、私たちも同じ宿舎にいましたので、挨拶のために庭に出ていました。そこに、この先生の教え子たちが、20人ほどいました。その中には、半日もの時間をかけて、バスや電車で駆けつけてきた方もいたのです。もう社会人としてで活躍している彼らと、先生との別れを、はたで見ながら、『こんなに外国の学生たちに慕われているS先生、この人の果たした役割は、実にい大きい!』と思わされたのです。
家内と私は、このような心温まる素晴らしい光景が、陽の当たらない中国の片隅、しかも、あちらこちらでみられるのだと確信したことでした。広い中国には、日本語を教えるためにおいでになった教師は、延べ人数にすると相当なものになるに違いありません。公的な招聘で赴任してきた方、個人的に奉仕されている方、様々なケースがあるのです。S先生は、私のすぐ上の兄と同じ年齢で、高等学校で英語教師をしておられ、日本語教師の資格をとられて、おいでになったと聞きました。『教室では厳しいのですが、優しい先生でした!』というのが、教え子たちから聞いた彼の印象でした。
こういった積み重ねてきた実績が、この国の隅々にあるのではないでしょうか。消えて行ってしまったのではなく、人々の心の中に積まれているに違いありません。今、行方がどうなるのか、憂慮される重大な事態に、中日はありますが、確固たる友好の努力が、このように高く積み上げられているわけです。それは教育界だけではなく、医療や福祉事業や、さらに実業界にもあるに違いありません。ですから、両国の関係の恢復が、きっとなされると確信しているのです。
関係恢復のために、用いられた政治家の中には、驚くような尊敬を勝ち取っていた方、高い人間的な評価を受けた方がおいででした。40年前には、お互いの間に、敬意がみられたのですが、今は、そういった高評価や尊敬を得ているリーダーがいらっしゃるのでしょうか。聞く所によりますと、当時の外務大臣・大平正芳は、涙を流すほどの真剣さで、姫外交部長(日本の外相に当たります)を動かしたと言われています。この方は、父と同じ年に生まれていて、親しみがありました。それぞれの時代に、〈用いられる人〉が必ずいるのだと思うのです。相手の立場や考え方を熟知し、自国の主張だけを押し通してしまわない交渉術を持っている方です。今も、きっと、そんな〈備えられた器〉がいるのではないでしょうか。
私たちの近くの町に、「氷心記念館」があって、数年前に見学に行きました。この氷心は、中国で著名な、女流文学者でした。戦後、民間レベルでの中日文化交流が活発に行われていた時期に、彼女は、招かれて東京大学で特別講座を持ち、日本の文壇のそうそうたる方々との交流を持っておられたのです。日本の文壇や教育界は、彼女を極めて高く評価して交流したわけです。私の書棚には、彼女の著作が二冊ほどあります。文学の世界には、このように互いを高く評価し合い、敬意を持って交流していた過去があるのでから、こういった過去を再評価して、さらなる文化交流がなされることを切望しております。
S先生は、私の作文指導法について、いくまいもの資料を提供していただいたことがありました。今でも、時々メールを交換しております。温厚な方で、自分のもう一人兄貴のような気持ちにさせてくださる方です。9月も下旬、お住まいのある町は、たけなわで短い秋の真っ最中でしょうか。今、チェックしている学生の作文の中に、『中日の平和を願っています!』とありました。
(写真は、氷心女史の結婚式の時のものです)