石坂文学

 石坂洋次郎の青春小説に、どっぷり浸かってしまった時期がありました。何しろ面白かったのです。読み終わると本屋に跳んでいって文庫本を買い求める、これを繰り返していました。抱腹絶倒したこともありました。また思い出し笑いもしていたようです。高校を卒業する前後のことで、受験勉強からの「逃避行動」だったので、とても自由な空気を深く吸い込むことが出来た時期だったのです。ある作品の中に、剣道だか柔道の先生と修身の先生が、町の銭湯に入る件(くだり)がありました。番台に座る風呂屋の息子に、それぞれの先生の《大きさ》を聞くと、予想に反して『修身の先生のほうが・・・!』と答えるあたりは、シモネタではありましたが、決していやらしくない表現で、笑い転げてしまった覚えがあります。

 石坂は、慶応大学を卒業すると、青森県の弘前中学、弘前高等女学校、そして秋田県の横手高等女学校の国語の教師として奉職しています。その教師の経験から、学園モノを書き続け、多くの作品が映画化されたりして、売れっ子作家でした。彼の作風が健全なので、それが高く評価され、賞もとったようです。中でも一番人気は、「青い山脈」でした。今でも読まれているのでしょうか。1949年には、原節子や池部良の出演で映画化され(都合5回も映画化されているようです)、また西條八十・作詞、服部良一・作曲で、歌でも歌われています。
        
若く明るい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ

古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼(な)く

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)の
なつかしさ 見れば涙が またにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る

 戦争が終わった後に、この快活で明るい青春映画は、日本の多くの青年の心を捉えてしまい、日本映画史上の名作に数えられています。私たちよりだいぶ前の世代の映画ですが、ビデオで観たことがあります。物には欠乏していましたが、若い力がみなぎっていた良い時代だったのでしょうか。

 また何時か、日本に帰りましたら、昔読んだ彼の作品を、図書館から借り出して読んでみたいものです。現実ばかりが注目されて、「夢」が少ない時代になりましたから、この時代の青年たちには、「古典」を読むと同時に、古き良き時代の傑作、「若い人」なんか読んでみたらいいのに、と勧めたいものです。この「若い人」は、横手高女時代に書き続け、昭和8年から12年までの間、「三田文学(慶応大学)」に断続的に連載されたものです。石坂は後になって、『当時の暗い実生活から抜け出したいために、華やかで放恣(ほうし)で無惨で美しい人間の崩れいく精神と肉体の歴史を綴りたかった。』と語っています。恋愛など、ご法度の時代に、時代に対するささやかな文学者の抵抗が、こういった小説を書かせのでしょう。何でも言える時代になったのはいいのですが、無秩序で非建設的な主張で騒々しい今より、よかったかも知れませんね。

(写真は、石坂洋次郎が教鞭をとった横手市の横手公園の「かまくら」です)