目には青葉 山ほととぎす 初鰹
この有名な俳句は、山口素堂が詠んだものです。鰹の刺身、タタキの好きな私にとって、垂涎(すいぜん・すいえん)ものであります。先日、アパートの道路を挟んだ向こう側にある、大きなショッピングモールの中に寿司店が開店しました。そこに入って、「カツオの握り」を注文したのです。この時期になると、やはり食べたくなるからなのです。しかし、期待した味ではなくて、少々がっかりしてしまいました。もちろん大陸で、カツオの寿司は贅沢過ぎる要求に違いありませんし、「初鰹」など及びもつかない法外な願いに違いありません。でも、田舎者の私でも、女房を質草にしてでも、この「初鰹」は食べたいと、闇雲に願った江戸っ子に、連なりたいのです。
甲州の八ヶ岳を仰ぎ見る農村に生まれた素堂にとって、食べることが出来たのは塩漬けの魚か、干し魚くらいだったに違いありません。また、武田信玄が富士川の流れを沢登りさせて運んで、塩に漬け込んだ「鮑」を、醤油で煮込んだ「煮貝」を作らせましたが、高価ですが、それくらいしか食べられなかったはずです。俳句を読んだ素堂は、江戸の都に出て、この「初鰹」と出会ったのでしょうか。黒潮に乗って登ってくる活きのいいカツオを、江戸っ子は「初鰹」と呼んで、珍重していたのです。
山育ちの素堂にとって、どんなに美味しかったことでしょうか。それで、この句を詠んだわけです。青葉が陽に燃えて輝いているのが目に入り、不如帰の鳴音を聞き、とれたての活魚を食するという初夏の江戸っ子の生活が、目に浮かぶようです。私も素堂といくつかの沢違いの山の中で生まれていますから、海産物への思い入れは、相当なものがあるのです。
『青年は希望を胸に秘めて生きよ!』と、学生たち激を飛ばした私です。今度帰ったら、前々回の帰国時に、息子と娘が連れていってくれた、新宿のデパ地下の回転寿司に行ってみたいと、しきりに思ってしまいます。この小さな「希望」は許されるでしょうか。
(写真は、http://ameblo.jp/honnori-heiwa/image-11255780158-11983334827.htmlの「鰹のさしみ」です)