肝(きも)を据える


  第五福竜丸が、ビキニ環礁で被爆したというニュースがあったのは、小学生の頃でした(1954年3月1日)。広島と長崎で被爆した我が国にとっては、悪夢を呼び覚ます一大事件でした。小学生の私でしたが、驚いて新聞を見、ラジオを聞いたことを昨日のことのように覚えています。被爆された船長の藤山愛一郎さんの名前まで思い出せますが。次男が、この事件を知っていて、質問してきたのには驚かされたのですが。

  地震と津波で被害を受けた福島原発の事故は、精一杯に収集作業が行われていますが、昨日は、3人の東電職員が被爆されたと伝えていました。また飛散した放射能のヨウ素が農産物や水道水に混入されているとして、福島県近県や首都圏で大騒ぎになっています。確かに怖いことに違いないのですが、過剰反応を見せているのではないでしょうか。福島産ほうれん草を売ることも食べることも危険、金町浄水場から配水されている地域の水道水を赤ちゃんに飲むことを禁じる勧告も、『うーん?』と思ったのは私だけでしょうか。昨日の段階では、汚染濃度が危険値を遙かに超えていると伝えていましたが。こういうのを、「一喜一憂」というのでしょうか。こんどは、千葉産の農産物が、やり玉に挙げられています。右に左に揺さぶられて、不安が増し、恐怖心を増幅していき、よい結果にならないのですが。もちろん情報を出し惜しみしたり、秘匿することはいけませんが、冷静に判断して、もう少しのんびり、どっしりと肝を据えてもいいのではないでしょうか。福島のほうれん草の生産者の方が、テレビでインタヴューされていたときの焦燥した表情を忘れられません。

  「武士の三忘」という言葉があります。戦場に遣わされる武士には、3つの忘れなければ任務を遂行することができない大事があるのだそうです。1つは《家》、2つは《妻子》、3つは《わが身》です。原発で働かれる東電職員は、職務上の当然な業務以上に、この放射能に冒されるという危険を覚えながら、執務しているのは、まさに「武士の三忘」の決意に違いありません。30年先に、生きていられる保証など1つとしてない私たちが、将来を恐れるあまりに、マリオネットのように情報に踊らされて、危機の先取りをしているのはいただけません。

  いつでしたか、「かいわれ大根」が悪人にされたときに、時の厚生大臣が、苦い顔をしながら食べている様子をテレビで放映していました。あの方が、今の総理大臣ですが、ぜひ、首相会見の折に、おひたしにしたほうれん草を、金町の浄水場でくんだ水でわかしたお茶でも飲みながら、明るい表情で食べてほしいと思います。首都圏の需要のための農産品の生産に従事されるみなさんを安心させていただきたいのですが。言い訳よりも、はるかに説得力に溢れて、国民の思いを安心な領域に連れて行くことができますが。危機の中だからこそ、厳粛な事態だからこそ、心配を増幅してしまわないような配慮がほしいものです。

(写真は、社会福祉法人・南東北福祉事業団による、福島県会津若松市「鶴ヶ城」で、一刻も早い冬から春への変化を願います)

祈念無事


  原発事故処理に当たっておられる消防隊員、警察官、防衛隊員、東電社員のみなさんの勇気と使命感をもって、国を最大危機から救おうとする任務ぶりを、ここ遠隔の地・首都圏から応援するにつけ、《日本人の強さと弱さ》について、中学校の3年間担任として、社会科の担当として教えてくださったK先生の言葉を思い出しています。中学入学当時、三十代の後半だった先生でしたから、戦時には兵役に就いていたのではないかと思っていました。

  師は、戦争体験については何一つ語りませんでしたが、サイパン島の崖上から投身自殺をする婦人たちを、遠くからアメリカ軍艦上から撮影した映像を、課外の視聴覚教室で、中学3年の私たちに観せてくれました。悲劇を生んだ戦争への警告を、平和の中で教育を受ける私たちに告げたかったのか、と思ったことでした。中学3年といえば14歳、少年兵、予科練兵として兵役に就き得た年齢でしたから、観て当然、過去を知って当然であると判断されたからなのでしょう。K先生が言われたのは、『日本人は兵士になる適性をもっともよく備えた国民です!』ということでした。その理由を3つ挙げられました。1つは、《命令に対して従順》、2つは、《残忍になれる》、3つは、《死を恐れない》といわれました。『この身に、そんな資質を帯びているのか!』と慄然とされた頃のことを思い出します。

  2008年の秋だったと思います。私たちの若い中国の友人のおばあちゃんが、私たちを初めて食事に招いてくれました。私たちが「日本語研究会」を持っていることを知った彼が、忠実に集ってきて、その交わりを楽しんでいました。その孫に示してくれる世話への感謝を、私たちに表しかったからでしょうか、14種類ほどの料理を食卓に載せて用意してくれました。その大歓迎ぶりに驚かされて、その好意を無にしたくなく勧められるままに満腹以上にご馳走になってしまったのです。

  このおばあちゃんは、南京や上海に近い江蘇省の田舎で生まれ育ち、人民解放軍に従軍して、高級将校のご主人と、朝鮮動乱に参戦された過去を持っておられます。退役された今は、閑静な「干休所(退役幹部将校の宿舎)」にお二人で住んでおられます。食卓で、戦時中のことを謝罪した私は、『おばあちゃんの戦争体験について正直に語ってくださいますか?』と、無理に求めたのです。彼女は、苦渋の漂う表情の中から、やっとのことで話してくれました。彼女の育った村もまた、日本軍の攻撃を受けて焼かれ、多くの住民が殺されたのだそうです。彼女自身も、その放たれた火で火傷を負われたとのことでした。その彼女の招きが、「日本鬼子」の私たちへの彼女の《赦罪》だったのを知って、どんなに感謝したことでしょうか。従順という名の《盲従》、鬼畜のような《残忍》、死を恐れない《玉砕精神》が、ひとりの少女の体と心を傷つけたことになります。そんな《ひとり》が、中国大陸と東南アジと太平洋諸島に夥しくいるのです。そんな一人の人の心に、少しの癒やしをもたらすことが、彼女の孫を介してできたのかも知れません。

  戦時にみられた日本人の《弱さ》が、多くの悲劇を残しはしたのですが、今まさに、「福島原発」の復旧の業に従事している諸氏の中に、それにかわる《強さ》をみています。その死を恐れないで救国の業に励む姿は、《光輝》を放っております。命令されたのではなく、自発的に献身している姿は雄々しく《忠誠(職務と同朋へのものです)》そのものです。人を滅ぼしてやまなものへの怯むことのない攻撃精神は、《武士(もののふ)の心》であります。

  日本と日本人が、長い歴史の中で培い、天から賦与された《強さ》を身にするみなさんの献身を、心から誇ります。また私の心は、今、感謝で溢れかえっております。ご無事を衷心より祈りおります。有り難うございます!

天来の知恵

 

 

本来なら中国に戻って担当を任されました日本語科の授業のために、ひがら準備や提出された学生のみなさんの「作文」の添削で、時を過ごしていますのに、家内の入院手術に、ともにいてあげたくて、日本にとどまっております。それで、3月11日に起きました「東北関東大震災」と、それに伴って発生しました「福島原発事故」の報道ニュースに注目させていただいております。おととい、次男の家で家内と3人で、池上彰さんの「学べるニュース~生放送3時間~(tv asahi)」の番組を観ていました。この番組に、東京工業大学の原子炉工学研究所准教授の松本 義久さんが出演されておりました。

長男と同世代の研究者ですが、私たち素人にチンプンカンプンな専門的な話をされるのかと思って、耳を傾けていましたが、話しぶりは巧みではありませんが、平易な言葉で理解できるように話されており、つい聞き入ってしまったのです。松本准教授が、番組のおしまいに、この放射能汚染の危機のただ中で、大きく揺れ動く東日本の窮状のただ中で、『「お守り」があるんです!』と言われました。『今回の一連の流れの中で、2つの放射能があるんです。1つは、《本当にこわい放射能》、もう1つは、《本当は怖くない放射能》です・・・』と話され、『この《本当に怖い放射能》に立ち向かいながら、この事態を収束させようと頑張っていらっしゃる働くレスキュー隊のみなさんには、ほんとうに敬意を表します。』と謝辞を述べておいででした。

日本存続を大きく左右する現場で、放射能の汚染に冒される危険を顧みずに、一命を賭して働かれていらっしゃるみなさんへの感謝こそ、この未曾有の国家的危機を脱するために、私たちのできることだと知らされたのです。政府の対応の稚拙さ、東電の周章狼狽ぶり、福島県民の怒りと戸惑い、近隣の都県の住民の恐怖、世界中が声を上げている放射能汚染の影響、報道ニュースは、次から次へと伝えていますが、《事故現場》だけに、解決の要諦があります。『税金の無駄遣いだ!』、『憲法違反だ!』と揶揄避難されてきた自衛隊の隊員のみなさんの雄々しく危機に立ち向かい介入される姿に、背筋の伸びる思いをさせられています。警察官、消防隊員、東電の社員や下請け企業にみなさんが、最前線に立って怯(ひる)まない姿こそ、《益荒男(ますらお)》そのものではないでしょうか。

多くの危機を超え6000年の間生き続けてきた私たち人間の内側には、《天来の祝福》が宿っているのではないでしょうか。松本さんは、日本人の受け継いできたDNA(遺伝子)についても触れていました。『・・・恐れるあまりに大事なものを失ってきている・・・これだけは伝えたいと思います。私たちの体は、放射線から守る、すごい《お守り》を持っているんです。それが遺伝子・DNAなんです!』とです。否定的なことにだけ目を向けて、慌てふためいている日本人に、『だいじょうぶ、恐れるな!慌てるな!落ち着け!』と肯定的なとらえ方を訴えておられました。この科学者というよりは哲学者のような勧めに、池上さんも、解説の鈴木さん、キャスターも言葉を失っていたようです。

頑張っていてくださるみなさんが大勢いますから、私たちも頑張りたいものです。父や母、祖父や祖母たちは、幾多の困難や危機を超えて、この素晴らしい国土を、そして地球を守り残してきてくれたのですから。何よりも、造物主の《憐憫と恩寵》、全地の統治者からいただくことのできる、人知を超越した《天来の知恵》を信じたいのです!

※ この番組はyoutubeにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=wiaZKkEcCGM

(写真は、http://www.furipe-world.com/Asia/JPNの「富士と桜」です)

真理


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)
2011.03.24
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しか し、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、 あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のこと を述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自 分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。 「今日ひとりで海を見てきたよ。」そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなの だ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを 抜かすな。いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、 今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。 原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊 も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの 供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということ は何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司

警察官


ロシア上院のトルシン第1副議長は18日、東日本大震災で事故を起こした福島第1原発で放水などの冷却作業を続けている自衛隊員や警察官らを「自己犠牲をいとわない英雄」と称賛した。インタファクス通信が伝えた。

関連記事

* 福島原発3号機への放水、今夜に再開も
* 自衛隊が原発への放水開始

記事本文の続き トルシン氏は、現場での決死の活動に「頭が下がる」とし「彼らは危機を解決してくれるだけでなく、とても大切な見本を示している」と指摘。

 今回の原発事故が収束した後も「日本の若い世代はこの英雄的な人々を忘れず、将来は自分の子供のために犠牲を払うだろう」と述べた。(共同)

(福島原発で公務を行う「警察官」です)
○http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110319/dst11031920030074-n1.htm
 「史上最高の駐在さん」自らを犠牲…市民の命守る2011.3.19 20:00 (MSN産経ニュース)

東電社員


福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。

 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。  男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。

 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。

 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。(gooニュース1103165:30)

(写真は、「福島原発・衛星写真」です)

強面の涙


 福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が21日、東京都渋谷区の消防学校で行われた。石原慎太郎知事は参加した115人を前に感極まり、何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べた。
 「みなさんの家族や奥さんにすまないと思う。ああ…、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」。隊員からの活動報告を受けた石原知事は、涙を隠さず、深々と礼をした。

  石原知事は、被曝(ひばく)覚悟の活動を「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減され た」と称賛。さらに、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、こ れにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせた。

 活動報告会に参加した隊員の一人は「あの強気の知事が涙を流して礼を言ってくれた。上から物を言うだけの官邸と違って、われわれのことを理解してくれている。だから現場に行けるんだ」と話した。(MSN産経ニュース・2011.3.21 21:35)
(写真は、東京消防庁で行われた「救援活動報告会」での石原東京知事です)

北京のランダム・ウォーカー

日本人のDNA

第一報は、親しい中国人の新聞記者からの電話だった。私は天安門広場近くのフレンチ・レストランで、フランス人の知人と遅いランチをとっていた。携 帯はマナーモードにしていたが、あまりにしつこく鳴るので取った。「日本が大地震で大変なことになっている! 未曾有の大災害だ。震源地の仙台の知人にす ぐに連絡して、コメントを取ってくれ!」
 眼前に顔が浮かんだ仙台の友人に電話したが、かからない。そこで東京の知人や、埼玉で年金暮らしの両親に、次々かけてみたが、まったく不通だ。急 いで帰社し、ネットテレビを見て愕然とした。テレビの向こうの我が祖国が、メルトダウンしていく。本来ならまもなく日本列島で桜が満開になる美目麗しい季 節だというのに、何ということだろう・・・。
 私は両拳を打ち振るわせながら、中央電視台の画面を食い入るように見つめた。そこには、まるで昨年北京で観た映画『唐山大地震』のような廃墟が広 がっていた。仙台、石巻、気仙沼・・・。買ったばかりの車を東京から駆って、これらの美しい町を回ったのは、いつの頃だったろう? 祭りに興じる男たち、 優しかった温泉の女将、畑の中を駆け回っていた子供たち。私の脳裏にあった木訥とした東北地方の「原風景」は、すでに「地獄絵」に変わっていた。
 その後、中国人の知人から山のような慰問のメールが来て、電話が鳴って、ショートメールが届いた。その数は、100件を超えた。それにいちいち対 応しているうちに、深夜になってしまった。普段はとかく淡白な中国人が、実はヒューマニスティックな人々であることを再認識した。
 思えばこの国は、常に「危機」と隣り合わせだ。そのため、危機に直面した人の気持ちには敏感なのだ。
 例えば私は、この地震の日の朝にも「危機」に直面した。朝自宅近くのバス停に立っていたら、後方から突然、「ドドドーン!」という轟音が鳴り響い た。驚いて振り返ると、高層ビル建築工事の過程で、10階建ての旧いマンションを倒壊させたのだった。工事現場には覆いもなければ、何の予告もない。瞬く 間に灰色の煤煙が押し寄せ、バス待つ人々の服と顔は変色した。私は煤煙を吸い込んで噎せこみ、呼吸困難で死ぬかと思った。
 その前週には、近所を歩いていて、マンションの12階で夫婦喧嘩と思しき罵声が聞こえたかと思うと、窓から大型の椅子が放り投げられ、私の眼前で 砕け散った。あと五歩速足で歩いていたら、私は即死していただろう。本当にこの国においては、いつ何時どんな「危機」が襲って来るかしれないのだ。
 ともあれ、本当に瞬く間に、一週間余りが過ぎた。その間、中国のテレビは、4つのチャンネルで、ほぼリアルタイムで24時間、「日本大地震特集」 を流し続けたし、新聞は毎日10ページを超す特集を組んだ。日系企業の一駐在員の私さえ、中国のいくつかのメディアから、寄稿やインタビューを頼まれたほ どだ。
 そうした中で、私は一つ興味深いことに気づいた。今回の地震報道によって、図らずも中国人たちが、日本を「再発見」したのである。
「避難所で中国人を助けています」
 北京や上海などの日本大使館、領事館は今回、例外的に中国人記者たちに、即日取材ビザを出した。そのため、100人を超す中国人記者が、地震発生 後に海を渡った。彼らは日本のワイドショーのレポーターよろしく、独自に日本を徘徊しては、その模様を微に入り細に穿って、中国国民に向けてレポートし続 けた。例えばこんな具合だ。
 「私はいま、コンビニの店内に来ています。はい、この棚にはここからここまで、ほんのいま前まで、ズラリとパンが並んでいましたが、もう僅かしか 残っていません。でも外へ出てみると、ご覧ください。静かな人の列が、ずっと向こうまで続いています。『どのくらい並んでいますか?』『3時間くらいで す』。彼らは、わずか数個のパンを買うために、一言も文句を言わず、3時間も並んでいるのです。日本人の我慢強さには驚嘆します」
 「現在、早朝6時。ここは避難所になっている体育館です。いま赤ん坊の泣き声がしました。老人たちが起き出します。このように避難民たちは、不眠 に苛まれる夜を過ごしていますが、まったく混乱は起きていません。ここに中国人の避難民がいます。『大変でしょう?』『ええ。でも日本人は、われわれ中国 人を心から助けてくれています』」
 「この見渡す限りの瓦礫の山を見てください。ここに立つと、思わずレポートする言葉も詰まります。さらに驚くべきことに、これほどのカオス状態に陥っても、日本においては強盗などの犯罪が、ほとんど皆無なのです。まったく信じられません」
 「福島の原発がいま、最終局面を迎えています。しかし約50人の東京電力社員たちは避難を拒否し、自分たちの意思で残っているのです。専門家によれば、残った場合、2週間以内に死ぬ確率が高いそうです。いったいこの日本人の責任感とは何でしょうか」
 このような感じである。ちなみに、中国のテレビが「ワイドショー」と化したのも、今回が初めてのことだ。中国国内の報道では、とてもこのような自由闊達なレポートはできない。
生まれつつある「日本を救おう」の動き
 逆説的な言い方だが、このような悲劇を経て初めて、中国人は日本人を自分たちと同じ目線で見ることができるようになった。換言すれば、日本人は決して「鬼っ子」ではないことに気づいたのだ。
 そしていまや、支援の輪は全中国に広がっている。日本留学組を中心とする著名な学者たちが100人委員会を作って、日本への寄付を呼びかけ始め た。芸能界、スポーツ界が動き始めた。市井の人々にも、「日本を救おう」という気運が高まっている。日本に対するこんな「空気」は前代未聞のことだ。
 日本からすれば、図らずも日本人の「矜持」を中国に示すことができた。上述のように、中国人レポーターたちが日々、日本の現場から送っているの は、日本人に対する「驚嘆」であり、「畏敬」である。中国人レポーターたちは、2008年の四川大地震や2010年の青海大地震と似たような自然の惨劇を 目にしながら、違った人々の行動様式を見ているのである。
 今春、10万人近い中国人が、日本への「お花見ツアー」に出かける予定でいた。これはほとんどキャンセルとなる見込みだが、日本としてはこんな短期的な減収に落胆する必要はない。
 中国人は今回、日本という国がとてつもなく偉大な先進国であることを再認識したからだ。戦後66年間にわたって中国人のDNAに埋め込まれた「悪の日本人観」は、大地震によって完全に「崩壊」した。それは中国だけでなく、韓国や他の近隣諸国・地域も同様だろう。
 日本としては、このことを「不幸中の唯一の幸い」と考えるべきである。アジアはついに、「友好な隣人」となったのである。
(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2284 からの転載記事)

「これぞ日本人」中国人20人を救出した佐藤充さん

○中国人研修生に捧げた命「これぞ日本人」中国人20人を救出した佐藤充さん

最終更新:2011年03月21日 15時55分
 いざという時こそ、人の真価が問われる。11日に発生した東日本大地震で、自らの命を顧みることなく、中国人研修生20人を助けて、自身は津波にのみ込まれて亡くなったと見られる日本人男性が、中国など世界で広く報道され、その命を惜しむ声が今でも止まない。

 この男性と同じ国・日本に生まれたことを誇りに思う。この男性とは原発基地もある宮城県・女川の水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務のこと。

 中国の各メディアによると、同社には、20人の中国人を研修生として受け入れている。地震発生時には、「津波が来る」と寄宿舎の研修生たちを高台に先に避難させて、その後はもう一度寄宿舎に戻り、家族を捜しに行ったのだという。

 だが、研修生たちが佐藤さんの姿を見たのはそれが最後だったという。佐藤さんと家族はまだ行方がわかっていない。

 「あなたのことは絶対に忘れることはない」「災害の前には、国を超えて我々は人間なのだ」「愛に国境はない」などと、報道では称賛の言葉が並んでいる。

(写真は、女川の「佐藤水産」の研修風景です)

○http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110320-00000013-rcdc-cn」
○http://htn.to/BMMfAq