◯略奪起きない日本を称賛 大震災でアルゼンチン紙 【リマ共同】「なぜ日本では略奪が起きないのか」。南米アルゼンチンの有力紙ナシオン(電子版)は16日、東日本大震災の被災地で、被災者らが統制の取れた行動を取っていることを驚きを持って報じた。中南米では、昨年1月と2月に起きたカリブ海のハイチと南米チリの大地震の際、混乱した被災者らがスーパーなどから商品を略奪し、強盗被害も多発した。紙は茨城県内にいる特派員の情報として、被災者がわずかな食事の配給のために根気よく一列に並んで待っている様子を紹介。「仕方がない」と「我慢」の二つの言葉を胸に耐える日本人の強靱な精神をたたえた(excite110317)。
◯阪神大震災の直後、被災した子どもたちが描いた絵には荒々しいタッチで赤い色が多用されていた。真っ赤な海、火を噴く山、血を流す無数の人々、赤い天使▼ 「言葉にできない激しいショック、恐怖、不安を、赤という色や残酷な表現で吐き出そうとするのです」。色によるメンタルケアを実践する色彩心理学者、末永 蒼生さんから聞いたことがある。赤は生命を奮い立たせる色でもあるそうだ▼末永さんたちは震災後すぐから1年間、避難所や児童館を回って子どもたちと一緒 に絵を描くボランティア活動を続けた。色を使って泣いたり怒ったり、感情を発散して子どもたちは次第に癒やされていったという▼死の恐怖に襲われた子、家 族をなくした子、悲惨な光景を目の当たりにした子、避難所でおなかをすかせ寒さに震える子。今度は東日本大震災が子どもたちの心を深く傷つけ続けている▼ 被害が小さく見える子もどんな痛みを抱え込んでいるか知れない。できるならばすべての子どもたちに画材を届けたい。水も食べ物も暖房も足りないこんな時に と言われるかもしれないけれど、こんな時だからこそ心に手当てが要る▼絵を描こうよ、子どもたち。クレヨンや色鉛筆で今描きたいものを自由に、好きなだけ 描こう。そして、我慢せずに泣いてもいいんだよ(河北新報社「河北春秋」17日)。
◯同じ心を、昔の人は歌に詠んでいる。〈うらぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる〉。さして昵懇(じっこん)の間柄でもなかったあの人が、憎まれ口を叩(たた)き 合ったこの人も…◆失意と逆境のときに触れる他人の情けほど、骨身にしみてありがたいものはない。米国はもとより、中国やロシアを含む十数か国から救助隊 が来日し、東日本巨大地震の被災地で困難な救援活動に加わってくれている◆外電という形で届く“情け”もある。英紙インデペンデントは1面全面を使って 「日の丸」のイラストを掲げ、日本語で〈がんばれ、日本。がんばれ、東北〉と書いた◆デイリー・ミラー紙は宮城県南三陸町の被災地ルポを載せ、〈泣き叫ぶ 声もヒステリーも怒りもない。日本人は、黙って威厳をもち、なすべき事をしている〉と感嘆をもって伝えている◆イタリアでプレーしているサッカーの長友佑 都選手がピッチで掲げた「日の丸」には〈一人じゃない みんながいる!〉とあった…。いま、こうして書いていて、文字がにじんでくる。あの地震が起きてか らというもの、涙を燃料に毎日を生きている。そんな気がする(読売新聞「編集手帳」17日)
◯避難所の春風 象徴派詩人で「青い山脈」などの歌謡曲の作詞もした西条八十は関東大震災の日の夜、東京の上野の山で夜明かしをした。眼下に広がる市街は一面火の 海で、避難してきた人々も夜がふけるとともに疲労と不安、飢えで口もきかなくなった。すると近くの少年がポケットからハーモニカを出した。詩人は驚いて吹 くのを止めようとする。この悲痛な夜半にそんなことをすれば、周囲が怒り、殴られかねないと思ったからだ。だが止める間もなく、曲が奏でられた。危惧は外 れた。初めは黙って化石のように聞いていた人々は曲がほがらかになると「私語(ささやき)の声が起こった。緊張が和んだように、ある者は欠伸(あくび)を し、手足を伸ばし、ある者は身体の塵(ちり)を払ったり、歩き回ったりした」。荒冬の野に吹いた春風だったと詩人は回想する。11県で約41万人が避難生 活を送る東日本大震災の被災地である。きのうから冬型の気圧配置が強まり、暖房のない避難所ではつらい一夜となったに違いない。寒さに加え、水、食料、医 薬品の不足も依然解消されていない。被災地は広域に及び、交通途絶が続く。自治体機能も回復せず、ボランティアもなかなか入れない。そんな避難所での被災 者同士の助け合い、いたわり合いを伝えるニュースには目頭が熱くなる。きっと上野のハーモニカ少年のように希望の春風を起こす人もいよう。被災地で不足が 目立つ輸送用燃料をめぐり政府は国民に買い占めの自制を呼びかけた。遠くの土地の不用意な行動も、いてつく避難所の人々と無縁でありえないこの列島の暮ら しである。連帯の春風はそのどこからでも届けられるはずである(毎日新聞「余録」17日)。