「新宿」、山手線と中央線の交差駅で、京王線や小田急線や西武線の始発着駅でした。今では、地下鉄の路線がいく本も入っていますが。それにしても、かつて路面を走っていた都電も消えてしまい、今では都電・荒川線だけが残るのみになってしまったのはとても寂しいものです。地下鉄の日比谷線に恵比寿から乗り込み、「日比谷」で三田線に乗り換えますと、山手線巣鴨に接続します。この駅の1つ先に、地下鉄三田線の「西巣鴨」があります。電車の乗り換え案内に、『都電・荒川線は乗り換えです!』と車内放送が流れてきます。つい誘われて、降車して昔懐かしい都電に乗りたくなるのですが、「志村坂上」の家内の入院先に行く必要があって、いまだに果たせないままでおります。今度いつか、降りて乗ってみようと思っていますが。学校に行っておりましたときに、キャンパスを出ますとすぐそこに都電が走っていまして。『チン、チン!」』とやってくるのに乗り込むと「銀座」に行くことができました。なにも用がないのですが、時間をもてあましては、「銀ブラ」をよくしたものです。
でも、大方は通学途中の「渋谷」や「新宿」で降りる機会が多かったのです。何時でしたか札幌から来ていた同級生と一緒に、「伊勢丹」の隣にある「末広亭」に、落語を聞きに行ったことがありました。『行ったことがない!』というので連れていってあげたのです。何度行ったことでしょうか。
「落語」といえば、文豪の夏目漱石は、足しげく寄席通いをした人だったそうで、彼の文学の骨子になっているのは、江戸伝来の「落語」だとも言われています。庶民の話し言葉が、文学の中の会話に組み込まれ、表現されていったようです。フランス語が、ジャン・カルヴァンによって、ドイツ語が、マルチン・ルターの貢献によって作られたと言われるのですが、日本語は、夏目漱石の作品の影響が多大だと言われますが、もう少しさかのぼりますと「落語」に行き着くことができそうです。そうしますと、「バカぱなし」といえなく、『たかが落語、されど落語!』といわなければならないのではないでしょうか。
落語の世界で名人と言われた噺家が何人かおられます。古今亭志ん生、柳家小さん、三遊亭金馬、桂春団治など何人も「名籍」を上げることができます。六代目の三遊亭円生は、その筆頭でしょうか。円生師匠は6才の時に、20席ほどの演目を持って、高座に上がるほどだったそうです。通常、真打は、30~40年の間に努力して100席ほどが普通なのだそうです。ところが、この円生師匠は、何と300席を、いつでも、どこでも自在に演じることが出来た、稀代の噺家だったそうです。『え~一席、ばかばかしいお話を・・』と言って話し出す落語なのですが、そ れだけ、たゆまぬ研鑽を積まれた円生師匠に敬意を覚えさせられ、さらに落語好きな人間とされてしまいました。
「え~一席、『国は大きい方がいい!』、そう中国の胡錦濤主席が言います。『いいえ、国ってのは小さいにこしたことはない!』と、バチカン市国のローマ法王がいい、二人の間で、ああでもない、こうでもないと論争が始まっていまいました。そこに猫に追われて、方法のていで逃げてきた鼠が一声、『チュー!』。お後がよろしいようで。」
(写真上は、東京都交通局の「昔の新宿・都電)、中は、雑誌サライ所収の「六代目三遊亭圓生」、下は、「夏目漱石」です)