感動!~Twitterから~

◯国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」 に感動した。良い事をしたら戻ってくるのです。これがいい例なのです。

外国人から見た地震災害の反応。物が散 乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお 年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。

ディズニーランドでは、ショップのお菓 子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たち にお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。

日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、東北の交通整備をヤクザさんがやってるという話も聞いた。最近、日本に対して誇りを持てな いことが続いていたけれど、そんなことない。日本は凄い国だ。素直に感動してる。日本国の皆さん頑張ろう!

長女いわく、横浜の避難所に向かう時に、知らない人達と声を掛け合い、場所を教え合っていたそうです。普段は冷たいと思っていた他人の優しさに触れ、感動したそうです。日本人のいざという時の団結力を再認識しました。まだまだ日本も捨てたものではないです。

バイト中に地震があってほぼ満席の状態 からお客さんに外に避難してもらいました。食い逃げ半端ないだろうな、と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。ほんの少しの戻 られなかったお客さんは今日わざわざ店に足を運んでくださいました。日本ていい国。

気仙沼の友人からメールが届いた!「生き残った人たちは皆元気。ヘドロと重油の中でお風呂もトイレもなく、汚れた手でご飯食べてる。悲惨な話も山ほどだけどそれ以上に感動ドラマも!必ず復活するから待っててね」と。涙が止まらない。

@juliashortreed:被災地で、こどものケアのためアンパンの歌を流したところこどもは、大喜び。それ以上に、親たちが号泣されたとのことです。子供たちのケアも重要。親たちは、子供の笑いを待っている。

募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。母「貯めてたのに本当にいいの?」子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」と言いお年玉袋から5000円を寄付。母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。

父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。

避難所で、4人家族なのに「分け合って食べます」と3つしかおにぎりをもらわない人を見た。凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合う人を見た。きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た。

被災地(茨城県)に住む両親にうち(千葉県南房総市)に来るように連絡したら怒られた。親父曰く「俺よりひどい被害を受けた人が避難していないのにそんなことはできない、復興が終わったら行ってやるから、自分のできることをやれって」。 ちょっと感動した。

(写真上は、女川町のかべに書かれた「激励文」、下は、http://www.kashikoi-ooya.com/2010/12/post_421/の「おにぎり」です)

国難

開闢以来の国難に直面した日本、国外からの救援、支援が寄せられています。また未曽有の辛酸を味わっている被災地のみなさんへの評価が、海外から寄せられています。想像を絶する危機の中で、冷静で沈着な行動をとっている被災者の姿、救護にあたる消防署員、警察官、自衛隊員、自治体職員の命を賭した活動を、国外の方々が驚異のまなざしで眺めているようです。もちろん被災されていない日本の他の地域に住むみなさんからの《応援のメッセージ》も寄せられているようです。かつて、父や祖父の世代が、廃墟や焦土や欠乏の中から立ち上がれたことは、今回の大震災、津波、原発事故の困難さの中からも、復興してくための《遺伝子》を、この世代人も受け継いでいるのだと確信させられます。もちろんこの時には、銃を向けた相手国からの信じられない復興支援があったことも忘れてはなりません。イギリスの新聞には、『ガンバレ日本。ガンバレ東北。』と一面に掲載されていました。溫家宝首相も、『日本の今の必要のために、国を挙げて届きたい!』と全人代の折に支援の約束をしてくださいました。また私たちに、中国の友人たちや次女の住むアメリカの友人や知人からの安否の問い合わせがありました。うれいいことです。

今、私たちが住んでいます家のすぐ近くにスーパーマーケットがありますが、ここで売られています保存のきく食品の棚に、全く商品が見当たりません。おとといコンビニにアイスクリームを買いに行きましたが、同じでした。『食べ物がなくなってしまう!』と思うのでしょうか、マスコミが保存食の備蓄を勧めているからでしょうか、買いだめに走っている姿を見受けます。今回の東北地方の被災地の避難者には、冷蔵庫も保存庫もなく、買いに行く足もないのです。救援物資にだけ頼るような窮乏生活をしている現実なのです。そういった被災者の現実を知っていて、そういった行動に走りまわるのは、実に恥ずべきことではないでしょうか。一人ひとりの今日一日の必要を賄えるのなら、隣の人の必要も充分に満たされるのです。同胞の困難を共有しようといった意識が欠けているのは寂しいかぎりです。

私の愛読書に、「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しを分け合うたに生まれる。」、「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いの満ちた家にまさる。」とあります。被災地で、『1つのおにぎりを4人で分けて食べました。』、『一本のバナナをふたりで分けあって食べました。』ということを聞くにつれ、『自分だけ!』、『自分の家族だけ!』といった、被災しなかった地の生き方は、海外の被災地の人々への賞賛の声とは裏腹なのは、日本と日本人の矛盾なのでしょうか。

中国の挨拶言葉に、『喫飯了没有?』があります。『こんにちは!』といった日常の挨拶に用いる言葉なのですが、その意味は、『メシ喰ったか?』です。中国で五年間生活してきて、想像しているのですが。内乱や政争の戦で、いつも憂き目に合うのが中国の民衆の歴史でした。彼らは着の身着のままで、戦乱を避けて他の土地に、一家、一族で移住せざるをえなかったのです。食べ物もままならないのですから、互いに分け合う以外に生き延びていくことができなませんでした。そのように、他者を顧みながら生きてきた《強靭さ》を、中国のみなさんの内に感じるのです。自分だけが満腹するのではないのです。『メシ喰ったか?まだメシを食っていなかったら、何か作るから食っていけよ!』という、食の勧めなのだと思うのです。

食事時に知人に出会うと、『メシ喰ったか?』と挨拶され(聞かれ)ると、もうすでに食べたら、『有(ヨウ)』と、食べていなかったら、『没有(メイヨウ)』と答えます。彼らは、私たちのことを、《家族(一家人)》と思ってくれるからなのだと思うこと仕切りです。

先程、義妹に電話を入れました。夕べ、ガソリンも灯油も無くなったので買いに行ったのですが、どこにも無かったのだそうです。もちろん、食料もでした。年をとったお母さんの介護をしているので、暖も食も摂る必要があったのです。そうしたら、彼女と私たちの共通の友人が、昨晩の地震前に、『石油ないんでしょ!』と石油缶を抱えて、食べ物も届けてくれたのだそうです。ひと言も要求していなかったのに与えられ、そんな経験を嬉しそうに話していました。彼女は《頭の黒い天使》だったようです。国難を分かち合い、物も心も分かち合いながら、この急場を励まし合って生きていきたいものだと思う、家内の手術の日のために待機している、「・・・平成の昭仁天皇の時代、地震の五日後」のことであります。

(写真上は、「英国紙」、下は、北京空港で待つ東北関東大震災への中国からの「救援隊」です)