ふたりっ切り

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 中国華南の街でのことです。決まって、日曜日に出掛けて、用を済ませた私は、家内と路線バスに乗って家に帰り、家の前のバス停の前にある、中国サイズの超大型ショッピングモールに寄ったのです。その二階にある、“ バーガー・キング"でハンバーガーを食べようとしてでした。家内を誘って何度行ったか知れません。街のマクドナルドでは食べれない、牛肉のハンバーグが食べれるのを知ったからです。そこで知り合いのアメリカ人の家族と二、三度ばったり会ったこともあります。" American taste “ だったからです。

 ここ栃木市にはないのですが、宇都宮のショッピングモールの中に、その“ バーガー・キング"があるのを見付けたのです。でもコロナ禍で、出掛けるのもままならず、華南の街にいた時に、食べたかった物だったので、今は懐かしさで、そんな思いにされています。この街の名物は、何たって「餃子」ですが、「宇都宮餃子」はもうすでに味わっております。

 次男が以前住んでいた家の最寄り駅前に、ハンバーガーショップがありました。アボガドがサンドされていて、値段も1000円以上で、小清水の舞台から飛び降りる様にして店に入って、注文して食べたのです。帰国間も無くでしたから、その美味しさは格別でした。『日本はうまい!』を感じて、頷いていたのです。

 こちらの大学を出て、日本の会社に就職していた華南の街の出身の方と、その駅で落ち合って、一緒に、このアボガドバーガーを食べたのです。もう彼は日本の味の通になっていて、美味しさに驚きませんでしたが、とても喜んでくれました。
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 訪問団の一員としてオレゴンに行った時にも、ポートランドの下街に、ホットサンドイッチの美味しい店を見付けて、ちょうど隣街にいた娘たちが来ていたので、誘って行ったのです。

 美味しさは、味だけではなく《懐かしさ》に違いありません。お嫁さんには気の毒ですが、《お袋の味》は、その最たるものです。故郷回帰や味覚回帰というのは《母親回帰》なのかも知れません。年の暮れから、この正月にかけて、これまでの二年は、できなかった「お節料理」を作れるようになり、もう少ししか来なくなった「賀状」の返事も書ける様に、家内が回復を見せているのです。
  
 みなさんの祈り、応援、激励によります。感謝で思いがいっぱいです。去年は子どもたちと孫たちが全員、「実家」に集まって、ワイワイできたのですが、ご時世柄、今年は《ふたりっ切り》の日本情緒満喫の正月です。
 
(孤高の光を放つ三日月と富士です)

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いのちの課題

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 「わたしを求めて生きよ。(アモス5章4節)」

 昨年来、私たちの世代では初めて、突如として世界を脅かす〈新型コロナウイルス症〉に見舞われました。そして右往左往し、意気沮喪した2020年を終え、今や2021年が始まり、人は否応なしに「死」の恐怖に直面されて、初めての様に、「いのち」の課題を考え始めているのではないでしょうか。

 百年を一区切りの様にして起こる伝染病が、この地上にたびたび繰り返され、科学万能時代の二十一世紀にもまた、人は翻弄されてしまっています。当然の様にして生きている、傲慢な人間に対して、『当然ではない!』と言う「いのち」に対して、意味や責任や答えを得なければならないとの迫りを感じてなりません。

 これこそ人類の歴史に繰り返されてきていますが、この時代の私たちにとっては、まさに「新しいこと」なのです。私たちは、この「新しいことをする」と仰る方からの迫りを、痛切に感じて、人の内に、「いのち」を考えようとする重大な課題が、突きつけられていることを認めたいのです。

 対細菌との闘いに世界が巻き込まれて、人は初めて、生死を真剣に考え始めているのかも知れません。「マスク」や「ソシアルディスタンス」や「ワクチン」以上の課題です。

 『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』

と親鸞が詠んだ様に、漫然と計画して生きていても、夜中に大嵐が吹いて、計画も命でさえも果ててしまうことだってある、と言った人の一生を、初めて熟考すべき時です。

 「いのち」は付与されたものであって、それを全うする様に、人は定められています。どう全うするかの責任を、私たちは例外なく負って、今を生きていると言えるのです。この「死」への恐れの中で、2021年を「いのちを考える年」としたいものです。哲学の課題ではなく、それよりもはるかに重要で根本的な課題だからです。どう「死」に向かって、残された日々を生きるかでもあります。それは老人への課題ではなく、若者も子どもも考えなければならない今年なのではないでしょうか。

 繰り返されることではなく、全く「新しいこと」が起こるのだと期待して生きたいのです。「新しさへの期待」、「いのち」の意味を知ることこそ、迎えた新年の課題であると言えます。

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ご馳走さま

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 「元旦昼食」に、信越本線の横川駅で、135年も売り続けている《名物駅弁》の「峠の釜めし」を戴きました。家内は、三度も『美味しい!』と言っていました。

 美味しいはずです、隣街の大型スーパーでの特売で、昨日は買えなかったそうですが、今朝、友人が2時間も並んで買ってきてくださったのです。

 大きな愛と犠牲に感謝していただいたのです。ご馳走さま!

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新しい事

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 「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ書43章19節)」

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5章17)」

 2021年1月1日、新しい年の始まりです。いまだかつて見たことも、聞いたことも、触れたこともない「新しい事」が、今年、起ころうとしています。どんなことが起こっても、慌てたり、驚いたりしないと、心に決めました。「新しさ」へのあふれる期待で、今朝目覚めたのです。善き一年であります様に願っています。

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下仕事

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 「真の職人」のお話です。昔から、「飯炊き3年、握り8年」の修行があって、一人前の寿司職人になれると言われてきました。一つの道を極めるためには、それだけの年月を修行しなければならないと言うわけです。板場に立つために、朝早く掃除をし、板の間を水拭きしたり乾拭きし、店先の掃き掃除から、主人の下駄拭きなど、《下仕事》から始めるのです。コメ研ぎや水加減を覚える前に、釜洗い、火起こしをします。包丁を使える様になる前に研ぎ、研ぎの前に砥石の準備もしなければなりません。

 それは寿司職人世界だけではなく、どの様な職種でも同じでした。そう言った下働きがあっての現場なのです。それを励んだ後に「年季が入る」と言われます。長い、意味のない様な仕事、仕事と思えない様な雑務を、喜んでする気持ちがあって一人前の、年季の入った職人になれるわけです。私の若い頃に、一人の青年と出会いました。

 江戸の職人の流れを継いでいたお父さまから、その技術を学んで、「鍛金師(今流で金属造形家)」として、私の街の宝石加工会社で修行されていたのです。そこでは、なかなか自分の技術を評価されなかった様ですが、専門外の宝石加工の世界で、耐えて修行されていました。そして何年も経って、今では、海の見える綺麗な街に作業場を得て、お仕事をされています。この方は、小さい頃に、ご両親とブラジルに出掛け、サンパウロ大学芸術学部を卒業されていました。

 意を決して、ご両親や妹さんたちと帰国されて間もなく、単身で私たちに所に来られたのです。素敵な青年で、子どもたちは彼を慕っていました。次女などは、脚に纏(まと)わりついては離さない程だったのです。岡山県下で工房を開いていた頃、一度お訪ねしたことがありました。今は静岡県下に、アトリエを構え、あちこちで個展を開いてきておいでです。一つの作品の作成に、1000時間をかけるほどの昔ながらの職人、芸術家なのです。

 この人とは違って、華南の街にいた時、田舎から大学に通うために出て来ていた女子大生に、日本語を教えていました。わが家にも出入りして、よくカレーをご馳走したのです。その経験から、卒業したら田舎に帰って、「カレー屋」を始めると言って帰って行きました。

 また食堂で、二、三ヶ月働いて、もう専門職で独立してしまったり、絵を短期間習って、子どもを集めて教え始める様な人と、何人も出会ったのです。まさに無修行での独立でした。だから、すぐに閉店、廃業になってしまいます。けっこう「自信家」が多いのかも知れません。

 誰にでもできそうですが、そうはいきません。四十過ぎまで、毎朝、広い講堂の床の雑巾掛けを続け、文句一つ言わずに続けた人がいました。下働きを厭(いと)うことなく、しかも喜んで、自分のすべきこととして励んで、やがて、責任者になった人がいます。《いぶし銀》の様なお話を、謙遜に語って、人に感銘を与えたそうです。そんな人になりたかった私でした。

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動く愛

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 『見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。 (イザヤ書60章2節)』

 「面前に三尺の闇」と言います。人の一生に、予期せぬことが待ち受けているからです。ここには「闇」とありますから、好ましく思わない、願わない出来事が待っていると言うのでしょう。

 まだ長男、長女、次女、次男が学生の頃から、お世話頂き、いろいろ教え導き助けてくださった方のご主人とお嬢さんとが亡くなられて、その夜も、御主人の60回目の誕生パーティに招かれて、近くに住む次女家族が行こうとして準備してる矢先の悲報だったそうです。

 次女の二人の子どもたちも、お嬢さんを姉の様に慕い、一緒に育ったので、それは大きなショックを受けているのです。でもやっと数日が経って、現実を受け入れる様になって来ている様です。

 この方のご両親は、子育て中に、家内と私と子どもたちを、たびたび家に招いてくださって、数日泊めていただき、交わりを持たせてくださったのです。滞在中、お子さんたちは、自分の部屋を、六人の私たちに提供してくださって、どこかに潜り込んで眠られ、そんな犠牲で迎えてくれたのです。

 二階の食堂兼居間は、まるで木漏れ日が差し込む様に温かくて、アメリカの匂いがして、何よりも愛が溢れていました。「パン屋の娘」だと言う奥さまは料理上手で、美味しくもてなしてくれたのです。私たち六人家族にとってはまるで「避難所」でした。
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 その奥様は、ご主人を20数年の前に亡くされ、在米のお嬢さんの家に迎えられて、老後を長女や、次女の家で過ごされ、今年97歳だと言ってきています。このご家族に真似て、人々を迎えられる家族でありたいと願って、私たちも見倣いながら生きて来ました。

 とくに華南で住んだ家には、多くの人が入れ替わりでやって来られました。アメリカに留学されていて、今夏街に戻られた大家さんが、『家を綺麗に使っていただき、多くの人が、やって来られて、温かく迎えてくださって、好い交わりのために使っていただいたと聞いて、とても嬉しいです!』と、先日FaceTimeでおっしゃっていました。

 このご家族を亡くされたお嬢さんの弟さんが、静岡県下に住んでおられて、私たちが帰朝するたびに、彼のご両親がそうであった様に、私たちを招いてくださって、温かく迎えてくれました。そこに何度お邪魔したか知れません。中国に行こうとしていた時、実家のない私たちの子どもたちに、『私たちの家を実家だと思って帰って来る様に伝えてくださいね!』と、妹さんも言ってくれたのは嬉しかったのです。
 
 先週、悲しいニュースを聞き、どう慰めていいのか分かりませんが、お世話いただいた私の子どもたちのうち、次女の家族が近くにいますので、心理的にも地理的にも一緒にいて上げれる様です。

 “ GoFundMe “ を、次女の主人が立て上げて、この方を経済的に支えて行こうとされています。すでに多くの方たちが、それに賛同していらっしゃるようです。まさに優しい愛が動いています。

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恥を雪ぐ

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 私は見ませんでしたが、先頃、寒かった日に、この街にも、雪が降ったそうです。経験から、遠い山から雪片が風に、「舞って来た」という表現がよいのかも知れません。雪雲が天空を覆って〈降る〉のと、頭上は晴れていて遠い山沿いに降った雪が〈舞う〉のとでは違います。

 以前は、ここ北関東の下野国でも、よく雪が降ったのだそうです。先日の悪天候で、奥日光や那須塩原では、大雪が降ったそうですが、近年では積雪が見られないのだそうです。この一月に、中国の雪の降らない華南の街から、家内の見舞いに来られたご夫妻が、日光の戦場ヶ原に、知人に案内していただいて、出掛けましたら、童心に帰ったのでしょうか、雪に身を投げ出して喜んでいたと言っておられました。

 兄たちが、りんご箱と竹で作った橇(そり)で、崖の上から、嬉々として滑り降りた日々がありました。転んで雪まみれになるのを楽しんだのですが、雪のない今の子どもたちにも、あの雪の日の冒険を味わわせてあげたいと思っています。

 さて、試合などの勝負などで、勝ちたかったのに、実力の差で負けてしまった選手やチームが、次の年には、負けた相手に勝とうとする気持ちを、「恥をすすぐ(除きさる)」と言います。その「すすぐ」を、【濯ぐ・洒ぐ・滌ぐ・漱ぐ】という漢字を当てて読ませていますが、「雪」を当てることもあります。

 日本大百科全書では、「会稽の恥を雪ぐ」を次の様に解説ています。『敗戦の屈辱を晴らすこと、また名誉の回復をいう。中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)が呉(ご)王夫差(ふさ)と浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)市の南方に位置する会稽山に戦い、そこで包囲されてやむなく屈辱的な講和を結ぶという辱めを受けた。これが「会稽の恥」である。その後、勾践は賢臣范蠡(はんれい)の助力を得るとともに、つねに苦い胆(きも)を部屋の中に掛けて置き、それを嘗(な)めてはこの辱めを思い出すなど、非常な苦心を重ねて20年、みごとに夫差を破って名誉を回復した、と伝える『史記』「越世家」の故事による。」とです。

 昨日も、夢を見たのですが。自分の恥ずかしい過去を思い出させる様なもので、人に褒められたり、感謝されたりすると、きっと、そんな夢を見るのです。何一つ褒められるべきものがないのに、そうされるのが恥ずかしいからでしょうか。ですから、過去の負けも失敗も恥も、「雪辱(せつじょく)」の思いなど微塵もなく、亀の様に頭を引っ込めるだけの自分です。

 “ 漢字文化資料館 ” は、「雪」と言う漢字を、どうして「すすぐ」に使うかについて、次の様に解説しています。『この字が古くから「洗い清める」という意味で使われていたことは、間違いありません。そのイメージは、私たちが現在抱いている、「きよしこの夜」の雪のイメージと、そうかけ離れてはいないのではないでしょうか。』

 よく、スポーツ選手が使う言葉に、” revenge “ があります。その意味は「敵討ち」で、血を見る様な仕返しや報復を言ってるのですが、負けたのが悔しい選手が、再挑戦して勝とうという気持ちを、そう言うのでしょう。ところが、こんなお方がいました。

 「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。・・・彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。(イザヤ書50章6節、53章7節)」、こう預言されたお方が、人の世に来られたのです。私の恥を、ご自分の恥として負われて、私たちの恥を雪ぎ罪も赦すため、人を死と裁きから救うためにでした。その方を知って、信じて感謝と喜びの今日があります。

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