内向きに咲く

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『外向きに咲く!』と言ったのが、聞こえたのでしょうか、今朝咲いた朝顔の一輪は、内向きに咲いてくれました。毎日咲いてくれるのを喜んでくれるのが分かるに違いありません。今日は、暑さの中にも、何とは無しに秋の色が、陽や影の中に見え始めてきていました。長崎県下は、台風の渦中にあるそうですね。長崎の大学院で学んでいる教え子が、福岡で"インターンシップ中"だと、写真を添付してメールを知らせてくれました。元気そうです。
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晩夏の夕陽を受けて、北側のベランダで咲く「名無花」です。もうずっと、咲き続けているのですが、花の名が分りません。暑くても寒くても、あんなに細く折れそうな枝で耐えて生き続けるのですから、生命力とは、驚くものです。『暑い!』とか、『寒い!』とか言ってしまう私よりも、はるかに強そうです。

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竹とんぼ

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実は、今だから告白することにします。<欲しかった物>が三つ、四つありました。一つは、<オートバイ>です。中学の時に、弟が友人のお母さんから、<ラビット・スクーター>を貰ってきた事がありました。それを、住んでいた家から高台にある畑に引いて行って、それに乗ったのが、エンジン付きの乗り物で、初めての乗車でした。本当に面白かったのです。こがないで動くのに魅せられてしまったのです。それで高校生の時に、“Harley-Davidson”の《750ccモーターバイク》が欲しかったのです。

もう一つは、<カメラ>でした。小さな機械が、目で見た、同じ光景を写すことができるのに、小さいん)頃に驚いたからです。もちろん日本製が優れているには重々知っていました。それでも、ドイツ製の《ライカ》が欲しかったのです。見るだけで、手にとって見たこともなかったのですが。多分手にとったら、脇目も触らず、後先を考えずに、月賦払いで買ってしまうのを恐れたからです。それだけ、魅せられていたのです。

三つ目は、ジープでした。アメリカ製のジープは、子どもの頃、米軍基地の近くの町で育ちましたから、甲州街道を走る姿を見ていました。それで、東京から、中部圏の街に、アメリカ人起業家について行くときに、休みに山の中を走り回りたくて、スズキ製で、しかも軽自動車の《ジムニー》を買うつもりでした。でも子どもが次々に与えられて、断念しました。

モーターバイクに跨るか、ジムニーに乗るかして、ライカを手に、あちこちと旅をしたかった、これが夢だったのです。何一つ叶えられずに、今春、帰国時に自動車運転免許の更新をせずに、失効してしまいました。アメリカの運転免許のライセンスを取得し、アメリカで車を運転したことがありましたが、もう叶いません。あれほど欲しかった《ライカ》だって、スマホやiPadの登場で、もう不必要になってしまいました。

我儘に育ってしまった私ですが、けっこう物欲は強くなかったのかも知れません。スーパーの通路の上に、仰向けになって、足と手をバタバタさせながら、わめき散らしながら、『買ってー!』とやってる子を、よく見掛けましたが、あんなことはしたことがありませんでした。ああする大人だって例外ではありません。『欲しい物は、どうしても手に入れる!』人がいるからです。

一度も、そういった振る舞いをやったことがないので、今更できません。今欲しいのは、《竹トンボ》です。事務所を、みんな素人で建てていた時に、近所の大工さんが、手伝ってくれ、その後、子どもたちに、手作りの《竹トンボ》を持ってきてくれたことがありました。エンジンもなく、ガソリンも要らず、排気ガスはないし、手もみで空中に飛び上げられるのです。この街は、竹製品の多い地方ですから、どこかに、同じような手工品がありそうです。秋空に、高く飛ばしてみたいものです。

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トンボ

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ほとんど"バックスタイル"の朝顔の写真ですが、向こうの棟のみなさんや通り抜けていく方には、表の綺麗な姿が眺められていることでしょう。今日も厳しい暑さの一日が始まっています。川辺の散歩道の上には、たくさんのトンボが舞っていました。求愛しているのでしょうか。強くて逞しく飛ぶ相手を見つけて、丈夫で頑丈な子を生みたいのでしょう。中国語の「丈夫zhangfu」は、「夫」のことを意味していますから、中国の女性も、「丈夫な男性」を好むのでしょうか。肉体だけではなく、精神的にも丈夫なことも大切な要点です。

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青春

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野球は“ヒマワリ”、ハンドボールは“イヌフグリの花”でしょうか。甲子園では、高校野球が熱射の中、たけなわの熱闘を繰り広げています。 マイナーなスポーツをやった者としては、日本中が大騒ぎするメジャーなスポーツは、羨ましい限りです。小さなボールではなく、野球よりも何倍もー大きいボールを追い、投げた私には、ちょっと悔しさがあります。

私のすぐ上の兄は、神宮球場の大会まで進んだのですが、当時、東京一区、一校だけの東京代表の時代、ベスト16で敗退して、涙を飲みました。数え上げれば、これまで何十万、何百万の野球小僧がいたことになります。「100回記念大会」とのことで、“レジェンド(伝説の高校球児)”たちの始球式が行われているそうですね。

そんな彼らの背後に、プロにもアマにもならずに、野球人生を終え、草野球に甘んじた野球小僧たちのことを思っています。大学の野球部にも推薦されたことのある兄ですが、会社の野球チームでプレーをしていた時期があった様です。でも、今年“77歳”、帯状疱疹がもたらす<悪さ>の痛みと闘って、この時期を迎えています。

何年か前に、上海から一人で乗船して、大阪港に着いて地下鉄に乗ったのです。その途端に、8月でしたから、『もしかしたら?』と、学生に聞きましたら、全国高校野球大会の最中とのことした。それで甲子園に方向を変えようとホームで、ご婦人の一団に、行く道を聞いたのです。そうしましたら、宗教団体のみなさんで、姉妹教団の学校が出場し、応援を幹部から要請されたので、これから行くと言うのです。

『ちょうどチケットが一枚残っているので、一緒に!』と言うことで、宗旨は違うのですが、渡りに船で、おばさんたちの後についって行ったのです。その高校は、母の出身県・島根県代表でした。それで大声を出して応援させていただき、初めての甲子園を経験したわけです。
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相手は、東北大震災で被災した、岩手県代表の盛岡工業だったと思います。本当は、向こうのスタンドで、応援して上げたかったのですが、依怙贔屓(えこひいき)なしで、双方の活躍を、三塁側のスタンドで願ったのです。結果は、盛岡工業が勝って、おばさんたちは、すごすごと帰って行かれました。

それでも“ヒマワリ”であり続ける人は、ほんのわずかですが、白球を追った青春とは好いものですね。同じグラウンドの向こうで野球を、こちらで、まだ“11人制”のグラウンドを駆けていたのも、もう一つの青春でした。今や、「白頭掻けば短し」で、ポケットに昔、入っていたクシも要らないほどの坊主頭の爺になってしまいました。

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三人組

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今朝のベランダの寒暖計は、28℃を示しています。二輪の朝顔が開き、日曜日の朝を輝かせてくれています。隣家のベランダが写っていて、花にはそぐわないのですが、そこにも生活があります。おばあちゃんと家内は、顔を合わせると挨拶を交わし、"ハロー!"と言われて、家内は、”早上好zaoshanghao”と応えています。この夏休み、小学1年生と1才半ほどの二人の女の子を連れて、ご家族で旅行をして来たとのことです。

次女の二人の子たちも、キャンプに出掛けていて、親だけが家に残っているそうです。下の孫娘は、初めてのキャンプへの参加で、”三人組" にグループ分けがなされるそうです。"二人”になろうとして、"一人”がはじかれる難しい関係の中で学ぶ様に、主催者側が考えたのでしょうか。そろそろ夏休みも終ろうとしています。それにしても暑い夏でした、いえまだ暑いのですが。お大事に!

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存在

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向陽性の朝顔は、決して内向きに花を咲かせません。その後ろ姿を見るのみですが、けっこう毎朝、忠実に花を開いて、向こう向きで、私たちを無視して咲いています。種を蒔いた者を喜ばせていないのです。忍耐が足りなくて、諦めていたのに、開花の時期が、造物主の意思で定められているにを忘れていました。葉だけで終わるのだろうと思っていたら、芽を付けてきたのです。遅咲きだったわけです。

それは、朝顔だけでなく、人間だって同じなのでしょう。同級のOくんは、跳び抜けて大きな小学生でした。血色も好いし、朗らかだし理想的な健康優良児でした。それに比べて、肺炎病みで、死線を何度も超えてきた自分は、ずいぶん貧相なやせっぽちでした。父が必死になって、バターとか肉とかケーキとか果物を食べさせてくれたのに、申し訳ないことに、大きくなりませんでした。

中学は、私立の学校で、裕福な家庭の子たち来ていましたから、多くの子は、戦後の食糧不足の中を、恵まれて育って大きく、それに比べて、自分は背の高さ順に並ばさせられると、前から三、四番目でした。産婦人科医の息子は、おじさんの様で、すでに発毛していました。ところがバスケットボールを、父に断って始めたら、背が伸びて、中学卒業時には、173cmにもなっていました。同世代ではマアマアの背の高さになったのです。背の高さだけは挽回することができました。

高校に入った頃には、喧嘩で、かなり大男を、ノックダウンさせるほど強くなっていました。その喧嘩相手が、N大の応援団の幹部候補生になっていて、仲間の団員に話した話が、自分の通った学校の同級生に伝わって、『準、お前は喧嘩が強いんだってな!』と評判になってしまったのです。喧嘩の強さなんか自慢になんかなりませんから、恥ずかしかったのを覚えています。

この国の法廷の様子を撮った写真に、被告を両方で裁判所の警官が囲んでるものがあって、見たことがあります。高身長で体格の良い被告には、その人よりも頭一つ高い警官が、決まって両方についているのです。決して被告が優秀さを誇れない様にしているんだなあ、と感心しているのです。でも、もう5cm高かったらと、自分は願ったこともありましたが、『人の価値は、体格や能力にあるのではなく、「存在」そのものに価値がある!』と教えられたのを、思い出します。

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夏水仙

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この花は、呉市灰ケ峰湿地に咲く、「夏水仙(ナツズイセン)」で、原産地は中国だそうです。帰化された方が球根を運ばれたか、留学生が持ち帰ったのでしょうか。“ウイキペディア”には、「日本では、本州から九州の人里近くの山野や道端などの木陰に生育する。古くに中国から渡来した帰化植物と考えられている。カラスノカミソリ(八戸市)やピーピーグサ(神奈川県)などの地方名がある。」とあります。

「水仙」の名がついていますが、「彼岸花」の一種なのだそうです。スクッと伸びていて、綺麗な咲き姿です。それは、撮影技術が優れているから、その様に見られるのでしょう。いつも素敵な花の写真を送ってくださる、「里山を歩こう」の“マルタン”さんには、大いに感謝しています。ありがとうございます。いつもの撮影地の写真ですが、大雨の被害は少なかった様で、嬉しいです。でも呉市の市街地では、被害を受けられておいでで、復旧が速やかになされます様に、心から願っております。

私も留学生の端くれで、そのまま居着いてしまい、仕事まで与えられたのは感謝なことです。ここ大陸の地で、はるか祖国の花々を楽しませていただいております。感謝!

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この写真の湯呑み茶碗は日本製で、茶葉は「福建茶」だそうです。淹れて飲んだ街は、ニューヨークで、飲んだのは私の長女です。彼女は、こちらに来た時に、自分で買った「桂茶」が気に入って、好きなのです。このお茶の産地の福建省の武夷山は、昔、皇帝に献上した「岩茶yancha」で有名で、知人のお爺さんから、一万元もする物を、私は頂いたことがあります。飲めずに、どこかにしまってあります。そのお爺ちゃんは、亡くなられたのですが、人民軍の高級軍人でした。

また、高倉健が主演した映画「単騎千里を走る」を監督をした、張芸謀が演出した野外劇の「红袍honpao」でも有名です。やはり中華文化における「茶」は、中国のみなさんとは切っても切れない関係がありそうです。昨日、来客があって、『コーヒー、紅茶、中国茶、日本茶、何がいいですか?』とお聞きしましたら、『日本茶!』とのことで、取って置きの「菊川茶/深蒸し」を入れて上げました。「緑色」のお茶は初めてだそうで、不思議な顔をされて飲んでいました。

日中文化交流になるでしょうか。帰りしなに、『アリガトウ!』と言っておられました。その四人のうちの一人のご婦人は、来週、「クルーズ船」で、日本旅行に行くそうです。そろそろ、日本茶が欲しくなる秋が来そうです。団子か大福かカリントウ、やっぱり「金鍔(きんつば) 」があったら最高なのですが、ちょっと無理かな。

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好い顔

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「日本の星」では、ちょっと大げさで辞退されてしまうでしょうか。では、「大分の星」では、どうでしょうか。いっそのこと「日出町の星」か「七十代の星」が好いかも知れません。家業の魚屋をやめて、年金生活をしながら、軽自動車を駆って、全国を飛び回って、被災地で、"ボランティア活動"を続けてこられたのが、この写真で有名になった大畠春夫さんです。

車に、食料や寝袋を積んで、自給でボランティアを、もう二十五年もされているそうです。今回も、山口県周防大島で、行方不明になった2才の幼児を、救出された方です。実に、《好い顔》をしてますね。年齢なりに、男には、生きてきた様に、滲み出るような表情や「顔」があるのです。捻り鉢巻きが格好好いですね。年齢からすると、私の長兄と同じで、日支事変の最中にお生まれなのでしょう。

登山が好きなのだそうです。退職後を、こうやって、社会貢献しながら生きておられる姿は、まさに「同世代の星」に違いありません。無名の元魚屋の《春ちゃん》に拍手と喝采を送ります。きっと、右の手でしたことを、左の手に知らせたくない様な生き方をしてきておいででしょうから、賞賛は受けられないかも知れませんね。

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日本の教育

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中国メディア・東方網は8日、「日本の4つの『変態的』な部分とする記事を掲載した。

 記事は、「それぞれの国にはそれぞれの方式や特徴がある。ただ、相対的に見て、日本の児童教育は実に細かいところまでしっかりやっており、われわれが注目し、参考にするに値する点が多い」としたうえで、そのポイントとなる点を4つ挙げて説明している。

 1つめは、あらゆる事柄に網羅されている「礼儀の教育」だ。記事は「日本の幼稚園では、登園した園児がまず自分で靴を履き替える。自分の荷物を自分でロッカーに入れる。そして、先生の伴奏のもとで『先生おはようございます、みなさんおはようございます』といった内容の歌を歌い、互いにお辞儀しながらあいさつする」と紹介。日本の幼稚園における最も大きな教育目標は「子どもが笑って過ごせること、そして感謝を言えること」であるとし、幼稚園生活の細かい部分1つ1つに、子どもに対する礼儀の教育の要素が隠されていると説明した。

 2つめは、「自立の教育」である。他人に迷惑を掛けないというが日本の教育における重要なテーマであり、子どもは小さいころから他人に頼らず身の回りのことを自分でやることが求められるとした。そして、先日のサッカーワールドカップで日本のサポーターが試合後のスタンドを清掃して称賛されたこと、日本代表がロッカーをきれいに片付けて感謝のメッセージを残していったことを挙げ、「これこそ小さいころからの、小さいことからコツコツ積み上げてきた習慣のパワーなのである」と解説している。

 3つめは、全員参加で、「協力し合う教育」だ。小学校では子どもたちが当番制で自ら給食を取りに行き、配膳を行うと紹介。また、配膳だけでなく、食器をきれいに片付けて給食室まで持って行く作業も分担して行われるとした。さらには、学校では決まった時間に清掃が行われ、これも子どもたちが様々な持ち場を分担してみんなで教室をはじめとする学校内をきれいにすると伝えた。

 そして最後の4つめは、「チャレンジする教育」を挙げている。「子どもたちにチャレンジさせ、失敗を通じて成功への道を一歩ずつ進ませる。典型的なのは、スポーツ関連の活動だ。子どもたちの努力目標を設定し、これに近づくたびに教師が誉める。そして、失敗して挫折しそうになった時にはみんなで励ます。そうすることで、子どもたちが失敗を恐れなくなり、失敗が成功のために必要な道であることを認識するのだ」と説明した。

 今は夏休み真っ最中。子どもたちは休みの中で様々なことにチャレンジし、体験することでさらに一回り成長して新学期を迎えることだろう。(”サーチナ“編集担当:今関忠馬/8月14日)

(「三顧の礼」の図です)

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