これも「一筆啓上賞」をとった、“日本一短い手紙”の一つです。これは第一回の表彰を受けた作品で、主題は、「母」で、東京在住の当時31歳の女性の作品です。

絹さやの筋をとっていたら
無性に母に会いたくなった。
母さんどうしてますか

「ちらし寿司」、きっと母のふるさと、出雲では「ばら寿司」と言ったのでしょうか、京丹後のものが有名で、西日本では、そう呼んだのかも知れません。事あるごとに、母がこの「ちらし寿司」を作っては、食べさせてくれました。

絹さやえんどうの筋を取るのを手伝わされたり、酢飯を作る時、団扇(うちわ)で、炊きたてのご飯に酢を注ぐ時に、団扇(うちわ)であおぐのを手伝ったりしました。家内の味もけっこう旨いのですが、育ててくれた母の味は、比べることのない別格な味なのでしょう。

同じく、その時の作品で、大阪府在住の当時51歳の男性の作品に、

お母さん、
雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。
もうすぐ雪ですね。

があります。涔涔(しんしん)と雪の降る中に生まれたことへの、母親への深い感謝が感じられる手紙です。私も、暮れの押し迫った12月中旬に、家族の住まいとしていた山奥の旅籠の別館で、母が産んでくれました。明方の4時45分、村長夫人が受け止めてくださり、産湯を使わせて、産衣(うぶぎ)を着せてくださったそうです。父が、仕事用に手帳に、そう書き残しておいてくれました。

「垂乳根(たらちね)の母」、4人の子どもたちは、様々なことを思い出しながら、自分たちの母親の危機に、思いを向けている今なのです。先ほど、長男の運転する車で、長女は成田国際空港に向けて帰って行きました。香港で12時間過ごしながら、ニューヨークに向かって、30時間の旅にです。任地が西海岸に変わる時期でしたので、貴重な時間を割いて、母を見舞ったのです。(➡️ 成田空港で、カウンターの係員の好意で直行便に120ドルに手数料で乗り換えられたそうです!)

やっぱり母親の方がいいですね。自分が母親の胎に9ヶ月いた、母との関係にはかないません。次男は、母親のためにと、サプリメントを持ってきて、それを朝夕飲むように、優しく説明し、母親の好きな曲を、“iPod”に、十数時間かけてダウンロードして持ってきました。昨日の日曜日の朝は、それを聴きながら、一人で愛読書を、ベッドの上で読んでいたそうです。

これから次女と、獨協医科大学病院のナースステーションまで、着替えを持って行きます。何と、友人が車を貸してくれましたので、次女が運転して行きます。自動車保険も手続き済みにしてくれています。この友人夫妻の愛には、中国の華南の友人たちと同じような、大きさと深さを感じています。長女の離日に、昨夕は、ご馳走までしてくださいました。そんな月曜日です。

(東広島市に咲く「白梅」です[HP/里山を歩こう])

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