23歳の時の一つの質問に

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『主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。(新改訳聖書 詩篇147篇3節)』

 ニューヨークの小学校の教師をしていた高校時代の級友に依頼されて、課外授業で話をした、ベトナム戦争の帰還兵で、23歳のアフリカ系の青年、アレン・ネルソンに、一人の女子が質問をしました。『Mr.Nelson、あなたは人を殺しましたか?』とです。瞬間、小学校4年生の質問を聞いて凍りついた様に、固まってしまった彼は、しばらく声を出せないで沈黙が続きます。

 アレンは、ニューヨークの貧民街で、未婚の母の子として誕生します。お決まりの貧困と非行が続き、海兵隊に入隊するまで、満腹の体験がないほどの貧しい中を育ち、高校も中退してしまいました。街をぶらついていた時、〈海兵隊員募集中!〉の広告が目に入り、それに捉えられた彼は、その事務所に駆け込んで応募するのです。難なく合格すると、『Heroになれる!』と勇んだのです。図書館貸し出しの一冊の本に、そうありました。

 「戦場のヒーロー」になるには、恐ろしい階段を登り、人間として厳しく辛い、極限の旅に出ねばなりませんでした。兵士は慈善事業に従事する任務に就くのではなく、自分が「殺人兵器」にならなければならないのです。自尊心を捨て去り、恐怖心を捨て去ります。戦場で生きるには、敵を殺さねばならないからです。「共産主義に蹂躙されるベトナムの人々を解放し、自由と人権を回復して、この人たちを救う!』との名目で戦うように訓練されます。

 アメリカ政府は、莫大な資金を、殺人兵器を作り上げるために投入したのです。生の人間を、獣に改造するのです。訓練を共に受ける戦友候補は、想像を絶する様な過酷な訓練を受け、それをやり遂げた達成感で、彼らは互いに連帯感を持ちます。歴史に刻まれる様な戦いに臨むことで、高揚感を感じるのです。

 それこそ厳しい訓練を受けて、沖縄の訓練基地に移動します。そこで実戦さながらの銃撃訓練を受けるのです。戦場で生き延びることは、敵を掃討する以外にないわけで、スマホで戦争ゲームをするのは架空ですが、実戦体験は、常識など通用しないほどに過激であって、その詳細は記さない方が良い様です。

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 ついに、ヴェトナムのダナン基地に着きます。猛烈な暑さに襲われ、そこで目にしたのは、基地の脇にある冷凍施設に置かれた頑丈なプラスチックの袋でした。巨大な冷凍施設が、そこにあって、戦場で死んだ遺体が、冷凍処理されて、沖縄への帰りの航空機の便で送られようとしていたのです。

 それは、黒色の、100余の遺体が収容されたコンテナでした。まさに戦場の真っ只中での英雄となろうとした多くの若者の悲しい姿の有り様を、これからという新兵たちは、戦場到着と同時に目撃したのです。戦地に送られた兵士たちと、戦いに倒れ運ばれようとしていた兵士が、その基地で行き合ったわけです。

 激戦の最前線に移送され、英雄になることは、殺人者になることであって、自分は死なないために、密林を這いずり周り、塹壕(ざんごう)を掘って身を隠し、名の知れない虫と小動物と戦いながら生き延び、ベトコンを殺さなければ、自分が死んでしまう戦場に、配備されたわけです。

 この様に、自分と同世代のアメリカ兵が、熾烈な戦いの最中だったのです。ところが、平和で、ベトナム戦争の「戦争特需」で景気のいい日本で、自分は、のうのうと学生生活を送っていたのです。横田基地に運ばれてくる、戦死者の体を洗うアルバイトがありました。誘われたのですが、到底できませんでしたから、断ったのです。アメリカ兵もベトコンも自分も、まさに同世代でした。この戦争は、1964年8月に起こった、トンキン湾事件を発端として、アメリカ軍が全面的な軍事介入を開始して始まっています。しかしアメリカ軍は北ベトナム軍やベトコン(解放戦線)による、ゲリラ戦を相手に、泥沼状態で苦戦し続けます。

 1973年3月に、最終的に和平協定を結んで、アメリカ軍がベトナムから撤退し、1975年4月30日に、北ベトナム軍が、サイゴン(現在のホーチミン)を陥落し終結したのです。

 1965年に、アレンは18歳で入隊し、2年後の1967年に、死線を越えて生き延びて、ニューヨークに帰還します。除隊後、3年ほどホームレスをしていました。その頃、街中で教師の同級生のダイアンに出会い、頼まれてアフリカ系住民の居住区の小学校におもむき、その4年生の学級で、真実は語れず、きれい事で話をすませたのです。その小柄で利発そうな女子に、その様に聞かれたのです。

 それを聞くと体がこわばり、長い沈黙の後、気がつくと、アレンは、つぶやく様に、しかしはっきりと、“yes.” と無垢なクラスの生徒たちの前で答えたのです。そう答えると、目を開けることができませんでした。すると、質問をした子が、歩み寄って彼の腰に手を回してきたではありませんか。そして優しく抱き締めて、涙をいっぱいにした目で見上げて、『かわいそうなMr.ネルソン!』と語りかけます。それに続いてクラスのみんなが、アレンの周りにやって来て、小さな手で抱いてくれたのです。

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 この経験を通して、アレンの心が弾けたそうです。ホームレスでいてはいけないことが分かり、これから何をすべきが示されたのです。もう一度、普通に生きて、戦争の真実を語ろうと決意したのが、1970年、23歳でした。それ以来、戦争体験のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)、心的外傷後のストレス障害を越えて、同じ様に障害を持つ人たちのお世話もして来ておいでです。

 旧日本軍の帰還軍人のPTSDの話を、先般、NHKの番組の放送で聞きました。それは、戦後生まれたご子息の、心の傷にも関連づけられるのです。でも、お父さんの戦争体験の事実を、お父さんの死後に知らされて、やっと理解でき、息子さんの心が癒されたのだそうです。またそれは、新たな出来事が、ウクライナやロシア、イスラエルやパレスチナ民の双方に起こり得る問題でもあります。

 職業柄、これまで、多くのみなさんが、過去の出来事で、心の中に問題を抱えていることを知らされてきました。音楽療法、ロージャースやゲシュタルトのカウンセリングなどで、助けになった方も知っています。しかし、聖書では、その傷を癒す方がいると記します。いのちの付与者、保持者である神さまが、癒やされるのです。中学生で通学途中、座席に座って、虚(うつろ)な目で、『♬ 勝ってくるとぞと勇ましく、国を出・・・♫』と、小声で歌っていた、父の世代のおじさんの姿と声が、いまだに忘れられません。

 冒頭に記しました聖書の箇所に、「心の打ち砕かれた者」の近くにいてくださるのが神さまなのです。「打ち砕かれる」とは、壊す、押しつぶし、破り、粉砕することです。そんな体験をした人の「近くにいて」くださるのです。「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ砕かれることはない」と、することがおできなのです。

 ご自分の愛する人との別離、貯えや仕事や名誉や地位などを失った人の「そば」にも、同じ様にいてくださるのです。自分のすべてをかけて築いてきた対象を失ってしまった時の心の喪失感を感じ、心が破れてしまうような経験をしても、そんな状況下で、心の傷を「包む」ことが、神さまにはおできになるのです。

☆ アレン・ネルソン著「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(講談社)

(Christian clip artsによるサマリヤ人の介抱、ウイキペディアのベトナムのダナン、ニューヨークのセントラルパークです)

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流言蜚語

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 「群盲※象を評す」、目の不自由な人たちが、それぞれに初めて触った、「象」の体の感想を述べたことを、そう言います。この象の足を触った人は立派な「柱」のよう、尻尾に触れた人は「箒(ほうき)」のよう、尾の根本を持った人は「杖」のよう、腹を触った人は「太鼓」のよう、脇腹を触った人は「壁」のよう、背を触った人は背の高い「机」のよう、耳を触った人は「団扇(うちわ)のよう、頭を触った人は何か「大きなかたまり」、牙を触った人は何か「角」のようなもの、鼻を触ったひとは太い「綱(つな)のようなものと、一人づつまったく違った印象を語ったのです。

 一人ひとりの象の様態は正しいのですが、象全体を言い当てていません。それに似た言い方があります。

 「葦(よし)の髄(ずい)から天井をのぞく。」

 これは、「江戸いろは歌留多」にある、「よ」のカルタにあります。河原に生えている葦(よし、あし)は細くて、水分を通す管は、さらに細いのです。そんな細い管で、天井を見たとしたら、見える範囲は限られていて、全体を見ることなどできません。それと同じで、狭い視野やわずかな知識で、大きな問題を判断したり、検討しても、全体を見ることはできません。象に触った人たちも同じだったのでしょう。

 何か、「井の中の蛙、大海を知らず」、「下手の長談義」も同じ意味で言われているように思てなりません。

 今年になって、家内に、スマホを次男が買ってくれました。それで家族や私との連絡用が、とても便利になってきたのです。もうどこに行くにも持ち歩く様になっています。時間や天気予報も知ることができ、こちらでできた友人たちと日常の連絡に、文書や画像や声で、イラストまで用いて交信しているのです。さらに辞書を使わずに調べ物もしています。

 病んだからでしょうか、死に損なう経験を通ったからでしょうか、健康食材についての情報に敏感に反応しているのです。これも、素人判断が多そうです。例えばコーヒーはよくないと言う人がいれば、いやコーヒーは健康に好い、と言った風に、真逆な意見があります。聞く人は、右に左に揺さぶられて混乱してしまいます。

 ところで、専門に学んだり、研究もしていないのに、思いつきや感想をや出所不明な情報を発信させる人が大勢います。そんな検証されていない情報が、スマホを介して入手できる時代をむかえています。しかも最近では、以前は図書館に行って、新聞や本からの知識を得て、『・・・だそうです!』と、得た情報を、家内が話してくれていましたが、今はスマホからの情報が多くなっている様で、ちっと心配で、『気をつけて!』と言っています。一部分は正しいのでしょうか、全体的にみて訝(いぶか)しいことが多そうです。

 かくいう自分も同じで、よほど注意していないと、いわゆる〈ガセネタ/嘘か本当かわからないオサワガセ情報のことで、検証されていない情報も含まれているのでしょう〉や〈中傷誹謗ネタ〉に煩わされてしまっています。何度も言いますが、〈表現の自由〉を盾に、何でも言える時代になって、ある人の不確かだったり、中傷目的だったりの情報の蔓延に煩わされる機会が増えている昨今です。

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 『だれに聞くか?』、『どこから得るか?』が大切で、どうしても「取捨選択」をしなければ、情報の多さに煩わされてしまっています。江戸や京都や長崎の旅帰りの情報などは、行ったことなどない、それ以外の地に住む人には目新しく、『へー、そんなことがあるんですね!』と、嘘八百や、尾ひれ背びれをつけた話しを聞かされることがあったのでしょう。江戸の街には、「瓦版(かわらばん)」という情報のツールがあって、たまには号外が発行され、この頃起こった事件や出来事を報されたのでしょう。

 「意地の悪い姑」のイジメ、社会のゴシップなどのゴミ情報に、うんざりの今日日ほど、「事実」、「真理」などが渇望されている時代はないのではないでしょうか。どんな情報も、一度、”filter “ に通される必要がありそうです。世の中を混乱させ、扇動するような情報は、十二分に注意しなければなりません。

『「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(新改訳聖書 マルコ13章4〜7節)』

 「戦争のうわさ(KJ聖書は”rumours”」が、飛び交っているこの頃、聖書は、『あわててはいけません。』と言っています。私たちが承知しておくべきことは、『それは必ず起こることです。』という、主イエスさまのことばです。『民族は民族に、国は国に敵対し(同8節)」て、戦争が引き起こされます。ウクライナにロシアが攻め入り、北朝鮮はこの戦争に派兵をし、パレスチナではイスラエルとハマス、イランとが戦争状態になっています。

 ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮は、いつかどこかの国に実際に弾道弾を打ち込まないとも限りません。中国による台湾侵攻もあり得ますし、ロシアの日本への攻撃だってありそうです。そればかりではありません、「キリストの再臨」や、「世の終わりの兆候」などの関しての偽情報があります。『私こそキリストだ!』、『キリストは浜松に再臨される!』、『キリストは、20◯◯年◯月においでになられる!』と言う人が出てくると、聖書は警告しているのです(ルカ11章7~8節参照)。実際、そう言う人が、以前から輩出していて、これからもありえます。

 「流言蜚語(りゅうげんひご)」、世間に飛び交う根拠のないうわさ話が、さらに溢れかえる時がきています。それらに踊らされずに、日常の義務を、堅実に果たすことが必要です。惑わされないで、しっかり目と耳を、正しい信頼できる情報に向けていきたいものです。

 また、大きな地震が頻発しているのも、気象異常も、とくに最近の状況は、聞き的ですが、それらも、この時代の緊迫感を言い当てています。イスラエルの周辺に起こる出来事は、「日時計」だと言われています。これからの日、世界に起こる出来事の中で、イスラエルの周辺に起こる動きから目が離せません。時を知らせているのかも知れません。

※ 言い伝えであって差別のために引用していません!

(ウイキペディアの像に触れる人々、警視庁のデマへの警告ビラです)

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鳩とカナリヤ

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 すぐ上の兄は、伝書鳩を飼ったり、十姉妹の餌付けをしたり、小動物を可愛がっていたのです。とくに鳩は、小屋を作って、餌を上げたり、飛ばしたりしていました。あの頃の中学生たちの間で、この鳩の飼育が流行っていたのです。鳩の習性は、素直で帰巣本能を持っていて、放つと、しばらくして飼い主の元に、帰って来るのです。

 鳩の足に、文書を収める筒(軽量なアルミ製でした)を付けて、通信のために有用なのです。初めは、軍事や報道や医療(緊急に薬や血清の送致が行われていた様です)などの情報などを送受信するために用いられたのです。1960年代頃まで有用でしたが、通信手段が発達してからは、それらに取って代わってしまったのです。最も古い通信手段は狼煙(のろし)、伝書鳩、飛脚や伝馬など、郵便料金が上がっても、前島密が、ヨーロッパに郵便制度を導入した貢献は今に至り、IT時代でもまだまだ役割がありそうです。

 この伝書鳩として用いられるのは、カワラバト(河原鳩)と呼ばれるもので、人懐こい性質を持っているそうです。もう5000年前にはシュメールで、3000年前にはエジプトで飼われていたとの記録があります。またギリシャのポリス(都市国家)間で、古代オリンピアードの競技結果の知らせなどで用いられていたそうです。

 その他の動物が、役割を担っていた例では、「カナリヤ」がいます。作詞が西条八十、作曲が成田為三の「歌を忘れたカナリア」という歌があります。

  歌を忘れたカナリヤは
後ろのお山に棄てましょか
いえいえそれはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか
いえいえそれもなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは可哀相

歌を忘れたカナリヤは
象牙の舟に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す ♫

 捨てられるカナリアが可哀想だと言って、同情した子どもの優しい気持ちが込められた歌です。作詞者の西条八十は、歌謡曲の作詞をした人で、「だれか故郷を思わざる」、とか「東京行進曲」などで有名ですが、もともとは児童文学を専門としていた童謡詩人だったのです。

 『捨てる神がいて拾う神がいる』のだそうですが、初期には、炭鉱経営者が、炭鉱夫のみなさんの作業の安全のために、このカナリヤを重用しています。炭坑の中に入っていく作業員の先頭に、鳥籠を持つ作業員が、まず入っていったそうです。

 炭鉱の中を進んで行きますと、カナリアの鳴く声が止まったり、力を失って死んでしまったりすると、炭鉱内にメタンガスのような有害ガスが発生していることを知らせてくれるのです。それが起こると、緊急避難で、退出することができたわけです。

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 化学的な器具ではなく、生物学的な方法で、ガス発生を検知するカナリヤが、そう言った役割を担っていたわけです。そう言ったことから、英語には、

 “ like a canary in a coal mine (炭鉱の中のカナリア)」

との言い回しがあるのです。まだ何も起きていないのですが、その自体が危険だということを知らせることを言っています。カナリアの嗅覚を通して、危険が回避できるわけです。私の家の台所に、ガス検知器があって、ガス保安の係の方が操作した時に、けっこう大きな音でガス漏れを知らせてくれていて驚きました。

 炭鉱員をいち早く危険地域から退避させる役割を果たした鳥でした。人間に感知できない有毒物質を敏感に感知し、危険を知らせてくれたのは感謝なことだったのです。この歌は、歌い出しはかわいそうですが、同情する子どもによって、優しくせっしようとする気持ちが現れていて、何か安心した子どもの頃を思い出しました。

 昨今、世界中で危険な事態が起こっているニュースが溢れています。その危険を検知できる、鋭敏な感覚を鈍らせないことが肝要だと、「ガス検知カナリヤ」のことを思い出して、考えさせられるこの頃です。

(ウイキペディアのカナリヤ、死にかけたカナリヤを蘇生させる装置です)

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秋の陽を浴びて

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 窓辺で、秋の陽を浴びているオリズルランです。家内の撮影です。もう柔らかな陽に変わってきて、秋たけなわです。胡蝶蘭も桔梗も、そして朝顔も咲き終わって、ちょっと寂しくなってしまいました。

 昨日、自転車で出掛けて、カインズの店先に鉢植えの花が並べられてありました。迷いながら買わずに帰ってきました。財布を、引き出しの中に忘れて、家を出てしまったからです。

 散歩でなく、ペダルを踏むのもいいものです。道々、秋の陽射しと風があふれていました。

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父の涙

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 クリスチャンの国会議員と共に、国のために祈る「国家朝祷会」に参加させていただいたことがありました。その会に、招かれていたのが、福音歌手の岩渕まこと氏でした。以前、自分たちの教会にお招きしたことがありましたが、その朝祷会の席上、ご自分で作詞作曲された「父の涙」を歌われたのです。

心にせまる父の悲しみ
愛するひとり子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう
愛を知らずに今日も過ぎて行く
十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの愛

父が静かにみつめていたのは
愛するひとり子の傷ついた姿
人の罪をその身に背負い
父よ彼らを赦してほしいと
十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの愛

十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの

 神さまの目に涙があるのに驚かされますが、人の涙とは違います。自分の父が、涙をこぼしていた姿を、どうしても思い出してしまうのです。父は、歌謡曲を歌っていたのを知りません。ただ、何度か「めんこい仔馬」を歌うのを聞いたのです。父が歌っていた頃の歌詞は、戦時下でしたから、軍馬としてのめんこい仔馬でした。作詞がサトウハチロー  、作曲が、仁木他喜雄でした。戦後は、歌詞を変えています。

濡れた子馬のたてがみを
なでりゃ両手に朝の露
よべばこたえて めんこいぞ
オーラ
かけて行こかよ 丘の道
ハイド ハイドウ 丘の道

わらの上から育ててよ
今じゃ毛並も光ってる
お腹こわすな 風邪ひくな
オーラ
元気に高くないてみろ
ハイド ハイドウ ないてみろ

西のお空は夕やけだ
仔馬帰ろうお家には
お前の母さん 待っている
オーラ
歌ってやろかよ 山の歌
ハイド ハイドウ 山の歌

月が出た出たまんまるだ
仔馬のお部屋も明るいぞ
よい夢ごらんよねんねしな
オラあしたは朝からまたあそぼ
ハイドハイドウ またあそぼ

濡れた子馬のたてがみを
なでりゃ両手に朝の露
よべばこたえて めんこいぞ
オーラ
かけて行こかよ 丘の道
ハイド ハイドウ 丘の道

わらの上から育ててよ
今じゃ毛並も光ってる
お腹こわすな 風邪ひくな
オーラ
元気に高くないてみろ
ハイド ハイドウ ないてみろ

西のお空は夕やけだ
仔馬帰ろうお家には
お前の母さん 待っている
オーラ
歌ってやろかよ 山の歌
ハイド ハイドウ 山の歌

月が出た出たまんまるだ
仔馬のお部屋も明るいぞ
よい夢ごらんよねんねしな
オラあしたは朝からまたあそぼ
ハイドハイドウ またあそぼ

 自分が持っていた馬への愛着があって、馬の世話をしていた方が、病気の子どもに栄養を摂らせたくて、父の馬を潰して、肉にしてしまったのです。父の所にも持ってきたのだそうですが、それとは知らずに、父も食べてしまったそうです。後で事情を聞いて、戦時中に食糧難のこと、病気のことで、責めることはしなかった様です。愛馬への思い出からの涙だったのでしょうか。

 それに、もう一つは、「主われを愛す」でした。

1 主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
(くりかえし) わが主イェス わが主イェス
わが主イェス われを愛す

2 わが罪のため さかえをすてて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり
(くりかえし)

3 みくにの門(かど)を ひらきてわれを
招きまたえり いさみて昇らん
(くりかえし)

4 わが君(きみ)イェスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
(くりかえし)

 子どもの頃に、『親爺に連れられて、教会学校に行ってたよ。』と、父が言っていましたから、よく聞き覚えて、自分でも歌っていた歌だったのでしょう。涙ぐんで歌っていたので、父が泣くのには驚かされたのです。人の子ですから、もちろん懐かしくなったり、寂しくなったりしたら泣くはずです。

 御子を十字架に、贖いの代価として、死なせなければならない父の神に、涙がありました。自分たちの父親とは比べることはできませんが、自分も泣くのかなあと思ったりしている今です。父は、兄の導きで、信仰を告白していました。その後間もなくして、父は、入院先の病院で、退院の朝に召されたのです。

 その突然の父の死に、敷く場から病院に着くまで、今度は自分が泣き続けたのです。父に愛された子として、もっと親孝行をしたかった悔いの涙でもあったのかも知れません。主の前で、泣けるのは、感謝なことに違いありません。

(”Christian clip arts“ の父に抱き抱えられる弟息子です)

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騒音の諸相

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 子どもの声や行動が、「騒音」だという騒動があります。子育てを、私たちが始めたのが、長男が東京都下の街で生まれ、ついで彼が2ヶ月で新しく越した街からでした。2階建てのアパートの二階の角部屋に住んだのです。近所の公民館をお借りして、日曜学校を始めました。20〜30人もの子どもたちがやって来て日曜学校を始めました。その中の何人かの子たちが、週日の午後の下校後に、わが家に、よく遊びにやって来たのです。

 壁も床もが造りが薄く、音が漏れるに十分の古い普請のアパートで、階下や隣は迷惑だったことでしょうか。階下の家は天井、わが家では床下を、きっと箒の先でしょうか、口でではなく、トントントンと築突き上げて、抗議されたことが何度もありました。

 それに、『越して来て空気が変わったからね!』と、近所のお母さんたちに、同情されて言われた様に、長男がよく泣いたのです。『泣く子は育つ!』で、あの泣き虫は、187cmの青年に、いえもう五十の中年になっています。今は魂のお世話をする仕事に励んでいるのです。

 社会全体に、今や余裕や愛情や労りが少なくなってきているのではないでしょうか。忍耐を超えてしまう限界点があって、それを「受忍限度」と言うのだそうです。電車や飛行機の中で、幼い子どもが泣くのを、同乗客が我慢できないで怒鳴ることが、チョクチョクあるのだそうです。また、保育園の保育場で遊ぶ子どもの声がうるさいとか、送り迎えの車の音もうるさいのだそうです。そう言った騒音で、事件だって起きている様です。

 聞き方によって、ある人には、[成長期に発せられる好ましい音]、[将来性を告白している音]と捉えられる人と、まさに騒音でしかない人がいるわけです。やはり、今流の社会問題として騒がれています。

 父の家に育った男の子たち四人は、兄弟喧嘩をし、父子喧嘩をし、外でも喧嘩をし、怒鳴り声や物を壊したり叩いたりする音で満ち溢れていました。ビックリした近所の方は、はじめの頃は注意しに来たのですが、父に、『うるさい!』と、怒鳴られて、『はいっっ!』と言って、追い返されてから、もう何も言われなくなってしまいました。道の向こう側の家の一家は、窓の上のガラス越しに、みんなで、我が家の様子を見ていました。

 家内が働いていた職場の上司が、『大丈夫なの?』と心配して聞いてきたのだそうです。結婚を決めた相手の私で〈大丈夫〉なのかと言う、そんな心配と同情のこもった質問を受けたわけです。その人は、街一の[騒音一家]の父の家の評判や実情を知っていた方だったのです。家内は、『大丈夫です!』と言って、嫁入りして来て、五十三年経った今も、どうも「受忍間度」内で大丈夫そうです。

 騒音に忍耐してくれた近所の人がいて、きっと『大きくなったら、どんな子たちになってしまうんだろう?』と、心の内では溢れるほどに心配していた近所のみなさんが、いつの間にか、ちゃんと高校に進学し、大学まで行き、一部上場の会社に就職し、外資系のホテルマンになり、高校の教師になっていった四人に、予想外、当ての外れた私たちを見ていて、どう思っておられたのでしょうか。

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 上手に感情を発散したのがよかったのでしょう、危機の思春期を上手に越えられ、だれも極道者にもならずに、八十を迎え、迎えつつある四人の今を、もし知ることができたら、奇跡だと思われたに違いありません。これは、万物の創造者なる神の「憐憫」に違いありません。

 あの映画で人気の寅さんが、久し振りに帰宅し、おいちゃんの和菓子屋の茶の間に座っていると、『おい!トラ、こんなところでクソひっちまって!』と、サクラの夫が裏口から帰って来るくだりがあります。自分のことを言われたと勘違いして、『俺がどこに・・・?』とお尻を見ながらトラさんが言い返します。おいちゃんもおばちゃんも、サクラもハラハラしています。『いつもみんなでトラ、トラと言ってオレの悪口を言ってるんだろう!』と寅さんはイジケます。そこへ隣の印刷工場の社長が、『トラ、トラ、このヤロー!』と、トラを追いかけながら裏口から入って来るのです。それで堪忍袋の尾が切れた寅さんが、喚きながら、社長に物を投げたり大暴れをする、そんな場面がありました。

 そんな場面が、我が家にもあったなあ、と思ったものです。翌朝になると、子どもたち四人は、学生服を着て登校し、父は、Yシャツにネクタイ、ピカピカに磨いた靴に紳士姿で出勤していくのです。昨夜の騒ぎが嘘の様に、何もなかったかの様に、すずしい顔で家を、みんなが出て行くのです。そんな繰り返しだったなあ、と家内に話しました。

 家内と子育てをしたのは、みんなで建てた教会堂の一階の奥の部屋や、道路の反対側の借家でした。私たちに4人の子どもたちも、元気イッパイ、声まで大きく、六匹の秋刀魚を焼いた煙でモクモクさせて、隣家から苦情が出るほど、まあ迷惑な騒音一家だったかも知れません。そこから、市営団地、県営団地と引っ越しをしていく頃に、一人の姉妹が礼拝に見える様になっていました。

 彼女が、市内の高校に通っている頃、教会の前をよく通ったのだそうです。教会や借家の玄関から、勢いよく出てくる子どもたちの姿や声を見聞きして、『楽しそうでいいなあ!』と思っていたのだそうです。そんな高校時代を過ぎて、留学中の時だった時にでしたか、クリスチャンになって、礼拝に見える様になっていたのです。

 その騒音一家が、この方にとっては、自分の家庭と違った和気藹々の楽しそうな一家に見えて、羨ましくて仕方がなかったのだそうです。そんなことだってあるのですね。その頃には、上の子たちは、学びのために留学したり、東京に行ったりして家にいない頃でした。

 思い返せば、楽しくもあり、騒騒しい時々でしたが、いつも、忍耐の神さまの憐れみが溢れていたでしょうか。それに、隣人のみなさんの忍耐もあった様です。それに、母の祈りや家内の祈りがあったからでしょうか。

(ウイキペディアの柴又駅前の寅さん像、焼き秋刀魚です)

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はえある日

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『もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。(イザヤ58章13~14節)』
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いのちの躍動する音が

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 “ monitoring ”とは、観察とか監視をすることを言っていて、主に医療の面で言われれている用語です。先々週の日曜日に、次男が、心電図測定の機能を持った医療用時計(medical watch)を持って来てくれました。細かく使い方を説明してくれて、それ以来、朝夕に測定しています。

 その測定情報は、スマホに自動的に送信され記録されるのです。運動のエネルギーの変化などの測定などの様々な機能が搭載されていていて、一目瞭然です。医院に行って測定しなくとも、心臓の動きがよくわかります。

 手首の脈拍の様子、また手の振り方や回数から、歩行時の運動量もわかるのも、万歩計には比べられない情報を得られるのです。それに、病院のCTやMRI などの検査によって、さまざまな身体の様子を知ることできるのも驚きです。それよりも何よりも、親を気づかう子どもたちの思いが嬉しく、その愛情効果は感動的なのです。

 全速力、全神経で走ることができた頃と比べて、体力も筋肉量を落ちていますが、それを事実として受け入れるのも必要だと思わされています。ちょっと弱音を吐いたのか、「ポンコツ」だと言ったら、『そうなっちゃうからやめて!』と、そうも言われてしまいました。

 もう親子逆転の時節を迎えて、もう苦笑いするしかなくなく、感謝な時が与えられております。歳を重ねたカレブが、族長のヨシュアに、

『今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。(新改訳聖書  ヨシュア14章10~11節)』

と言いました。カレブは、「壮健な八十五の今」を、民族の指導者にアピールしているのです。もう五年ほどで、その年齢に自分もなりますが、彼の確信と告白が羨ましいかぎりです。

『私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩篇90篇10節)』

 そう詩篇の記者は記しています。一番元気だった十七の頃、「誇れる頃」を、はっきりと覚えています。学校から市道や都道に出て、その道路沿いの電信柱ごとに、緩急に、全速度力で走り、そして次には流して走る、それしかを繰り返して走り込んだ日の光景が浮かんでくるのです。

 全国制覇の道を、そんな走りを通して目指した日々です。自分たちの時には果たせませんでしたが、一級下がインター杯と国体とで全国制覇を遂げています。今は川辺を、汗ばむ程度の歩きで散歩していますが、穏やかに身体に過負担なく、咲く花や飛ぶ鳥やトンボを眺めながらなのです。

 生かされいる今への感謝が溢れてきます。休みなく心臓🫀は鼓動し、血流も休みなく体全体をめぐり続けてくれています。生きようとする意思の力ではなく、いのちの付与者の恵みによって、この体や意思が機能しているのです。自分ができるのは生かされていることを認め、そして感謝するだけなのでしょう。

 思い返せば、その十七でイエスを告白し、二十二でバプテスマを受け、二十五で聖霊に満たされて、十字架が分かり、生きる道を見出したのです。一人の妻を得て、四人の子を与えられ、四人の孫がいての今です。たくさんな人と出会い、関わってきました。数限りない出来事が内や外にあって、そしてここに居ます。

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 先日は、散歩帰りに、キャベツやさつまいもやみかんや鰯の丸干し、サランラップなどの買い物をし、夕べは、ビーフンと葛を麺に、牛肉とトマトと胡瓜としめじと卵を錦糸卵にして冷麺を作りました。タレも自家製です。『美味しいわ!」と家内が言ってくれました。47、8年してもらったお返しに、食事当番をして6年になります。お昼は家内の登板なのです。

 そんな平凡で静かな日を送っています。それでも隣り街の教会に呼ばれて、お話をさせていただく時も与えられてもいます。先週は、その教会の牧師さんの奥さまが、季節の栗羊羹を届けてくださり、一緒に知覧茶を飲みながらいただき、談笑の時を持ちました。

 けっこう素敵な時が与えられており、体の中で、いのちが躍動する音がが聞こえてくる様です。秋の盛りに、静かに時もまた過ぎていきます。

(ウイキペディアのサツマイモです)

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もっと重大な落球のないことを

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Yankees at Orioles 9/7/17

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 「プレッシャー(pressure)」、どんな人でも、どんなに経験を積んだ人でも、どんな栄光や称賛を受けた人でも、この「外からかかる精神的・心理的な圧力」を避けることができない様です。

 ヤンキー・スタジアムで、ホームランバッターのジャッジ選手がセンターを守っていて、ドジャースの選手の打ったボールの捕球を誤って落球してしまいました。

 どうも、それがきっかけとなって、勝ち試合をヤンキースが失ってしまった、と酷評されています。その落球を米紙は評して、『結局のところ彼らには才能ではなく技術が欠けている。』と記しているのが、おおかたの捉え方です。

 それだけが原因でしょうか。あれだけの人に観覧され、驚くほどのお金が動き、悲喜交々、驚くべきエネルギーがみなぎっている中で、ボールを投げたり、打ったり、捕ったり、走ったりの野球の総本山、MLBの最終戦が抱えている心理的緊張があったに違いありません。あんなに活躍した選手だって、打てないし、投げれないし、走れないし、補給できないのです。人間がするゲームだからです。

 名アナウンサーだって話をカムことがあり、高明な説教者だって引用を勘違いし、名政治家だって失言し、将棋名人も差し手を間違え、ホームラン・バッターのジャッジだって打てないし、落球するのです。人には、「失敗」、「ミス」が付き物なのです。だから面白いのではないでしょうか。

 イエスさまは、『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。(新改訳聖書 ヨハネ8章7節)』と、姦淫の現場で捕まえられた女性を取り巻いて、糾弾する男たちに、そう言いました。すると、どうなったかが記されてあります。

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『彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。(9節)』

 そこにいた誰もが、黙して、その場を去ったのです。誰も女の罪を責められる男がいなかったのです。心の中で情欲いだいても、それは姦淫だと、イエスさまはおっしゃいました(マタイ5章28節)。そのイエスさまだけが、人の罪を責めることができるのです。ところが、『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。(11節)』と、この女性に言われました。

 失敗のデパートの私も、石で、この女性を打てませんし、このジャッジを責められません。みなさんはいかがでしょうか。これが人です。「捕球ミス」が端を発して、World champion shipをヤンキースは失いました。だから、野球も人生も面白いのかも知れません。アーロン・ジャッジには、落球のミスを忘れて、来シーズン、また活躍してほしいとエールを送ります。決して「戦犯」などではないのですから、自分を責めないでほしいのです。

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 さて、人類最後の「ミス」は、核ボタンを押すことです。何時、誰が押すのでしょうか。それこそが、現時点の最大関心事になってきています。その時の備えができているでしょうか。いえ、神の前に「信仰」を持たないことこそ、最大、最終のミスと言えるにちがいありません。もっと重大な落球のないことです。

(ウイキペディアにアーロン・ジャッジ選手、石、点灯用ボタンです)

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