『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(新改訳聖書 詩篇139篇13~16節)』
これまで、「幸福論」を書き著した人がたくさんおいでです。何冊も読みました。それは取りも直さず、『人は誰もが幸せになりたい!』と言うことと、『だれも幸せの境地に達していない!』との結論になるのでしょうか。なんだか蜃気楼のようなもので、近づくほどに遠のいてしまい、煙のようにつかむことのできないものだと言うのでしょうか。
南カリフォルニア大学教授のリチャード・イースタンが、「幸せをもたらす要因」を上げていました。『愛する者との質の高い時間、健康、友人、楽観人生観、自制、高い倫理基準を保つことです!』との報告ででした。これは、1975年以降、1500人/1年間の長年にわたる調査結果によるものなのです。この調査報告を読みますと、この6つの条件を満たすことによって、人は幸福になることができそうです。これを要約しますと、〈時と人と自分を大切にすること〉が、幸せになるための要点になるのでしょうか。
家内の母方の祖母が、『人生って、「こんにちは!」を言ったら、もうすぐに、「さようなら!」を言わなければならないよ!』と言ったそうです。自分の生きてきた方を振り返って見ても、なんと時間の経つことが速いことでしょうか。立川の超満員の映画館で、大人たちの背中が邪魔で、スクリーンが見えなかった時に、『早く大人になりたい!』と本気で思いました。
タバコを吸ったりお酒を飲んだりして、早く大人になりたくて、背伸びばかりしていた中学3年くらいで、ほぼ大人並みの身長173cmに私はなりましたから、背格好だけは大人になりつつありましたが、肝(きも)は小さくて幼く、まだまだ未熟な自分を強烈に感じていました。
『もっと確り勉強しておけばよかった!』と、後になって悔やむような学生時代を過ごしました。中高の恩師の紹介で、社会人になり、一人前の顔をして、あちこちと出張して、本物の大人の社会に突入したのです。そして、ついに一人の「佳人(かじん)」と出会って結婚し、子どもが四人与えられて、二人で夢中で育てました。かつて親にしてもらった様に、自分に養育を委ねられた子どもたちにもしてあげることに責任を感じたのです。
下の息子が二十歳になって、『バプテスマを授けたい!』と言って帰ってきました。山間の清流で、長男と二人で、彼にバプテスマを施し終えた時、『親がすべき義任を果たし終えた!』と思ったのです。それでも、大人になっていく四人の相談に乗ったりしてきましたから、親子の交わりは、親である私たちにも子どもたちにも必要でしたし、これは子どもたちがいくつになっても変わることのない、〈親子関係〉に双方があるからなのでしょう。
その子育て中ほど、充実していた時代はなかったのではないでしょうか。もちろん仕事をしながら、父親としての責務を遂行していたのですが、夕には疲れて熟睡し、朝には目覚めて新しい日の責任を負いながら、日を重ねていたのです。私は疲れれば、車を走らせて山奥の温泉につかったり、蕎麦やラーメンを頬張りに行ったりして、気分転換をはかる機会もありました。
ところが家内は、四人分のオシメの洗濯の日々を重ね、三度三度の食事を用意し片付けるという、とてつもない同じような日々を積み重ねて(もちろん四人の子どもたちの成長を実感する喜びはあったのですが)、まあ息をつく暇さえなかった年月だったのです。『申し訳ない!』、『女、いえ母親は強いなあ!』、と言う想いです。病む暇のなかった家内が、隣国で病を得て、今も治療薬の後遺症と闘っている家内を見ての率直な思いなのです。
そんな家庭でしたが、人の出入りが多かったのです。一時は十人くらいで、一緒に生活をしていたこともありました。『あの人たちは、今、何をしているんだろう?』と、消息のわからない方が何人かいて、少々気がかりです。タバコも酒も飲まず、悪い遊びをしないで過ごした日々は、まあまあ質の高い日々だったでしょうか。
友人も、中国にも日本にもアメリカにも、そこそこいますし、健康であったと言えるでしょうか。39才の時に、ドナーとして腎臓の摘出手術をしたり、屋根から落ちて肋骨を折って入院したり、自転車で転倒して腱板断裂で入院したことはありましたが、総じて健康だったと思います。
まあ〈短気〉は、どうも治りきらなまま持ち越してきていますから、落第点かも知れません。これだって、『正直だから腹がたつんだ!』と自己弁護の内です。家内に厳しいことを言って気まずかった時も、寝て起きると忘れてしまっているので、楽観主義者、利己主義者(被害を被った家内は気の毒ですが)だと思っています。
最後に、イースタンが言った、「高い倫理基準」を保つことは、若い日に出会い、共に奉仕し、学んだ宣教師さんや兄や友人たちから、徹底的に叩き込まれましたから、心の戦場では、金と女と名誉との激烈な戦闘を繰り返しながら、なんとか負けずに、今日を迎えています。まあまあ及第でしょうか。ただし、これは自分の意志の強さなどではありません。
そうしますと、イースタン説によって、総合点で合格すれすれ、まあまあ幸福な生き方を、これまでしてくることができ、これからも、残りの幸せを噛みしめることができるのではないか、そう自負しております。こんな自己採点を、このところしております。青い鳥が運んでこなくても、ごく至近、自分の心の内に、幸せって小さくあるのではないでしょうか。p
隣国で13年も過ごし、家内の病での帰国、入院と闘病、後半期は、そんな年月なのです。年を重ねて、綻(ほころ)びが出てきて、思ってもみなかった病気になっている今です。誇り、感謝してきた健康に、この2年ほどには、陰りが見え始めています。通院、入院、検査、飲薬と、忙しくなってきているのです。人生には、次々にステージが用意されていて、好むと好まざるによって、それぞれwを踏んで、ゴールに至るのでしょうか。
弱さを覚えつつ、何も誇れないのですが、こんな私に、あの青年期に、生きる意味と目的を与えてくださったり、罪の赦し、魂の救い、永遠のいのちの付与をしてくださった、「キリスト」であるイエスさまに、ただ感謝でいっぱいなのです。教会に仕えることができたこと、『こんな自分でもいいのだろうか?』と思いつつの年月は、有り余るほどの恩寵でした。
思えば、ずっと薬など飲むことなく生きてこれたのですが、今は六種類ほどの薬を、娘の買ってくれた「薬仕切り箱」に入れて、朝な夕な飲んでいます。もう少し生かされるでしょうか。近所に、『友人だ!』と言って、同じ病院の主治医を、私に紹介してくださり、診察の感謝まで医師に言ってくださる方がいて、交流が与えられているのです。
川を挟んで向き合っていて、ご夫妻で住んでおいでの隣人なのです。同病のご主人の助言で、とても助けられております。これも幸福の一つに違いありません。今週の通院日に、月初めの診察でしていただいたCTの映像を、主治医が見せてくれました。自分の「心臓」を見て、その心の思いに汚されずに、驚くほどの美しさを見せているのに、息を呑んだほどの感動を覚えたのです。
80年間も、一日も、いっ時も、いっ瞬も、休まずに動き続けてくれた心臓です。この映像は白黒ですが、見せていただいたのはカラーで、立体映像でした。こんな驚くほどの臓器を持って生まれてきて、今も動き、働いている、神の創造の神秘を覚え、驚いた酷暑の今週でした。
(Christian clip arts のイラスト、ウイキペディアの長く住んだ華南の街の河川、自分の心臓のCT映像です)
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