開発か濫伐か

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 ニューヨークのマンハッタンにあるセントラル・パークは、市民や訪問観光のみなさんに、とても親しまれていて、緑豊かな巨大な公園なのだそうです。ニューヨーカーのみなさんは、このセントラル・パークの木を切って、ビルを建てようなんて、だれ一人言わないのだそうです。とても大事に管理されているのです。

 ところが東京都は、大手の不動産会社の手で、樹木の切り倒しが行われています。ニューヨークと同じ様な巨大都市で、土地の価格は天文学的ですが、巨大なビルや住宅を作るのに、それを犠牲にしても、心が傷まないのかが不思議でなりません。

 この東京は、明治以降、京都から遷都され、東京市と呼ばれる様になりました。それより以前、江戸にはなにもない関東平野の海岸に面した漁村に過ぎませんでした。太田道灌の築城したものに、手を加えて、徳川家康が江戸幕府の要を置いた街でした。漁民の住むの湿地を、大々的に整備して、世界中で、最も整備された街としたのです。

 明治になって、さらに整備され、とくに関東大震災後、帝都復興院の総裁となったのが、盛岡藩出身の後藤新平で、街づくりに奔走します。内務大臣であった後藤新平が、都市計画家として、東京の街づくりに敏腕をふるい、力を注いだのです。

 道幅の広い道路づくりや、街を整った形に変かえる区画整理に力を注ぎました。現在の「昭和通り」、「靖国通り」(当初は大正通りと呼ばれていました)、東京の環状線となる「明治通り」(今の環状5号線)などが敷かれ、街路樹などが植えられたのです。

 自然を残しての近代都市であるべきなのに、〈都市開発のために!〉との肝入りで、美しい東京、神宮外苑の自然に手を入れ、樹木を伐採するのに、反対の声が上がっているのに、計画を強行する、その思いが分かりません。《もったいない》のは、土地を遊ばせておくことではなく、土地を荒らすことにあるのに、そう思わないのでしょうか。

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 市街地の北に、総合運動公園と言う緑の溢れた一廓が、自分の住む街にあって、そこまでの散歩が、主な自分のコースになっています。鳥の囀りが聞こえ、春が近くなると、木々に蕾が膨らんできて、花が咲き、夏には鬱蒼と緑が濃く茂り、秋には紅葉し、冬には冬籠りしていきます。この自然のサイクルがあって、とても楽しむことができ、何よりも、その中ほどにある東屋やベンチに座ると、ホッとさせられるのです。

 ときどき学校帰りに、新宿御苑に行きましたが、あの繁華な新宿に、静まり返った公園が残されているのは、実に素晴らしいことでした。その続きの神宮外苑も、そのままに残したいものです。自然との距離が大きくなるにつれて、人の心が荒廃していくのです。それは横にだけではなく、高層階に住むほどに縦の距離が地表から遠のくにつれて、同じ様に、心が荒(すさ)んでいくのです。

 枯れ葉が落ちて、散っていく様に、一人の少女の命が削られていく、「最後の一葉」の物語を、家内が高校の演劇部で、主人公になって演じたのだそうです。画家のMr.ベアマンが、窓にでしょうか、一葉を描き、それを見た少女が、死期を伸ばして行くのだそうです。そんな話を聞きました。神宮外苑にも、ぜひとも残しておきたいものです。

(ウイキペディアの神宮外苑、NYのセントラル・パーク、運動公園です)

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