流言蜚語

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 「群盲※象を評す」、目の不自由な人たちが、それぞれに初めて触った、「象」の体の感想を述べたことを、そう言います。この象の足を触った人は立派な「柱」のよう、尻尾に触れた人は「箒(ほうき)」のよう、尾の根本を持った人は「杖」のよう、腹を触った人は「太鼓」のよう、脇腹を触った人は「壁」のよう、背を触った人は背の高い「机」のよう、耳を触った人は「団扇(うちわ)のよう、頭を触った人は何か「大きなかたまり」、牙を触った人は何か「角」のようなもの、鼻を触ったひとは太い「綱(つな)のようなものと、一人づつまったく違った印象を語ったのです。

 一人ひとりの象の様態は正しいのですが、象全体を言い当てていません。それに似た言い方があります。

 「葦(よし)の髄(ずい)から天井をのぞく。」

 これは、「江戸いろは歌留多」にある、「よ」のカルタにあります。河原に生えている葦(よし、あし)は細くて、水分を通す管は、さらに細いのです。そんな細い管で、天井を見たとしたら、見える範囲は限られていて、全体を見ることなどできません。それと同じで、狭い視野やわずかな知識で、大きな問題を判断したり、検討しても、全体を見ることはできません。象に触った人たちも同じだったのでしょう。

 何か、「井の中の蛙、大海を知らず」、「下手の長談義」も同じ意味で言われているように思てなりません。

 今年になって、家内に、スマホを次男が買ってくれました。それで家族や私との連絡用が、とても便利になってきたのです。もうどこに行くにも持ち歩く様になっています。時間や天気予報も知ることができ、こちらでできた友人たちと日常の連絡に、文書や画像や声で、イラストまで用いて交信しているのです。さらに辞書を使わずに調べ物もしています。

 病んだからでしょうか、死に損なう経験を通ったからでしょうか、健康食材についての情報に敏感に反応しているのです。これも、素人判断が多そうです。例えばコーヒーはよくないと言う人がいれば、いやコーヒーは健康に好い、と言った風に、真逆な意見があります。聞く人は、右に左に揺さぶられて混乱してしまいます。

 ところで、専門に学んだり、研究もしていないのに、思いつきや感想をや出所不明な情報を発信させる人が大勢います。そんな検証されていない情報が、スマホを介して入手できる時代をむかえています。しかも最近では、以前は図書館に行って、新聞や本からの知識を得て、『・・・だそうです!』と、得た情報を、家内が話してくれていましたが、今はスマホからの情報が多くなっている様で、ちっと心配で、『気をつけて!』と言っています。一部分は正しいのでしょうか、全体的にみて訝(いぶか)しいことが多そうです。

 かくいう自分も同じで、よほど注意していないと、いわゆる〈ガセネタ/嘘か本当かわからないオサワガセ情報のことで、検証されていない情報も含まれているのでしょう〉や〈中傷誹謗ネタ〉に煩わされてしまっています。何度も言いますが、〈表現の自由〉を盾に、何でも言える時代になって、ある人の不確かだったり、中傷目的だったりの情報の蔓延に煩わされる機会が増えている昨今です。

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 『だれに聞くか?』、『どこから得るか?』が大切で、どうしても「取捨選択」をしなければ、情報の多さに煩わされてしまっています。江戸や京都や長崎の旅帰りの情報などは、行ったことなどない、それ以外の地に住む人には目新しく、『へー、そんなことがあるんですね!』と、嘘八百や、尾ひれ背びれをつけた話しを聞かされることがあったのでしょう。江戸の街には、「瓦版(かわらばん)」という情報のツールがあって、たまには号外が発行され、この頃起こった事件や出来事を報されたのでしょう。

 「意地の悪い姑」のイジメ、社会のゴシップなどのゴミ情報に、うんざりの今日日ほど、「事実」、「真理」などが渇望されている時代はないのではないでしょうか。どんな情報も、一度、”filter “ に通される必要がありそうです。世の中を混乱させ、扇動するような情報は、十二分に注意しなければなりません。

『「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(新改訳聖書 マルコ13章4〜7節)』

 「戦争のうわさ(KJ聖書は”rumours”」が、飛び交っているこの頃、聖書は、『あわててはいけません。』と言っています。私たちが承知しておくべきことは、『それは必ず起こることです。』という、主イエスさまのことばです。『民族は民族に、国は国に敵対し(同8節)」て、戦争が引き起こされます。ウクライナにロシアが攻め入り、北朝鮮はこの戦争に派兵をし、パレスチナではイスラエルとハマス、イランとが戦争状態になっています。

 ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮は、いつかどこかの国に実際に弾道弾を打ち込まないとも限りません。中国による台湾侵攻もあり得ますし、ロシアの日本への攻撃だってありそうです。そればかりではありません、「キリストの再臨」や、「世の終わりの兆候」などの関しての偽情報があります。『私こそキリストだ!』、『キリストは浜松に再臨される!』、『キリストは、20◯◯年◯月においでになられる!』と言う人が出てくると、聖書は警告しているのです(ルカ11章7~8節参照)。実際、そう言う人が、以前から輩出していて、これからもありえます。

 「流言蜚語(りゅうげんひご)」、世間に飛び交う根拠のないうわさ話が、さらに溢れかえる時がきています。それらに踊らされずに、日常の義務を、堅実に果たすことが必要です。惑わされないで、しっかり目と耳を、正しい信頼できる情報に向けていきたいものです。

 また、大きな地震が頻発しているのも、気象異常も、とくに最近の状況は、聞き的ですが、それらも、この時代の緊迫感を言い当てています。イスラエルの周辺に起こる出来事は、「日時計」だと言われています。これからの日、世界に起こる出来事の中で、イスラエルの周辺に起こる動きから目が離せません。時を知らせているのかも知れません。

※ 言い伝えであって差別のために引用していません!

(ウイキペディアの像に触れる人々、警視庁のデマへの警告ビラです)

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