私に定められた時を待つ今

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 「懐古」と「追想」、歳を重ねるごとに、二親のこと、幼い日からのいろいろな出来事、兄弟や友だちのこと、色や匂いや風景や印象をひっくるめて、それらを思い返したり、その人や出来事のあった街を訪ねてみたい思いがしてきます。それらとは違って、これから迎える未知の経験にも、間違いなく近づいていることにも、思いを向けないわけにはいきません。

 聖書を読み始めて、知ったことがあります。すべてに、人に与えられた「時」、しかも、その「短いこと」と、「定まった時」があると言うことです。「詩篇」と「伝道者の書」の中に、次の様にあります。

『あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」 まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。 あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草のようです。 朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。 まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤りにおじ惑います。 まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(新改訳聖書 詩篇90篇3〜12節)』

 人の一生は、「夜回りのひととき」、「移ろう草」、「しおれて枯れる花」、「ひと息のように終わる」、そんな風に、聖書は言っています。「千年が一瞬に過ぎ去る」、これは、「人生短し」の一言に尽きるのでしょう。溢れるほどに時がある様に思っていた日を思い出して、苦笑いをしてしまいます。

『帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください。 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。 あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。 私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。(同13〜17節)』

 そう、詩篇の作者は続けています。「満ち足りること」、「楽しむこ」、「喜び歌、楽しむこと」、こういったことこそが、自然の理であって、人はそうすべきなのでしょう。七十年から八十年の間に、人の一生の「時」が定められています。それに、付け加えることも、間引くことも、人にはできないのです。

 一生の儚(はかな)さを、親鸞は、次の様に詠みました。

明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かむものかわ

 明日は必ず来るとは限らず、見ている間に、嵐が吹き荒れて、一瞬のうちに、時も出来事も、そして自らの命さえも失せてしまうと言うのです。この親鸞は九十で亡くなります。また信長も、「幸若舞 敦盛」を舞いながら、次の様に詠んでいます。 

『思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間(じんかん)五十年、下天(化天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。』

 信長を、最後には本能寺で討ってしまった家臣の明智光秀は、次の様に辞世の句を残します。

『従順無二門大道徹心源五十五年夢覚来帰一元

「恭順も良く、反逆も良いという、この二通りの道は存在しない、人の行うべき通りが存在することが、心の底まで深く分かった。五十五年の夢から目覚めて、黄泉に下ろうとしている。

 歴史家は、追い詰められ、切羽詰まって、『敵は本能寺にあり!』で、信長を、光秀は討つたと言いますが、戦死した家来の家族に、供養米を届けさせるほど、部下に優しい指導者だったと言われますが、戦国の世の常、平々凡々の平成の世の私には、光秀を思いはかることはできないのです。

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 この光秀を打ったのが、秀吉でした。今太閤と言われた、足軽上がりの指導者でしたが、天下を収めたのは、驚くほどの才覚の持ち主だったからでした。そんな秀吉も、病には勝てずに果てます。

露と消え露と散りぬる我が身かな浪花の事は夢のまた夢

 あの「聚楽第(じゅらくだい)」を造営するほどの力を、天下に示し、朝鮮半島にまで兵を送り、日朝の間に禍根を残しますが、六十一年の生涯を閉じています。

 九十年を親鸞が、四十八年を信長が、秀吉が六十一年を生きて、死んでいきました。聖書は次の様にも、記します。

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。(伝道者3章1〜8、17節)』

 どの様なことが起ころうとも、偶然はなく、「定まった時」があると言うのです。6歳上がりに小学校、でも入院中で学校に通った日がありませんでした。クラスの仲間を知らないで東京に越して、転校したのです。

 何度も何度も引越しをして、今住むここが自分の「終の住処(すみか)」なのでしょうか。自分に残されている時間を数えてみると、もう五年ほどでしょうか、ちょっと加えても七年かも知れません。そんな思いに晒(さら)されるこの頃です。

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 しかし、薄ぼんやりした将来を、不確かな思いで、私は待っているのではありません。『イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。(ルカ23章43節)』と、十字架上で、共に処刑場に立たされた犯罪者に、イエスさまが語った様に、私にも《定められた「きょう」》が、間も無くくることでしょう。そして、パラダイスに、その日から永遠に居続けることができる、そう自分は信じているのです。

 お隣の国からと心密かに決めていましたが、主は2019年の1月に、祖国に帰らせてくださって、今住んでいる「ここから」行くのでしょうか。はたまた他の国や街からでしょうか。私にも、「定まった時」があるのです。残された時を、悔いなく過ごして、自分の時を迎えたい今であります。

(ウイキペディアの日時計、聚楽第の図会、日の出です)

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