秋の陽を浴びて

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 窓辺で、秋の陽を浴びているオリズルランです。家内の撮影です。もう柔らかな陽に変わってきて、秋たけなわです。胡蝶蘭も桔梗も、そして朝顔も咲き終わって、ちょっと寂しくなってしまいました。

 昨日、自転車で出掛けて、カインズの店先に鉢植えの花が並べられてありました。迷いながら買わずに帰ってきました。財布を、引き出しの中に忘れて、家を出てしまったからです。

 散歩でなく、ペダルを踏むのもいいものです。道々、秋の陽射しと風があふれていました。

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父の涙

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 クリスチャンの国会議員と共に、国のために祈る「国家朝祷会」に参加させていただいたことがありました。その会に、招かれていたのが、福音歌手の岩渕まこと氏でした。以前、自分たちの教会にお招きしたことがありましたが、その朝祷会の席上、ご自分で作詞作曲された「父の涙」を歌われたのです。

心にせまる父の悲しみ
愛するひとり子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう
愛を知らずに今日も過ぎて行く
十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの愛

父が静かにみつめていたのは
愛するひとり子の傷ついた姿
人の罪をその身に背負い
父よ彼らを赦してほしいと
十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの愛

十字架からあふれ流れる泉
それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉
それはイエスの

 神さまの目に涙があるのに驚かされますが、人の涙とは違います。自分の父が、涙をこぼしていた姿を、どうしても思い出してしまうのです。父は、歌謡曲を歌っていたのを知りません。ただ、何度か「めんこい仔馬」を歌うのを聞いたのです。父が歌っていた頃の歌詞は、戦時下でしたから、軍馬としてのめんこい仔馬でした。作詞がサトウハチロー  、作曲が、仁木他喜雄でした。戦後は、歌詞を変えています。

濡れた子馬のたてがみを
なでりゃ両手に朝の露
よべばこたえて めんこいぞ
オーラ
かけて行こかよ 丘の道
ハイド ハイドウ 丘の道

わらの上から育ててよ
今じゃ毛並も光ってる
お腹こわすな 風邪ひくな
オーラ
元気に高くないてみろ
ハイド ハイドウ ないてみろ

西のお空は夕やけだ
仔馬帰ろうお家には
お前の母さん 待っている
オーラ
歌ってやろかよ 山の歌
ハイド ハイドウ 山の歌

月が出た出たまんまるだ
仔馬のお部屋も明るいぞ
よい夢ごらんよねんねしな
オラあしたは朝からまたあそぼ
ハイドハイドウ またあそぼ

濡れた子馬のたてがみを
なでりゃ両手に朝の露
よべばこたえて めんこいぞ
オーラ
かけて行こかよ 丘の道
ハイド ハイドウ 丘の道

わらの上から育ててよ
今じゃ毛並も光ってる
お腹こわすな 風邪ひくな
オーラ
元気に高くないてみろ
ハイド ハイドウ ないてみろ

西のお空は夕やけだ
仔馬帰ろうお家には
お前の母さん 待っている
オーラ
歌ってやろかよ 山の歌
ハイド ハイドウ 山の歌

月が出た出たまんまるだ
仔馬のお部屋も明るいぞ
よい夢ごらんよねんねしな
オラあしたは朝からまたあそぼ
ハイドハイドウ またあそぼ

 自分が持っていた馬への愛着があって、馬の世話をしていた方が、病気の子どもに栄養を摂らせたくて、父の馬を潰して、肉にしてしまったのです。父の所にも持ってきたのだそうですが、それとは知らずに、父も食べてしまったそうです。後で事情を聞いて、戦時中に食糧難のこと、病気のことで、責めることはしなかった様です。愛馬への思い出からの涙だったのでしょうか。

 それに、もう一つは、「主われを愛す」でした。

1 主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
(くりかえし) わが主イェス わが主イェス
わが主イェス われを愛す

2 わが罪のため さかえをすてて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり
(くりかえし)

3 みくにの門(かど)を ひらきてわれを
招きまたえり いさみて昇らん
(くりかえし)

4 わが君(きみ)イェスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
(くりかえし)

 子どもの頃に、『親爺に連れられて、教会学校に行ってたよ。』と、父が言っていましたから、よく聞き覚えて、自分でも歌っていた歌だったのでしょう。涙ぐんで歌っていたので、父が泣くのには驚かされたのです。人の子ですから、もちろん懐かしくなったり、寂しくなったりしたら泣くはずです。

 御子を十字架に、贖いの代価として、死なせなければならない父の神に、涙がありました。自分たちの父親とは比べることはできませんが、自分も泣くのかなあと思ったりしている今です。父は、兄の導きで、信仰を告白していました。その後間もなくして、父は、入院先の病院で、退院の朝に召されたのです。

 その突然の父の死に、敷く場から病院に着くまで、今度は自分が泣き続けたのです。父に愛されたことして、もっと親孝行をしたかった悔いの涙でもあったのかも知れません。泣けるのは、感謝なことに違いありません。

(”Christian clip arts“ の父に抱き抱えられる弟息子です)

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