『主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。(新改訳聖書 詩篇147篇3節)』
ニューヨークの小学校の教師をしていた高校時代の級友に依頼されて、課外授業で話をした、ベトナム戦争の帰還兵で、23歳のアフリカ系の青年、アレン・ネルソンに、一人の女子が質問をしました。『Mr.Nelson、あなたは人を殺しましたか?』とです。瞬間、小学校4年生の質問を聞いて凍りついた様に、固まってしまった彼は、しばらく声を出せないで沈黙が続きます。
アレンは、ニューヨークの貧民街で、未婚の母の子として誕生します。お決まりの貧困と非行が続き、海兵隊に入隊するまで、満腹の体験がないほどの貧しい中を育ち、高校も中退してしまいました。街をぶらついていた時、〈海兵隊員募集中!〉の広告が目に入り、それに捉えられた彼は、その事務所に駆け込んで応募するのです。難なく合格すると、『Heroになれる!』と勇んだのです。図書館貸し出しの一冊の本に、そうありました。
「戦場のヒーロー」になるには、恐ろしい階段を登り、人間として厳しく辛い、極限の旅に出ねばなりませんでした。兵士は慈善事業に従事する任務に就くのではなく、自分が「殺人兵器」にならなければならないのです。自尊心を捨て去り、恐怖心を捨て去ります。戦場で生きるには、敵を殺さねばならないからです。「共産主義に蹂躙されるベトナムの人々を解放し、自由と人権を回復して、この人たちを救う!』との名目で戦うように訓練されます。
アメリカ政府は、莫大な資金を、殺人兵器を作り上げるために投入したのです。生の人間を、獣に改造するのです。訓練を共に受ける戦友候補は、想像を絶する様な過酷な訓練を受け、それをやり遂げた達成感で、彼らは互いに連帯感を持ちます。歴史に刻まれる様な戦いに臨むことで、高揚感を感じるのです。
それこそ厳しい訓練を受けて、沖縄の訓練基地に移動します。そこで実戦さながらの銃撃訓練を受けるのです。戦場で生き延びることは、敵を掃討する以外にないわけで、スマホで戦争ゲームをするのは架空ですが、実戦体験は、常識など通用しないほどに過激であって、その詳細は記さない方が良い様です。
ついに、ヴェトナムのダナン基地に着きます。猛烈な暑さに襲われ、そこで目にしたのは、基地の脇にある冷凍施設に置かれた頑丈なプラスチックの袋でした。巨大な冷凍施設が、そこにあって、戦場で死んだ遺体が、冷凍処理されて、沖縄への帰りの航空機の便で送られようとしていたのです。
それは、黒色の、100余の遺体が収容されたコンテナでした。まさに戦場の真っ只中での英雄となろうとした多くの若者の悲しい姿の有り様を、これからという新兵たちは、戦場到着と同時に目撃したのです。戦地に送られた兵士たちと、戦いに倒れ運ばれようとしていた兵士が、その基地で行き合ったわけです。
激戦の最前線に移送され、英雄になることは、殺人者になることであって、自分は死なないために、密林を這いずり周り、塹壕(ざんごう)を掘って身を隠し、名の知れない虫と小動物と戦いながら生き延び、ベトコンを殺さなければ、自分が死んでしまう戦場に、配備されたわけです。
この様に、自分と同世代のアメリカ兵が、熾烈な戦いの最中だったのです。ところが、平和で、ベトナム戦争の「戦争特需」で景気のいい日本で、自分は、のうのうと学生生活を送っていたのです。横田基地に運ばれてくる、戦死者の体を洗うアルバイトがありました。誘われたのですが、到底できませんでしたから、断ったのです。アメリカ兵もベトコンも自分も、まさに同世代でした。この戦争は、1964年8月に起こった、トンキン湾事件を発端として、アメリカ軍が全面的な軍事介入を開始して始まっています。しかしアメリカ軍は北ベトナム軍やベトコン(解放戦線)による、ゲリラ戦を相手に、泥沼状態で苦戦し続けます。
1973年3月に、最終的に和平協定を結んで、アメリカ軍がベトナムから撤退し、1975年4月30日に、北ベトナム軍が、サイゴン(現在のホーチミン)を陥落し終結したのです。
1965年に、アレンは18歳で入隊し、2年後の1967年に、死線を越えて生き延びて、ニューヨークに帰還します。除隊後、3年ほどホームレスをしていました。その頃、街中で教師の同級生のダイアンに出会い、頼まれてアフリカ系住民の居住区の小学校におもむき、その4年生の学級で、真実は語れず、きれい事で話をすませたのです。その小柄で利発そうな女子に、その様に聞かれたのです。
それを聞くと体がこわばり、長い沈黙の後、気がつくと、アレンは、つぶやく様に、しかしはっきりと、“yes.” と無垢なクラスの生徒たちの前で答えたのです。そう答えると、目を開けることができませんでした。すると、質問をした子が、歩み寄って彼の腰に手を回してきたではありませんか。そして優しく抱き締めて、涙をいっぱいにした目で見上げて、『かわいそうなMr.ネルソン!』と語りかけます。それに続いてクラスのみんなが、アレンの周りにやって来て、小さな手で抱いてくれたのです。
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この経験を通して、アレンの心が弾けたそうです。ホームレスでいてはいけないことが分かり、これから何をすべきが示されたのです。もう一度、普通に生きて、戦争の真実を語ろうと決意したのが、1970年、23歳でした。それ以来、戦争体験のPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)、心的外傷後のストレス障害を越えて、同じ様に障害を持つ人たちのお世話もして来ておいでです。
旧日本軍の帰還軍人のPTSDの話を、先般、NHKの番組の放送で聞きました。それは、戦後生まれたご子息の、心の傷にも関連づけられるのです。でも、お父さんの戦争体験の事実を、お父さんに死後に知らされて、やっと理解でき、息子さんの心が癒されたのだそうです。またそれは、新たな出来事が、ウクライナやロシア、イスラエルやパレスチナ民の双方に起こり得る問題でもあります。
職業柄、これまで、多くのみなさんが、過去の出来事で、心の中に問題を抱えていることを知らされてきました。音楽療法、ロージャースやゲシュタルトのカウンセリングなどで、助けになった方も知っています。しかし、聖書では、その傷を癒す方がいると記します。いのちの付与者、保持者である神さまが、癒やされるのです。中学生で通学途中、座席に座って、虚(うつろ)な目で、『♬ 勝ってくるとぞと勇ましく、国を出・・・♫』と、小声で歌っていた、父の世代のおじさんの姿と声が、いまだに忘れられません。
冒頭に記しました聖書の箇所に、「心の打ち砕かれた者」の近くにいてくださるのが神さまなのです。「打ち砕かれる」とは、壊す、押しつぶし、破り、粉砕することです。そんな体験をした人の「近くにいて」くださるのです。「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ砕かれることはない」と、することがおできなのです。
ご自分の愛する人との別離、貯えや仕事や名誉や地位などを失った人の「そば」にも、同じ様にいてくださるのです。自分のすべてをかけて築いてきた対象を失ってしまった時の心の喪失感を感じ、心が破れてしまうような経験をしても、そんな状況下で、心の傷を「包む」ことが、神さまにはおできになるのです。
☆ アレン・ネルソン著「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(講談社)
(Christian clip artsによるサマリヤ人の介抱、ウイキペディアのベトナムのダナン、ニューヨークのセントラルパークです)
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