栗の実を食べて思うこと

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 一昨日は、家内が散歩で出会ったご婦人が、手荷物いっぱいで訪ねてくださいました。一昨日が誕生日でしたので、家内がお祝いを届けたので、律儀なこの方がお返しに見えられたのです。その袋の中に、甘栗があって、一緒に、知覧茶の茶葉でお茶を淹れて飲み、夕方まで、三人でお交わりをしたのです。

 栗を食べながら、作詞が斎藤信夫、作曲が海沼実、歌が川田正子の「里の秋」を、なんだか条件反射の様に思い出したのです。

1 静かな静かな 里の秋
お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた

2 明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜はー
ああ父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す

3 さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります

 栗の実を、煮るのか茹(ゆ)でるのか、または焼くのか、はたまた和菓子の金鍔(きんつば)に載せるのか、秋到来の最もふさわしい味覚が、この栗なのです。先日も、店頭に栗があって、つい手を出して買い求めて帰ったのです。その栗も、この甘栗も、金鍔の上の栗も、秋そのもの、舌でお腹で味わえて、やはり母を思い出してしまいました。

 割烹着を着て、台所に立つ母です。父と私たち四人兄弟のために、食事のために食材を買いに行き、調理をし、ちゃぶ台に配膳してくれ、今の季節ですと、栗ご飯、焼き秋刀魚、ちらし寿司、硬焼きそば、たまに東京から父が買ってきてくれた牛肉ですき焼きにしてくれたこともあったでしょうか。それらをすさまじい勢いで、みんなで食べたのです。洗濯や掃除をし、何かやらかした息子の件で学校に呼び出されたり、息つく暇なく、献身的に子育てに励んでくれた母でした。

 母の励みは、日曜日の礼拝、週日の祈り会や婦人会などで、教会に集うことでした。近所の方を何人もお誘いしていたのです。男五人を手玉に取って、家を支配、切り盛りしていたのは、外で働いてくれて、怖かった父ではなく、結局は物静かな母だったのです。黙々と、モグモグと勢いよく食べる子どもたちを育てた母は、やはり「すごい」と思い返すのです。

 父(てて)なし児で、養父母に育てられ、兄弟姉妹のない一人っ子で、カナダ人宣教師の家庭が羨ましかった子供時代を送った母には、自分が産んで、自分の手で養って、成長して行く四人、父を加えた五人のにぎにぎしい団欒を、目を細め、微笑みながら楽しんでいたのでしょうね。聖書に、次の様にあります。
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『しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。(新改訳聖書 1テモテ2章15節)』

 文字通り、それこそが、母の「救い」の一面だったのでしょう。聖書は、「女は産みの苦しみ」を、善悪を知る木の実を採って食べ、夫のアダムにもそれを勧めた、エバの犯した罪の結果だとしています(創世記3章16節)。でも母は、「信仰と愛と聖さとを保つなら」と、パウロが記した条件を満たした信仰者でしたから、その報酬を受けたのでしょう。

 King James 訳聖書では、「聖さ」を、“Sobriety” と記しています。それは、「しらふ」、酒を飲まないで、酔わないで生きることを意味して言っているのです。とても面白く興味深い訳です(原典のギリシャ語は多くの意味を持つ言語なのです)。私たち兄弟の母は、悲しんでも悩んでも、お酒で、その気分を紛らわそうとはしませんでしたから、四人の子を産んだことでも、「救い」に預かれたのでしょう。

 この「救い」には、多くの祝福があるのです。一つは、女性が罪ゆえに失ったものの復権を言っているのでしょう。さらに母親としての使命を果たすことをも含んでいるに違いありません。永遠の命への「救い」に預かった女性への祝福でしょう。まさに、「矢筒(詩篇127篇5節)」に「4本の矢」を納めて満ち足りていた母の顔を思い出すのです。

 母の育った出雲、父の育った横須賀、二人が過ごした京都、京城、山形、甲府などは、訪ねてみたいし、住んでみたいと思い続けた街々なのです。私の前で、心を許して、『お母ちゃんに会いてえよう!』と、酔って突っ伏して叫んでいた一歳上の同輩が、まるで迷子になった幼い子が母を求めていた様に感じたのです。そんな一瞬を思い出します。あんな風に、泣き叫べた彼を羨ましいと思ってしまう、「十一月の秋」であります。

(ウイキペディアの甘栗、ばら寿司です)

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