四六の蝦蟇

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 東の空から太陽が昇るのを、ベランダから眺めるのが、毎日一日の始まりです。夕日だけではなく、日の出の空は茜さす神秘さに溢れた情景なのです。太陽を拝むことはしませんが、創造主の業である《日輪》を眺めるのは、実に《創造の神秘》を感じさせくれ、畏怖さえも覚えてしまいます。

 太陽が昇るのは、ここ北関東下野国から見える「筑波連邦」の背後なのです。この筑波山(877m)には登ったことも訪ねたこともないのですが、遠い山容は美しく、訪ねる様に誘われているように感じながら、遠望で満足しております。画家の安野光雅が書きました「大志の歌」の中に、本当の校歌ではなく、架空、想像上の学校が取り上げられ、それを歌った校歌が、次の様にあります。

前を流れる桜川
後ろは深き筑波山
蓮咲く沼のほとりこそ
わが故郷の誇りなれ

痔の妙薬といつわりて
がまの油をこねくりまわし
あるは刀の刃をとめて
人をあざむく悲しさよ

 島根県に、小京都と親しまれる「津和野」があります。安野光雅は、この街の出身の画家で、昨年末に亡くなられています。筑波は、〈蝦蟇(がま)の油〉の産地でだという前置きで、武家の装いをした香具師(やし)が、口上(こうじょう)を唱えながら、道端や神社の境内で売っていた妙薬で、それをユーモラスに歌ったのです。その口上( 出典、つくば市認定地域文化財規則第3条)とは、

 『さあさあ お立ちあい、御用と お急ぎでなかったら、
ゆっくりと聞いておいで。
遠出山越(とおでやまご)え笠の内、
聞かざる時には、物の出方、善悪、黒白がトント分からない。
(中略)

さて、いよいよ 手前 ここに取り出しましたるが、
それ その 陣中膏はガマの油だ。
だが お立ち会い。  
蝦蟇 蝦蟇と 一口に云っても 
そこにも居る ここにもいるという蝦蟇とは、
ちと これ 蝦蟇が違う。(中略)
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一名これ、五八十(ごはつそう)は四六の蝦蟇だ。四六の蝦蟇。
サテ しからば、此の四六の蝦蟇の棲むところ、
一体、何処(いずこ)なりやと言うれば、
これより遙か北の方、
北は常陸の国は筑波の郡、古事記・万葉の古から 歌で有名。
「筑波嶺の 峰より落つる男女川(みなのがわ) 恋いぞつもりて 渕となりぬる。」と陽成院(ようぜんいん)の歌にもございます 関東の名峰、筑波山の麓。(後略)

 ガマの身になって、ガマの学校の「校歌」の様にして詠んだのです。そんなことを思い出しながら、遠望の筑波の峰を眺めると、この「ガマの油」が、『新型コロナに効かないかな!』なんて思ってしまうのですが。朝日が昇るのを見るだけではなく、銀座か浅草にでも行って、路傍の売人のアルバイトでもしたいものですが、いかがなものでしょうか。効きっこないか。

(ベランダから遠くに見える朝明の筑波山です)

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