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日本統治下の旧満州の玄関と言われる「旅順」に、旧制の高等学校がありました。「旅順高等学校」がその校名でした。この学校を素行不良で退学された、18歳の宇田博の作詞作曲で、その高等学校の寮歌となった「北帰行」があります。この歌の歌詞を変えて、売り出されたレコードもありました。
1 窓は夜露に濡れて
都すでに遠のく
北へ帰る旅人一人
涙流れてやまず
2 建大 一高 旅高
追われ闇を旅ゆく
汲めど酔わぬ恨みの苦杯
嗟嘆(さたん)干すに由なし
3 富も名誉も恋も
遠きあくがれの日ぞ
淡きのぞみ はかなき心
恩愛我を去りぬ
4 我が身容(い)るるに狭き
国を去らむとすれば
せめて名残りの花の小枝(さえだ)
尽きぬ未練の色か
5 今は黙して行かむ
何をまた語るべき
さらば祖国 わがふるさとよ
明日は異郷の旅路
明日は異郷の旅
人が「北」を憧れるには、たくさんの理由が挙げられる様です。より厳しい試練に立ち向かおうとする意思、望郷の方角、負けることを「敗南」と言わないで「敗北」と言いますが、この「敗北」と果敢に挑戦して行く心意気が、人を北に向かわせるのでしょうか。傷ついた男や女が旅で向かう先は、南ではなく北にある街や港や山が多そうです。あの渡鳥の雁も、北を目指して飛んでいきます。
年を重ねたら、暖かな南に《終の住処》を求めたらよさそうですが、私の想いは、「北」に向かってしまいます。人生の敗北者だとは思っていませんが、流氷や海鳴りのする北海の海や険しい山や荒波の削る島に行って見たくて仕方がないのです。この歌の作詞者の宇田博が、「北に帰る旅人一人」の自分が帰ろうとしたのは、満州国の北の奉天(現在の瀋陽です)でした。そこには両親が住んでいたからです。
やはり、北には「浪漫」があるのではないでしょうか。浪漫とは、夢や将来や永遠に連なる希望が溢れていそうです。あの白雪に覆われ、白氷に閉ざされた大地や島嶼部に、驚くべき可能性が秘められているに違いないからです。旅順と同じ満洲国の北に「満州里」と言う街があり、その街を歌った「満州里小唄」の中に、雪を割って咲き出す「アゴニカ」と言う、真紅の花が歌われています。それを見付けに、北上の旅をしてみたいのです。
またオホーツク人の足跡を追って、稚内から樺太、シベリア、根室から北方四島、千島列島、カムチャッカからアリューシャン列島、アラスカにまで、北進したい思いでおります。《人生八十年》の今、人の作り上げた傲慢な文明に疲れた現代人が、創造の世界の神秘さを求めるのは、自然の理に敵ったことに違いありません。逃避行ではなく、被造物の中に創造主のみ手を求めたいからです。
でも、こんな私の《浪漫志向》が、人を避けている様にみられるのも辛いのです。私は、人が好きです。虚構の世界の小説よりも、生身の現実の人への興味の方が強く、これまで実に興味深い方たちと出会ってきたからです。父や母から始まり、兄たちや弟、妻や子たちや孫たち、恩師たちや友人たちがいるからです。家内と私を「同路人」や「同工」や「師母」や「老師」と呼んで、交わりの時を共にした中国華南のみなさんは、多くのことを教えてくださった《大陸の友》なののです。
先日も、FaceTimeで、雲南省から来られて、私たちの街で学んでおられた方が、家内の闘病の様子を聞きたくて連絡してこられました。二年前の病身での帰国の時に、空港に見送りにきてくれた方です。肥って元気にしている家内の姿を見て喜んでくださったのです。その他にも、彼と鍋をともにしていた方たちとも、久しぶりに言葉を交わすことができました。大陸の南の地にも、素敵なみなさんがおいでです。また、『いつ帰って来ますか?』と誘ってくれたのです。
(神秘的なオーロラです)
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