温め鳥

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 鷹匠の伝承に、「温め鳥(ぬくめどり)」の話があるそうです。大空を翔ける鷹も、避けがたい弱点が足と嘴にあるそうです。寒さにその足を温めるために、小鳥を捕まえて、足元に置くのです。陽が昇って朝になると、その一夜の暖に感謝するのでしょうか、小鳥を空に放つのです。飛んで行った小鳥を追うことも、餌食として襲うこともしない、そんな伝承です。

 私の父は、子どもの弟や私を、よく抱きすくめて離さなかったのです。それは確かに愛情表現なのですが、寒い夜は、湯たんぽがわりにしたのかも知れません。それは父にも、子どもの自分たちにも温もりであったのです。” touching “ という作用が人には必要だと、公開のカウンセリング講座を受講した時に教わりました。《父の温もり》は子を精神的に安定させるものなのでしょう。

 この「温め鳥」の話を聞いて、老いたダビデが、小鳥ではなく、乙女を抱いて寝る様に、家来に進言された話を思い出したのです。重ね着をしても身体の温まらないダビデのもとに、アビシャグという娘が連れて来られて、王の世話をし始めます。鷲の様に力のみなぎっていた時には、部下の妻を横取りしたほどのダビデでしたが、この時には、「王は彼女を知ることがなかった。」とある様に、触れようとしなかったのです。自らの罪を悔い、罪の結果を刈り取った後は、二度と過ちをダビデは犯しませんでした。

 ある集まりに参加した時に、布団が薄かったのか、体調が優れなかったこともあり、しかも寒がりの私は、震えていました。それで家内に温めて欲しくて、そうしてくれる様に求めたのです。家内は、子を抱く様に私を抱いてくれ、それで体に温もりが戻ってきて、眠りにつくことができたのです。私は乙女からではなく、《契約の妻》からその暖を受けることができました。そんな「温もり」を求めたことは一度きりでした。

 人には「温もり」が、どうしても必要です。肉体的な接触だけではなく、心理的な接触を満たすためにもです。ところがスマホなしでは生きられない現代社会では、会話さえも億劫になってしまい、スマホ上で言葉に換えた〈文字〉や〈記号〉によって、自分の意思や思いを伝え、交流をする時代になってきているそうです。人と人との距離が、大きな問題をはらんで、かけ離れている時代の様です。仮想の相手や、声も温もりものない距離の交流ですませているのです。

 親元を離れ、三食の食事を食堂で摂り、六人部屋で生活をする中国の学生を、長く教えました。その学年の最後の授業が終わって、一人の女子学生が教壇の私の所に来て、『先生、私をハグしてください!』と言ったのです。まだ教子たちがいる中でした。一瞬躊躇したのですが、この学生を、胸を合わせない様にして、肩でハグしたのです。この学生の心理を考えて、言葉の応答ではなく、身体の接触を必要とした《孤独さ》と《敬意》も感じたからでした。彼女は、衒(てら)うこともなく『ありがとうございました!』と言って教室を出て行きました。

 断ることもできましたが、邪心のない願いを表現し、同級生の中で、そうしたことを求めたこの女子学生の勇気と決心を認めて、私が、そうしたことはよかったと思うのです。すでに彼女は結婚し、子を抱く年齢になっていることでしょう。学生との距離の中でなされた教師の《ハグ》にも、私への彼女の《ハグ》にも、メッセージがあったのでしょう。

(作画は小原古邨、茅ヶ崎市美術館の所収です)

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