人道主義

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「優先順位」、何が一番重要なのかを考慮するため、しなければならないことに順位をつけることを言ってる言葉でしょうか。一月以来、「武漢ウイルス」の新型肺炎の世界的感染拡大の中、〈国の面子〉、〈為政者の業績〉、〈経済利益〉などが前面に出てしまって、《人》の大切さが後回しにされていないか、心配でなりません。

判断と決断に、人や国の思惑が入り込んで、時期を失してしまったのが、一番残念です。《冷徹な決断》こそ、しかも科学的な根拠を持った決断こそ、人や国の損得を考えない、《公平な決断》こそが、今求められています。

政治家の中で、私が好きなのは、日本では斎藤隆夫と広田弘毅、アメリカではアブラハム・リンカーン、アジアではネルー、ヨーロッパではウインストン・チャーチルです。ナチス侵攻の脅威にさらされたイギリスが、国の存亡をかけた重大な決断をします。そして英国民に向かって、“ never give up ” と語りました。このチャーチルの英国首相としての決断の根底にあったのは、徹底した《人道主義》でした。

日本が、〈国家主義〉、いわゆる〈日本精神〉を掲げてアジア支配を目論んだのとは違います。もちろん、イギリスの植民地主義には大きな問題があるのは事実です。

『チャーチルが参加した大西洋憲章以降の連合国の戦後処理構想は、41年12月の太平洋戦争の開始に伴ってアメリカ大統領とのアルカディア会談を行い、翌年1月の連合国共同宣言発表に合意した。これは連合国の結成の第一歩となり、戦後の国際連合結成につながっていく。43年1月にはカサブランカ会談で北アフリカ戦線を形成することに合意し、ドイツ・イタリアを追い込んでいった。43年11月にはカイロ会談でローズヴェルトともに蒋介石と会談、日本に対する無条件降伏を求めることで一致した。続いて12月にテヘラン会談で始めてソ連のスターリンを加えて米英ソ三国の最初の首脳会談を開いた。ここではソ連を警戒するチャーチルは、スターリンの要求する第二戦線の問題やポーランド問題で対立があったが、ファシズムに対する闘いを進める基本線では一致した。10月にはモスクワに飛びスターリンとの間でパーセンテージ協定でバルカン諸国の分割協定を作っている(「世界史の窓」から)』

人類の敵の蠢動(しゅんどう)に対して、チャーチルが果敢に戦いを挑んだのは見事でした。セント・ジョージ・スクールに学んだ小学生の頃のチャーチルは、『・・・いわゆる「落ちこぼれ生徒」だった。成績は全教科で最下位、体力もなく、遊びも得意なわけではなく、クラスメイトからも嫌われているという問題児だった。校長からもよく鞭打ちに処され、チャーチル自身もこの学校には良い思い出がなく、悲惨な生活をさせられたと回顧している(「回顧録」から)』、だったそうです。

第二次世界大戦(ヨーロッパ線線)に終了後、ドイツ将校の処分について、ソ連のスターリンが5万人、アメリカのルーズベルトが4万9千人の銃殺を主張した時、『そんな大量処刑は英国議会も国民も黙ってはいない。そんな非道を許して私と我が国の名誉を汚すぐらいなら、私は今この場で庭に引きずり出されて銃殺された方がマシだ。』と、大英帝国のチャーチルは、「テヘラン会議」で言っています。

《最も大切なこと》が、好き嫌いの様な個人的な思いで決められないで、地球よりも重いと言われるの人の命、人の尊厳を大事にして、正しく決断がなされる様に、今日日の突きつけられた課題に、最善の決断が下される様にと願う三月末です。

(ウインストン・チャーチルです)

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