太郎次郎

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悪戯を諫められた太郎が、『次郎くんだってやってらー!』と言っています。これって、次郎を引き合いにして、自分への責めを弱めさせてしまおうとの太郎の魂胆が、見え見えです。

これを、「矛先逸らし論法」、「争点外し論法」と言っても好いのではないでしょうか。人々の関心を、重要な案件よりも、派生問題に向けさせようとする働きを言います。自分の立場が不利になったりすると、他の人や出来事に、思いや目を変えさせようと、故意にする駆け引きに使われます。

こう言うことって、子どもたちだけではなく、昨今の大人にも、企業にも、国家間にもあるのではないでしょうか。失政や失敗を隠そうとして、正直に認めるほど正義感を持たない人は、人の失敗を槍玉に上げて、自分の非への攻撃を逸らすのです。卑怯なやり方です。

『タバコを吸った仲間の名を教えてくれたら、処分を撤回してやる!』と言われた子が、教師からの裏取引を拒んで、学校を辞めてしまいました。その子の気持ちを理解し、処分に反対した他の教師が、翌春、退職してしまいました。

交通事故を犯した時、『自分の非を認めないこと!』、これが、定式、常識なのだそうです。これは、「ダンマリ論法」と言えるでしょうか。謝罪の気持ちなど表すことは禁物なのだそうです。警察官が入って、検分して判断を下すまで、禁句なのだそうです。私も何度か、自動車事故を起こしましたが、相手に謝り、すぐに医者に連れて行ったりしていました。責任を取ったのです。

「うやむや論法」もあります。物事を、はぐらかせてしまって、いつも間にか立ち消えにさせてしまうやり方です。『えっ、あの問題はどうなったの?』と、思い出すことが時々あります。人って、ずる賢くできているのでしょうか。そう言えば何度も、『すみませんでした!』とか、『ごめんなさい!』とか言って生きてきたなと思うのです。損をしたのか、得をしたのか、責められることのない良心を持って生きて行くことを教えられたのは、感謝なことです。

自分の父親は、人がよかったのか、よく騙されていたのです。東京の大田区に、家を見つけて、手金を打ったのに、土地も家も手にすることがなかったのです。人を騙して、平然と生きるよりは、騙される方がはるかにいいのだと思って生きてきました。

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