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今、私たちを受け入れ、まるで兄弟のような愛をお示しくださるのは、過去を遡ってみますと、共通の知人の《親交のネット》につながる方なのです。3年前の帰国時に、滞在場所を探していた時に、この方が快諾くださって、その帰国時に、以前奥様のご両親がお住まいだった家で、過ごさせていただいたのです。
昨秋、帰国時の住まいを探していて、北関東のかつての県都・栃木市に滞在する許可を、再びいただいたのです。東武鉄道やJRの鉄道網を使って、東京や新宿や浅草、町田までつながる便利さと、空気と水の美味しさ、朝焼けと夕焼けの美しさ、何よりも《人の優しさ》を楽しもうとしていました。
そして、これまで数年に亘って、次男の推薦で、日赤広尾病院で、家内が診察をしてもらって来た、その代わりに、獨協医科医学病院(栃木県壬生町)が、先端医療と地域をカバーする医療をしていることを知って、ここで継続診察や治療をしようと決めたのです。
ところが十二月に入って、降誕節の後に、体調を崩して、元旦に、膵炎のCT検査をして、そのまま入院してしまったのです。その治療を終える頃、肺に影があると言われ、省立医院の主治医に、日本での治療を勧められました。
その医院を退院した足で、飛行機の搭乗手続きをしていたら、空港の医師から、搭乗不可を申し渡され、やむなく家に帰ることになったのです。その帰宅は、家内にとっては、一息つける時で、かえってよかったのです。翌朝、搭乗許可を得て、成田空港に向かい、出迎えてくれた長男の車で、栃木にまいりました。
その日から今日まで、六週の間、様々な助けを、ご夫妻でして下さって、家内は入院生活を続けることができています。私の愛読書に、「友はどんな時にも愛するもの。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」とあります。私と家内を、友のように、兄弟姉妹のようにしてさせてくださっています。
その彼が、今週、交通事故で救急搬送され、幸い打撲で家に帰ることができ、この週末の土曜日に、CT検査を控えています。ちょっと、私たちに気を使ってお疲れになって、怪我に遭ったのではないかと、ちょっと自分を責めてみたりしてしまいました。でも無事に回復するのを願っています。
互いに若い日に出会って、私を指導してくれた恩師の、その恩師の義弟に当たる方を、この友は自分の師と仰いだのです。《同根同種》と言ったらよいのでしょうか。春のような陽気の先週、自転車に跨って、彼の好物の「揚げ餅」と「いちご大福」と「どら焼き」をもって、お見舞いに行って来ました。痛みがあるようですが、回復を願って、彼の家を辞しました。