私は、「統計学」を学んでみたいと、学校に入って仕切りに思った時期がありました。中学校に入って、とくに数学が好きでした。とくに「幾何学」に関心があったからでしょうか、折れ線や棒グラフなどで、集計している表を見て、何を伝えようとしてるかを考えるのが好きでした。
研究者になるなら、「考古学」か「統計学」を学んでみたかったのです。「統計学」は、とうの昔に諦めたのですが、「考古学」は、いまだに関心を向けたい気持ちでいるのです。住居跡や古墳などを、掘り返して、《古代の浪漫》に触れてみたいのです。
消えかかっていた火に、油を注いだのが、一昨年、札幌の整形外科病院入院中の病友でした。実に楽しそうに、《オホーツク文明》を語ってくれたのです。埼玉や熊本の遺跡にも造詣が深く、時を設けては訪ねていると言っていました。
《古代への浪漫》は、子どもの頃に心に刻んだので、時々、思いの内に湧き上がって来て、土や草や人の営みによって覆われていたものを、掘り起こし、掘り出すことの興味を植えられたのでした。遥か昔の生活を、その時代に人々は、どんな思いで送っていたのかを想像するのが楽しいからです。
ただ生きるだけではなく、愛したり、傷ついたり、赦したりしていた、古代の人たちの精神生活などに、思いを向けて見るのも興味深いのです。父の祖先や、母の祖先って、どこに住んで、どこへ移って行って、それを、どう繰り返したんだのだろうか。この私が、やがて生まれて来て、21世紀に、どうな風に生きるのだろうかなどと、子孫のことを考えたことがあったのでしょうか。
何度も行った動物園で、日本猿が、懐かしそうに目を向けてくることも、語りかけてくることも、一度もありませんでした。それらは異種の生き物であって、親族ではないからです。オホーツクを挟んで、大陸には、同系の血族がいるのでしょうか。人のDNAとは、どこまで遡れるのでしょうか。科学が、特定できるのでしょうか。家内の遺伝子が検査されていて、その結果が出てきました。
そんな医療のこちら側で、「義の右の手」で、家内の右の手を、固く握っておられる方がいる、そう語りかけられた私は、不安や恐れから解放されたのです。それが家内への語りかけでもあることを、今朝、早暁に願ったのです。今日から、治療が始まります。
(ウィキペディアによる「DNA」です)