この絵は、栃木県立美術館所蔵の「薩摩守平忠度桜下詠歌之図」です。今週、家内の妹が、友人と一緒に家内を見舞ってくれました。年寄りに、自分の家系を聞いたことがあったのでしょうか、父方と母方のことを、姪たち(私たちの娘たち)に聞かせていました。聞くところによると、父方は、源平の戦いで敗れた平家の武将の末裔なのだそうです。
日本中に、平家の落人が、隠れ住んだ山や谷があるのですが、その一族なのでしょう。平家と言いますと、平忠度(たいらのただのり)という武将がいました。「薩摩国(今の鹿児島県西部です)」の国司の任に当たっていたので、「薩摩守忠度(さつまのかみただのり」と呼ばれていました。
詳しい戦歴や職歴はことはともかく、この人は有名な人なのです。何で有名なのかと言いますと、電車などの乗り物に、〈無賃乗車〉をする、けしからん人を、「薩摩守」と言うのです。お分かりかと思いますが、この人の名が、「ただのり」、すなわち、〈ただ乗り〉に語呂合わせするからです。
ある方が、東海道線の米原(まいばら)駅を訪ねて、『昔ここで大変お世話になりました。駅のために使ってください!』と言って、《十万円》を置いて、十三歳(大正末期)の時の〈無賃乗車〉を詫びたのだそうです。両親のいない彼は、都会にいる姉を頼ろうと行こうとします。路賃がなくて、仕方なく不正乗車をしたのです。北陸本線と東海道本線との乗換駅の米原駅で捕まってしまいます。ところが駅員たちは、この少年の事情を聞いて同情したのです。彼らは財布から少しずとお金を出して、少年にカンパをしたそうです。
そればかりではなく、駅員は、事情を車掌に話したのでしょう、「車掌室」にかくまって、この少年を東京に運びます。無事に姉のもとに着いて、その後、一所懸命に働きます。何年も何年も経ってから、少年期の温情を思い出したのでしょう、代替わりをしている米原駅を訪ねて、過去の経緯(いきさつ)を話して、金銭的な弁償と感謝を表したわけです。
この「薩摩守」は、素晴らしいですね。そういえば、社会人になってからは一度もしませんでしたが、学生の頃の私は、「薩摩守」でした。不幸なのは、一度も「ただのり」を見破られなかったことです。処罰され、弁償し、頭を下げていたら、繰り返さずにすんだのに、捕まらないままで、時効になってしまったわけです。
「恥な過去」に、心が疼(うず)くことが、今でもあります。赦されていながらも、精算していないことだからです。だから、40年ほど前に、そういった形で精算をされた方の決断と行為が羨ましいのです。今でも遅くはないし、今でもできるし、しなければなりません。そんな栃木の二月初頭の朝です。
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