落葉

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フランスの詩人、ヴォルレーヌが “Chanson d’automne” [Paul Verlaine
(秋の歌「落葉」 ポール・ヴェルレーヌ)]という詩を、1866年に出版した詩集の中に掲載しています。ヴォルレーヌが二十歳の時に作ったものです。それを、1905年に、上田敏作の翻訳で、「海潮音」の中に掲載しました。

落葉                 上田敏 (『海潮音』より)

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

パリで生きる青年のうら悲しさが詠まれています。これを、何人かの人が翻訳していますが、上田敏訳が高く評価されているようです。「秋のシャンソン」という箇所を、「落葉」と訳したのが好かったのでしょう。明治の息吹が感じられる文語体の詩は、島崎藤村の詩に似て、簡潔で、歯切れが良くて素晴らしいと思います。パリで詩が詠まれた頃の日本は、「勤皇佐幕」に二分し、若者たちが国の将来を、それぞれに思い考えながら、夢を持ち、行動し生きていた時代でした。

こも詩を上田敏が紹介したのは、明治維新が過ぎ、欧化主義の動きも一段落し、明治の末期に生きる青年たちに好まれたのでしょうか。ちょっとおセンチな感じですが、シャンゼリゼ通りを感じさせたり、同世代のフランス青年たちを、日本の青年たちに思わせるには十分だったのでしょう。

そろそろ、私が生まれ育った故郷では、林道に入ると、そこは落ち葉で敷き詰められ始める頃でしょうか。歩くと落ち葉が渇いた音を立てて、『もうすぐ冬だぞ!』と語りかけるかの様でした。春の山歩きには、新芽が吹き始め、やがて、新緑が陽に映え、いのちの息吹を感じさせてくれるのですが、秋は、山の自然全体が「休息」に入ろうとしているのです。うあー、枯れ葉の音が聞こえ、その匂いがして来そうです!

高尾山から「明治の森(正式には[明治の森高尾国定公園]だそうです」を経て、相模湖に下って行く山路は、何とも懐かしく思い出されてきます。一人で、仲間で、子どもたちを連れて、何度も歩いたからです。陽の光と空気、音と匂いと風、秋から冬にかけて、この山路が目に浮かんできます。弟からの先日のメールに、この山路を、ある夫妻を案内して歩いた、高一の時の思い出が書いてありました。『帰国したら、近くに里山を一緒に歩いて見ましょう!』と誘ってくれました。

「落葉」を、<おちば>と読んだり、<らくよう>と読むのですが、前者は日本的な、後者はフランス的な感じがするには、私だけの偏見でしょうか。耳の底で、カサカサする音が聞こえる様です。{ヰ゛オロンとはヴィオロン、ヴァイオリンのことです}

(”写真部byGMO”による「落葉」です)