今年の「新聞週間」に、日本新聞協会が、新聞配達にちなんだエッセイコンテストの発表をしました。その最優秀作品に選ばれたのが、岩國哲人(てつんど)氏の応募作品、『おばあさんの新聞』でした。次の様なエッセイです。
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『おばあさんの新聞』
一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。そのー後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。
小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。
学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。
そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。
もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。
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この岩國哲人氏は、島根県知事(2022年4月初めに、お父上が知事だったそうで、哲人氏はそうでないと指摘がありました!ありがとうございます!)や国会議員をした政治家でしたが、現在は引退して渋谷にお住まいで、78歳です。お父様を小1で亡くし、お母様の実家の島根県に引越しをされ、小5の時に新聞配達を始めたのです。貧しかったので、新聞購読ができず、配達した家のおじいさん、おじいさんが亡くなった後は、おばあさんに読み終わった新聞を読せてもらったのです。字の読めないおばあさんは、毎日やってくる哲人君のために新聞を取り続けてくれたことを、おばあさんの葬儀に参列して知るのです。
その激励のおかげで高校を卒業後、東京大学に進学し、実業界で活躍した後、政治の世界で活躍されたのです。母と同郷でしたので、岩國氏のことは存じておりました。私の長男も次男も、中学生の頃に新聞配達をしていたことがあります。風邪を引いた時、彼らの代理で、<新聞おじさん>をしました。<苦学生>は、今も大勢おいでなのでしょうね。朝早く働く<新聞少年>、<新聞学生>を、この華南の町の空の下から応援しています。
(”日本新聞販売協会”の「新聞少年」の像です)