リケジョ

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「リケジョの新星」と言うことばを、新聞で読みました。「万能細胞」を作ることに成功した、小保方晴子さんのことです。つまり、「理系女子」のことなのです。IPS細胞研究でノーベル賞を受賞した山中教授に勝るとも劣らない研究をして、脚光を浴びている新鋭の研究者です。これが医学の難病の治療に用いられるとしたら、素晴らしいことになります。科学的な発明や発見は、悪用されかねませんが、人の幸福につながるとするなら、大いに奨励されるべきことになります。

「女子力」が認められ、男女の差別や区別なく、高く評価されることは、21世紀には相応しいことであります。『女性の管理職が欧米に比べて極めて少ない!』と言われてきた日本の社会で、科学の世界で、こう言った研究成果が正しく評価されたことは、女性の「母」から生まれた男として、大いに喜びたいのです。この研究者が、ユニホーム、立場に象徴の制服を身にまとっていないことに、何となく「反骨」を感じたのは私だけでしょうか。母がよく着て、家内も使っていたことがあって、最近は見られなくなった「割烹着(かっぽうぎ)」を、この方が着ていることに庶民性を感じて微笑ましいのです。

昨日、兄の家に向かう途中、夕方のラッシュを、一人の女性がさばいていました。制服からではなく、歩き方を見て、すぐに「警察官」だと認めることができました。『私は国家権力を持った、逮捕権のある者で、吹く笛ひとつで、車を止めさせ、発進させたりできるのよ!』といった声にならない声が聞こえてきました。実を言うと、普通の女性には見られない態度の大きさでした。悪意で言っているのではなく、職務や立場から来る確信なのでしょうか。何度か笛でストップさせられた者の「僻(ひが) み」からかも知れません。立場のない者は、官憲や役人を、そいう風に見るのでしょうか。そういえば昔の役人や警察官は威張っていて、尊大な口を聞いていました。だから、『役人なんかには絶対にならない!』と心に決めていました。いえ、なれなかったのですが。

一時、<理系>が進学先として好まれなかったのですが、最近は変わったのでしょうか。「割烹着の晴子さん」に啓発されて、「リケジョ」が増えて行くかも知れませんね。秀でた女性が、ますます活躍したらいいと思っております。また年配者が研究室を牛耳っているのではなく、若者たちが、縦横無尽に活躍してほしいものですね。子に若き研究者は、優しく見守り支持してくれた研究者の先輩に、感謝の意を表していたのが、よかったですね。一月末の幸先の良いニュースでした。この後の研究をそっと見守っていきたいものです。

(イラストは、小保方春子さんです)

お祝い

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<富士山の隣りに夕日が見られる部屋>を、昨日は訪ねました。家の玄関からは、奥多摩も秩父も丹沢も遠望でき、スカイツリーも見えるのだそうです。学校時代に山が好きで、山仲間とよく歩いた山々を眺めながら、余生を生きて行くのでしょう。私の弟は、好い買い物をしたのです。昨年11月に、自分の誕生日に引越しを済ませたと言っていました。形あるものを、子どもたちや孫に残すことは、良いことだと思いました。長く教師として教育に携わって、心血を捧げてきた彼の永年の汗の結晶の有形の一つなのです。

新築でしょうか、転居になるのでしょうか、その「お祝い」に出掛けたわけです。駅前のスーパーで食材を買って、そこまで迎えに来てくれた弟の車で、連れて行ってもらいました。その11階の玄関で、『あそこに見えるのが・・・』と、その眺望を解説してくれたのです。家内が作ったのは、少々、季節遅れの「お雑煮」でした。彼には珍しくないのですが、『美味しい!』と三人で食べました。帰国する私たちに、『これお土産に持って帰ってください!』と友人が家に届けてくれた、高級中華食材の<干し鮑>入りでした。

奥さんを病気で亡くして十五年、男手一つで三人の子を育ててきました。仕事帰りに食材を買って、賄いをし続けての年月でした。実に良くやってきています。再婚の話も多くあったのですが、顔を縦に振らずに、これまで一人で生きてきたのです。一昨年召された母が、末の息子で可愛いのでしょうか、元気な頃には、針仕事やおかず作りとか、何かと手助けをしてきたようです。今は故あって、可愛くて仕方がないと相好を崩し、また厳しく孫の世話をやいています。学校から戻って来た孫ベーに『はい、ピアノ!』と言って練習をさせていました。第二回目の<子育て>でしょうか。そのピアノの上に、四人兄弟の嫁の中で、最美人の義妹の微笑んでいる写真が置いてありました。退職後も、同じ職場に一室、一つの机を与えられ、週三日ほど出かけては、後輩の相談にのったり、学生の世話をしているのです。

この家の一間は、実は、家内と私の帰国時のための<宿舎>なのだそうです。車も蔵書も家も所帯道具も、一切を処分して出掛けた「レカブ人」、旅人然として生きている私たちのために、引き上げて来た時に住むことも考えていてくれているのです。そう思っていてくれる彼の気持ちが嬉しくて、どんなに励まされていることでしょうか。そう言えば、小さい頃に、父に叱られて、家から追い出されると、一緒に出てくれ、一緒に泣いてくれたのが、この弟なのです。六十年経っても、意地悪でいじめっ子だった兄貴の私なのに、同じ気持ちを向けていてくれるのです。私の愛読書に、こんなことが書いてあります。

「友はどんな時にも愛するものだ。
兄弟は、苦しみを分け合うために生まれる。」

『夕方になったら、賢ちゃんのところに行こう!』との彼の提案で、彼の孫べーと私たちで、次兄を訪問しました。『今晩はすき焼きだよ!』と言って義姉がご馳走してくれました。お腹をお肉や焼き豆腐、そして愛とで満たしました。弟は、「保護者会」のために早めに帰り、私たちは兄に駅まで送ってもらって帰ったのです。有形、無形の「愛」があるのですね。そんな満たされた一日でした。駅前のコンビニで、<ミートソース・スパゲッティー>を息子に買った宵でした。

(写真は、「奥多摩連峰」です)