子守唄

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「春天来了」、中国のみなさんにとって、一番響きの好い、聞いて嬉しくなるフレーズなのではないでしょうか。文字通り『春が来たんだよ!』という意味です。もちろん、熱帯地域には四季はないのですが、それでも微妙に春を感じる時があるのではないかなと思ってしまうのですが。春夏秋冬、はっきりとした季節の移り変わりのある日本の中部山岳に生まれた私にとっても、春の到来は、思い出とともに心地よい時であります。新暦の元旦は、まだ冬の真っ最中でして、暑いコートを着て、手をポケットに突っ込み、肩をすぼめての外出ですが、旧暦の元旦(今年は1月31日でした)は、まだまだ寒いのですが、太陽の輝きも強さを増していますし、気分的に春を思うことができるのです。

今、「爆竹」と「花火」の炸裂音が、四方八方から次々と聞こえてきます。「火薬」を発明した中華民族の末裔のみなさんにとっては、誇らしい音響と、煙と、匂いなのでしょう。戦の銃器に用いないで、平和のために、喜びのために用いるのであれば、強烈な爆発音も、<子守唄>に聞こえてきそうです。2007年の「春節」と「元宵節」を、天津で過ごしました。年越し蕎麦を口にし、「除夜の鐘」を聞きながら「元旦」を、静まり返って迎える日本の街中とは違って、心の準備をしないままに、「春節」の前日だったでしょうか、「天塔(テレビ塔)」の前を、自転車で通っていた時に、突然、右側で爆竹が鳴り始めて、真っ赤な紙片が散らばり、驚かされたことがありました。外国人向けのアパートの7階に住んでいたのですが、建物の横が空き地でしょうか、広場になっていました。そこから花火を打ち上げていたのですが、窓の横で花火が開くものもあって、午前零時、旧正月の元旦になった後まで続いていました。初めての中国の「過年」、正月を、その爆竹と花火で、驚きの中に歓迎されたのです。

中国も日本も、それぞれの仕方で正月を迎え、終えるわけです。「けじめ」をはっきりとさせることについては、中国も日本も同じなのでしょう。来週の月曜日から、授業が始まります。気を引き締めて、学生のみなさんとともに学ぼうと願っております。私にとっての「爆竹と「花火」の炸裂音は、『今年も精一杯するんだぞ!』との叱咤激励の声のように聞こえてまいりました。

(写真は、「爆竹(鞭炮bianpao)」です)

ランタン

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1940年と言いますから、昭和14年に、「上海の花売り娘」という歌が大流行しました(川俣栄一の作詞、上原げんとの作曲で、岡晴夫が歌いました)。戦争中でしたが、当時の上海は、日本人の青年たちにとっては、『一度行って見たい!』と願った街の一つだったようです。

紅いランタン 仄かにゆれる
宵の上海 花売娘
誰(たれ)のかたみか 可愛い耳輪
じっと見つめる 優しい瞳
ああ上海の 花売娘

霧の夕べも 小雨の宵も
港上海 花売娘
白い花籠 ピンクのリボン
襦子(しゅす)も懐かし 黄色の小靴
ああ上海の 花売娘

星も胡弓(こきゅう)も 琥珀の酒も
夢の上海 花売娘
パイプくわえた マドロス達の
ふかす煙りの 消えゆく影に
ああ上海の 花売娘

この歌に、「ランタン」が出てきます。中国語では「紅灯籠」と言って、旧正月「春節」の最後の日である「元宵節(日本では<小正月>に当たります)に街中を飾って、行く「正月」を惜しむのです。日本でも、長崎にはこの習慣が残っていて、「長崎ランタン・フェスティバル」という行事が行われるようです。今日が、その「元宵節」です。漢代に始まった中国のみなさんが、とても大切にしている行事なのです。四川省開県には、「対罵」という習慣があるそうです。これは「元宵節」の夜に、家の外に椅子を出して、憎んでいる人に向かって、思いを込め、力を込めて罵るのだそうです。罵られた人は、それを黙って受けなければならないとのこと。思いもよらないで、憎まれていることを知ることもあるのでしょうね。罵った相手と、明日から顔を合わせたら、どういう風に付き合って行くのか、ちょっと心配になりますが。意外とあっけらかんとしている、そんな大らかな国民性を感じますから、問題は起きないことでしょう。

寒くて何もかもが縮こまっていた冬が終わり、「春到来」の喜びの宵なのです。みなさんは、今晩、「湯円」を食べるのです。地方地方によって作り方が違うようですが、白い皮の中にゴマの餡を入れた、ピンポン球ほどの大きさでしょうか、これが美味しいのです。何処かで買ってきて、私たちも日中友好を願い、楽しんで頂くことにしましょう。

(写真は、「ランタン(紅灯籠)」です)