ハグ

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今日の午後、私のことを、『雅仁さん!』と呼んでくれる若い友人の<おばあちゃん(奶奶nainaiー父方の祖母)>が、彼のお母さんと一緒に訪ねてくれました。我が家は五階ですのに、一度も休むことなく昇って来られたのです。腕をとって助けようとしたら、『要らないよ!』と言って一人で大丈夫でした。以前は、膝に問題があったのですが、全く、それを感じさせないほどの健脚ぶりに、八十三歳を感じさせませんでした。同伴の嫁に贈り物を持たせての来訪を、私たちは歓迎したのです。

一昨日、『金曜日の午後三時ごろにお邪魔したいのですが!』と電話があって待っていたのです。家内は、朝9時半ごろのバスに乗って、街中のショッピングモールにあるケーキ屋さんに出かけて、チーズケーキとクッキーを買ってお待ちしていたのです。一昨年、ご主人を亡くされて、お子さんたちが代わり代わりにお世話をされているそうで、とてもお元気でした。この老夫妻には、たびたび家やホテルに、食事に招待されたり、帰国時などには、軍用車を手配してくださって、空港まで送っていただいたのです。お二人とも軍功のある高級軍人で、軍人の退職後のために設けられている 「干休所(軍の幹部の住宅)」にお住まいで、何度もでかけたました。

お招きいただいた時に、風邪気味だった家内が体調を崩したことがありました。おじいちゃん(爸爸)が、軍の診療所に連れて行ってくれて、診察してもらい、薬もいただいたことがありました、雨の中、サンダルを履かれ、家内に傘をかざし、腕をとってお連れくださったのです。その元気だった後ろ姿が今も目の底に残っています。優しい人で、軍人だったとは思えないほど温厚でした。入院中に何度かお見舞いをしたのですが、手術後、しばらくお元気でしたが、入院先の病院で亡くなられたのです。

その若い友人が、アニメが好きで、それを見ながら日本語を独学していて、この街に私たちが来たことを聞いて、毎週のように、我が家に訪ねて来てからの交わりなのです。今は、東京の大学に留学中で、今回帰国中には、一緒に食事をしたり、ケーキ工場見学のおりに、来日中の中国の友人夫妻のために通訳をしてくれたのです。このおばあちゃんですが、戦時中、日本軍が村に放った日で、腕に火傷をされておられたのです。恨んでもいい日本人、赦さなくてもいい私たちなのに、美味しい餃子を作ってもてなして、赦して、家内をハグしてくれたのです。今日も、おばちゃんと家内は、しっかりとハグしていました。華南の巷のアパートの五階の光景は、「中日友好」の一つの真実な有様なのでしょう。

(写真は、美味しそうな「チーズケーキ」です)

ニッポン・サイズ

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アメリカのテキサス人は、なんでも大きいもの好みだと言われています。全米一の大きな州に住むことの誇りで、ステーキもマグカップも「テキサス・サイズ」なのだそうです。ところが、1953年1月に、アラスカが最後の州に編入されてから、No.2に格下げになってしまったのです。世界で一番面積の大きな国は、ロシアです。因みに、カナダ、アメリカ、中国、ブラジルの順に続きます。大きいことって、本当にいいことなのでしょうか?

政治学を学んだり、政治家になろうと考えたことはありませんが、好きな総理大臣に、病気で二ヶ月で退任された、石橋湛山がいます。お寺の子で、甲府一中で学んだことがあり、当時校長をしていた大島正健の感化を強く受けた人でした。大島正健は、札幌農学校の一期生で、直接クラークの薫陶を受けたのです。湛山は、早稲田に学び、後にジャーナリストとなり、東洋経済新報社の主筆、重役をした経歴があります。終戦の年の10月には、「靖国神社廃止の議」を述べています。この湛山の考えの一つは、日本を大国にしようとの動きの中で、「小日本主義」を主張しています。「東洋経済新報」の1921年の社説で、

~一切を棄つるの覚悟~
「我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。古来無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ。大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。~ もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、山東を棄てる、その支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ起つだろう。これ実に我が国の地位を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の地位に置くものではないか。」

と語ったのです。あの「言論の自由」の許されない時代に、こうのように言えたことに、驚かされるのです。大局に立って、ものを言える言論人だったことになります。今また、大きな日本、強い日本になるような動きがありますが、石橋湛山なら、『小さな日本で好い!』というのでしょうか。コツコツと物を作り、より良いものを作ろうとして国が富んで行った過去のようにしたら好いのではないでしょうか。争わないで、四海平和な関係を、<ニッポン・サイズ>で、持ち続けて行くのはどうでしょうか。

(図は、かつての日本の「職人」です)