都バス

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誇り高い、「ゴールデン免許所持者」となって、もう相当な年数になっています。実に名誉なことですが、ある人に言わせますと、「捕まらないだけのこと!」なのだそうです。日本を離れて、今夏で満八年、九月からは<九年>に入るのですが、この間、運転をしたのは、ほんのわずかな時間しかないのです。捕まるには運転時間を要しますから、ネズミ捕りにかかりようがないわけです。それで、優良運転者なわけです。先週も、レンタカーで出掛けることも考えたのですが、運転感覚を戻すためには、数日の慣らし運転をしなければならないのですから、首都圏や東名を走ったら、多くの運転手に迷惑をかけるにちがいありませんので、やめたのです。電車とバス、今日は病院まで奮発してタクシーに乗ってしまいました。さすがの私たちも、帰り道は、人民元換算の「50元」のタクシーを節約して、二人で「18元」の都営バスに乗り、そこからスーパーに寄って買い物をし、歩いて帰ってきたのです。

あれば便利、なくても大丈夫なのが都心で生活する者の強みなのでしょうか。バスにタクシー、地下鉄もJRも私鉄もあって、これで息子の自転車がありますから、自家用車など不要なのです。今夕は、都バスの運転席の左の一番前の一人席に座って、小学校の低学年の子どものように、また田舎者のようにじっと運転ぶりを観察していました。ハンドル操作、ブレーキの踏み方、カーブのスピード加減、両脇を走る車への気配り、右折時の対向車の通り過ぎるのを待っている様子、信号遵守、歩行者や自転車へのいたわり、どれ一つ取っても、素晴らしい運転技術でした。今更ながら驚かされてしまったのです。けっして苛立ったり、怒ったり短気を起こしたりしません。五十代でしょうか、職業運転手の在り方、生き方のモデルのようでした。自己を律して、感情を穏やかに保てるから、こう言った仕事を長年し続けられるのでしょう。自分は「失格だ!」と思ったのです。

私の住んでいる華南の街の公共バスの運転手のみなさんの運転テクニックは抜群に優れています。横から近付いてくる電動自転車を、ちょっとしたハンドルさばきで交わしてしまうのです。すんでのところ、衝突寸前数十センチほどで、急停車ができます。大ハンドルを使って前の車の前に出ることもしています。ところが乗客は、急ブレーキと急ハンドルで、前後左右に大きく振られ、揺すられて、踏ん張ったり、しがみついたり、家内などは横転しそうで、座ってるおじさんの膝の上に飛ばされて、ちょこんと座ったりなのです。上手ですが、みんなのことをあまり考えていません。私は、今日の夕方、あの都バスの運転手を観察していて、こう考えたのです。彼にお願いをして、「日本的運転技法講習会」の実演講師になってもらおうと真剣に考えたのです。

天津でバスに乗っていた時のことです。バス停かと思ったら、「包子」を売っている店の前にバズを止め、美味しくて贔屓なのでしょう、その「包子」を買いに行ってしまいました。乗客は、文句ひとつ言わないで、そんな彼を眺めていました。店から袋を下げ、ひとつを食べながら戻って来て、運転を再開したのです。「えっ、こんなのありなの?」と思ったことでした。「礼」を教えてもらった国の「礼」の回復のために、ぜひ開催したいものだと、東京の空の下で思っている一月末の夕べです。

(写真は、東京の「都バス」です)

あの時があって

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記憶の中には、「におい」もあるに違いありません。あの時の、あの場所の、あのにおいです。今回、訪ねた街に、電車から降り立った途端、自分の記憶の中にあるのと同じにおいを、「あっ、あの時の匂いだ!」と感じたのです。駅の横にあった食堂からでも、ガソリンスタンドや、喫茶店からのにおいではありませんでした。

1970年に、初めて、この地域を訪ねたのです。同じ一月だったでしょうか、研修会が開かれて、参加したのです。ニューヨークの会社から講師を迎えて、持たれたものでした。「遠江(とおとうみ)」と呼ばれてきた静岡県西部の街です。遠州灘から吹いてくる潮風、真っ青に澄み切った空、まっ帰路に熟したみかん、お茶の香が何となくしてくる街で、四日間ほど一緒に寝泊まりをして学んだり、話し合ったりしました。

当時は、公民館や結婚式場などを借りて、セミナーが持たれていました。経費を節約しなければならなかった中小企業だったからです。それはそれなりに、懐かしく、しかも充実し、習得したことも驚くほどのものがあったのです。あの時の講師は、東南アジアやアフリカの支社にも出かけて、同じようなセミナーを持っていたようです。ボクサーの過去を持った異色のビジネスマンだったのです。あの頃の情景が、においと共によみがえってきたのです。

若かった私たちは、夢を語り合ったり、将来を自分の心中に思い描いたり、結婚や家庭などと言った個人的なことにも思いを向けていたのです。四十数年も前のことですが、あの時があって今があるのだということが分かります。先週末、その頃の同僚の家を訪ねたわけです。「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや!」とは、「論語」にある一節だったでしょうか。孔子も、友を歓迎し、友と語らうことを楽しんだのです。彼と夫人も、私たちの来訪を喜んでくださったのです。こんな嬉しいことはありません。生きているって素晴らしいことですね!

(写真は、「温州みかん」です)