山深い里で一泊した私たちは、とても居心地がよかったので、連泊することにしたのです。朝食を済ませてから散歩に出てみました。民宿の女将の紹介で、この地の「道の駅」に行くことにして、ぶらぶらと歩き始めたのです。いつからでしょうか、日本の街道沿いに、この「道の駅」という施設ができ、その近郊で取れる農作物が、名と写真の入ったラベルをつけて売られています。また、芸術家たちが移り住んできて、創作された民芸品や絵画や織物や陶器なども売られているのです。
その朝、膳にのっていなかったトマトを買いました。毎朝、必ず食べている物が食べられないのは、忘れ物をしているようでしたから。宿に帰って、水洗いをして食べたら、本当に美味しかったので満足した次第です。家内は草木染めのスカーフ、私は同じハンチングが安かったので、これも買ってしまいました。目的のない散歩でしたから、すみからすみまで棚の上に置かれたものを、手にとっては見てしまったのです。そんなことをついぞしなかった私の心に、ゆとりができてきたからなのでしょうか、面白かったのです。
そんなことをしていましたら、昼時になっていましたので、その「道の駅」で営業していた食堂に入って、大書きされてあった名物でしょうか、「大根うどん」を注文したのです。膳が運ばれてきて、伝票をそっと置いて行かれました。五十前の女性でした。伝票を挟んだホルダーを裏返しにしてありました。どの食堂に入っても、そうしていたのを半年ぶりの帰国でしたので、今更ながらの新しい感覚でそれに感心してしまったのです。表向きにしてあったら、「二杯1200円」の金額を見られ、それの方が合理的で実際的なのにです。
どうしてでしょうか、こう言ったことは、中国でも韓国でもアメリカでも、決して見られないことなのです。これって日本人の「奥ゆかしさ」だと言われています。「せっかく、美味しい名物の<大根うどん>を食べていただいてるんだから、代金なんか意識させないで、ただ美味しく頂いて欲しい!」という、ほんのちょっとした心遣いなのです。日本人特有の配慮なのです。実に不思議な心の動きに、久しぶりに接して、思いを新たにした、京北の大原での昼時の出来事でした。
(写真は、大根の「花」です)