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今朝、食パンやオレンジジュースを買いに、近くのコンビニに買いに出かけました。冷たい北風が吹いて頬に冷たかったのですが、真っ青な青空でした。日曜日の朝の東京は穏やかです。この「東京」を歌った歌は、やはり「帝都」ですから、大変に多いのです。1929年(昭和4年)に映画の主題曲として、西條八十の作詞、中山晋平の作曲の「東京行進曲」が世に出ました。

1 昔恋しい 銀座の柳
  仇(あだ)な年増(としま)を 誰が知ろ
  ジャズで踊って リキュルで更けて
  明けりゃ ダンサーの涙雨

2 恋の丸ビル あの窓あたり
  泣いて文(ふみ)書く 人もある
  ラッシュアワーに 拾った薔薇を
  せめてあの娘(こ)の 思い出に

3 ひろい東京 恋ゆえ狭い
  粋な浅草 忍び逢い
  あなた地下鉄 わたしはバスよ
  恋のストップ ままならぬ

4 シネマ見ましょか お茶のみましょか
  いっそ小田急で 逃げましょうか
  かわる新宿 あの武蔵野の
  月もデパートの 屋根に出る

銀座、丸の内、浅草、新宿という繁華街を歌い込んで、大ヒットした歌でした。父十代の最後の頃の歌だったことになるようです。江戸から東京と呼び名が変わってから、六十年ほど経っていたのです。大原の宿で同宿の台湾の大学生と出会いました。「日本はどうですか。」と聞きましたら、「とても綺麗です!」と言っておられました。そうですね、恵比寿の駅で降りて、駒沢通りを歩きましたが、街の中のどこもが、自分の家の庭のように綺麗に清掃されているのです。息子の家に着いた晩に、千葉県沖の震源だとする地震があって、一瞬でしたが、体が大きく揺れたのです。

北京もソウルもマニラもシンガポールも、それぞれの国の政治や経済や教育文化の中心として、「首都機能」を果たしているのです。昨日は、「大学センター試験」が行われ、今日も二日目が行われるそうです。どこの国の若者も、自分の生まれ育った国のために、更にはアジア、世界のために、有為な人となって欲しいと、心から願ってやまない、一月第三週の日曜日の朝です。

(写真は、母校の「記念館」です)