大寒

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あれこれと考えた末、『蕎麦を食べたい!』ということになって、長女と次男と四人で、お昼に出かけました。大通りからちょっと奥まった路地裏に、「生蕎麦」と染めた暖簾(のれん)のかかった店がありました。路地に入ったとたん、あの出し汁の醤油の匂いが、立ち込めていて、そこはかとなく懐かしさを感じたのです。『お母さんは?』、『お父さんは?』、『けいちゃんは?』で、天ぷらそば、うどんすき、カツ丼、おごってくれる長女は、うな重とかき揚げそばを注文したのです。うな重はみんなで一味づつとのことでした。

『雅、蕎麦を喰いに行こう!』と、よく父に誘われたり、電話のない頃には、自転車にまたがって店に注文しに行かされました。駅前と、逆方向の坂を登りつめた都営住宅の前とに、二軒あったのです。父が好きだったのが、「カレー南蛮」でした。『ボクはザル!』、『俺は卵とじ!』と母以外、我々四人兄弟が口々に食べたいもにを言っていたでしょうか。決まって母は、『何でもいいわ!』でした。まだ時間の流れが<のたり>としていた時代の、子どもの頃が懐かしく思い出されてしまいました。店主が、片手ハンドルで左肩に、注文品全てを盆にのせて自転車で配達してくれました。汁一滴こぼすことのない器用さは圧巻でした。

気前のよかった私の父に似ている長女が、この頃は「仕切り役」になっています。我が家は、こう言った食事時には、「突っつき合い」になってしまうのです。これって非難し合うのではなくシェアーです。『それ、どんな味?』と言っては、食べ比べして、『次は、これにしよう!』と言うわけです。これは、父親の私がし始めて、家族の間で伝染してしまった<悪習慣>の一つなのです。昨日も、テーブルの上を丼が行き巡っていました。久しぶりの日本蕎麦とうどんと鰻を、汗をかきながら食べて、『おいしかったです!』、『ごちそうさま!』と店主に、それぞれ言って店を出たのでした。

「大寒」の頬に当たる路地裏の風が心地よかったのです。『甘いもを食べようか!』と言って、ケーキ屋に入ってコーヒーと紅茶とで、<別腹>を満たしたのです。息子は、『仕事!』と言って先に家に帰って行きましたので、彼にショートケーキを土産に買って帰りました。美味しい日本の一日を、家族で過ごせて幸せを満喫させられた一日でした。長男と次女の家族がいなかったのは、ちょっと物足りなかったのですが。幸せの日本でもあります。

(写真は、「山茶花(さざんか)」です)